相談
嶋田先輩と夏菜さんの、意外とドライな関係。これまで数か月抱いていた印象から乖離した二人の姿は、僕の胸にしこりのような違和感を作った。違和感が拭える機会は中々なかった。不快で不快で、どうすればこの感情から解放されるのかとそんなことを良く考えるようになった。
昼休み、図書館。
そういう僕の不快を取り除いてくれる人が、今僕の隣にはいた。
「……はあぁあ」
露骨なため息を吐いた。なんとなく、自分から自らの不安をぶちまけるのは嫌だった。多分、僕は大体いつも、彼女に頼っているから。多少なりとも、申し訳なさに似た感情が芽生え始めていた。
隣でシャープペンシルを走らせた彼女が、手を止めた。
「遠藤君」
「何?」
わざとらしく、首を傾げた。
彼女の手が、こちらに伸びてきた。
「ここ、間違えてる」
吉田さんが、僕の前にあるノートに書かれた数列を見て、言った。
「テスト前だよ? ちゃんと集中しないと」
「……はい」
「ここ、この前と同じ間違え方してる。同じことの繰り返しは絶対にダメ」
「……ごめん」
「でも、こっちはこの前間違えてたのに今度は合ってる。ちゃんと復習しているなんて偉い。その意気よ」
「よ、吉田さん……!」
なんというか、彼女は下げて上げるからか、一度褒められるととてつもないやる気を感じられる。
たった一度褒められただけでやる気、活力を見出し勉強に集中しだす僕もどうかと思うが、多分彼女、人を教える立場に進むと良いと思う。
「いつもありがとう。君のおかげで来週の試験、良い点取れそう」
「いつか、言ったでしょ」
吉田さんは微笑んでいた。
「必ずあたしが良い点取らせてあげる。女に二言はないって」
「言ったね、そんなこと」
僕は苦笑した。あの時はまだ、吉田さんに歯向かおうだなんてバカなことを考えていた時期だ。彼女と一緒にいる時間が増えて、気付けばすっかり彼女に仇名す毒牙すら抜かれてしまった。
「で、どんな悩みがあるの?」
何せ、毒牙にかける必要もなく、大体僕の内心は彼女に筒抜けだからだ。
「よくわかったね」
「いや、あんな露骨なため息をしておいて、良く言うわね」
そう指摘されると、恥ずかしくて僕は頬を染めて俯き、唸った。
「唸っている時間が勿体ないわよ。時間は有限。限られた時間、あなたがそうして悩むだなんて、その時間が勿体ないわ。さあ、教えて」
「うん。ごめんね」
その謝罪は、時間を使ったことの謝罪か、はたまた相談事を持ち掛けたことへの謝罪か。
心優しい吉田さんにいつも通り甘えて、僕は一つ息を吐いて相談を持ち掛けた。
相談事は、嶋田先輩と夏菜さんの関係のことだった。あんまりプライベートなことを当人達のいない場で話すことは気が引けたが、吉田さんは口も固く信頼における人だし大丈夫だろうと高を括っていた。
そうして僕は、吉田さんに周囲で勉強、読書に励む人の邪魔にならないように嶋田先輩と夏菜さんの話を始めた。
周知の事実となった彼らの関係。
最近知った意外とドライな彼らの関係。
そして、吉田さんに上手く掘り下げられた先日の夏菜さんとのデートの話。
相談する内に、昼休み終了の予鈴の鐘が鳴った。
聞き終えた吉田さんがまず言ったのは、
「この前のお出掛け、楽しめたみたいで良かった」
あまり心が籠っていない、そんな台詞だった。
「……まあ、その。なんだか重い話ね」
そして続けて言ったのは、持ち掛けた相談事に手をこまねく言葉だった。
「ただ正直、あの二人の関係が思ったよりもドライだとして……遠藤君に何か問題あるの?」
「……多分、ない」
それは、僕がすぐにでも吉田さんに相談事を持ち掛けられなかった理由。
「でも、何と言うか……気持ちが悪いんだ」
「何が?」
「それは……」
夏菜さんのことが、好きだった。
ただそんな彼女に憧れるとさえ言わしめて、到底敵うはずがないと思わされる人がいた。嶋田先輩だ。
あの人に太刀打ちするには、当時の僕では無謀過ぎて、どうすれば立ち向かうことが出来るか。
吉田さんに。嶋田先輩に。夏菜さんに。
色々な人のおかげで、僕は太刀打ちするための術を教わった。
そうして、一歩一歩歩み、僕は少しずつ変わってきている。
でも、そこで敵わないと思っていた嶋田先輩が、実は夏菜さんと不仲だった。いや、実際には不仲というわけではないのだろう。でも、兄妹の域を超えない仲だったのだろう。
そんな今の僕の根底を崩しかねない前提は……僕にしたら気持ちが悪かった。
ただこの気持ちは、上手く吉田さんに伝えられる気がしなかった。
なんと言ったものか。
「わかった」
悩む僕に、理解を示した吉田さん。
「つまり、あれね。遠藤君、嶋田先輩に憧れてたんだ」
思いもよらぬ言葉に、僕は目を丸めた。そんなこと、一度だって思ったことはなかった。
「憧れた人が自分の理想とは違うことを言って、失望したの。だから遠藤君、今なんとも言えない顔をしている」
……吉田さんにそう言われて、珍しく僕は自己を鑑みた。嶋田先輩をどう見ていたか、振り返った。
僕にとって嶋田先輩は……。
女子にモテる人。トランペットが僕並みか、僕より少し劣るくらいに上手い人。煩わしいくらいに世話好きで、小うるさい人。
僕の、恋敵。
ああ、確かにそうだ。吉田さんの言う通りだ。
嶋田先輩に追いつきたい。
そう思い、彼の言葉通りに嫌なことにチャレンジをしてみて、知らない世界に魅了されて……。
僕の幸先の指針を示したのは、嶋田先輩だったのだ。
そんな彼が、実の妹の病気を心配しない。妹の容体を心配した友達を無下にする。
そんな人並みなことをする嶋田先輩に、僕は多分憤りを感じていたんだ。
理想を、勝手に押し付けていたんだ。
いつか嶋田先輩は、言っていたのに。
『勉強、マラソン、朝練。怒られることも嫌だし、殴られるのも嫌だなあ』
彼が人並みの男であると、自分で言っていたのに。
僕はそんなことも忘れて、勝手に理想を押し付けてしまったんだ。
「酷い男だね、僕は」
「それだけ嶋田先輩のこと、見てたってことじゃない」
吉田さんは微笑んでいた。
「日頃は煩わしそうにしているのに、裏では尊敬して態度を見習うようにしてただなんて、それでこそツンデレ遠藤君よ」
「変な呼び方、しないでくれる?」
そう言いながら、僕は苦笑した。嶋田先輩に抱いていた勝手な理想。それを打ち砕かれ、勝手に失望し、それを知らしめさせられて自己嫌悪に陥っていた気持ちは少しだけ、彼女のおかげで晴れていた。
結局おんぶにだっこじゃないか!
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