避けられる
一週間の部活禁止を優しく命じられた日の昼休み、僕はいつも通り吉田さんの命の元図書館に向かっていた。
僕の点数を彼女が憂いたことで始まった勉強会。いつもは辛い思いばかりのこの場だったが、今日ばかりは碌なことを考えられない頭にとっての良い薬だった。元素記号を覚える作業にも、身が入った。
「大丈夫?」
勉強に集中する僕を心配したのは、吉田さんだった。
「……どうして?」
「いつにもまして集中しているから」
それは僕の調子を心配する理由になるのだろうか?
「いや、あの、その……うん。もういい。ごめんね。教える立場としては嬉しいことだけど、あなたの友人としては心配なの」
取り繕う言葉を探したのだろうが見つからず、吉田さんは胸中を素直に打ち明けた。
「……大丈夫と言えば、多分大丈夫ではない」
「そう……」
吉田さんの声色が、弱弱しくなった。
「木澤さんとは、話せたの?」
今度は僕が、弱弱しく首を振る番だった。
「そう……」
しばらく僕達は無言となった。快活な生徒が多いのか、あまり人がいない図書館に静寂が流れた。シャープペンシルの芯がノートに滑る音だけが、耳に響いた。
「……木澤さんが怒っているってことはないと思う」
唐突に、吉田さんは言った。
「どうして?」
「……なんとなく」
「なんとなく、か……」
吉田さんにしては、成否不明な話だった。
「あなた達、ずっと早朝練一緒にやっているくらいには仲が良いし。……怒ってくれて嬉しいと思っていると思う……多分」
励ますつもりなのか。励ましたいけど違和感を感じているのか、渋い顔で吉田さんは言った。
……僕は、珍しい吉田さんの様子に、少しだけおかしくなって思わず小さく噴き出していた。
「失礼しちゃう」
「ごめん。なんだか戸惑う吉田さんは、珍しくて」
「……そうかもね」
吉田さんは緊張の糸が切れたように、大きなため息を吐いた。
「とりあえず、意外と元気そうで良かった」
「……うん」
「部活禁止は、一週間だっけ?」
「うん」
「あなたがいないと、少し寂しい。だから早く帰ってきて」
「……うん」
僕は照れから、俯いた。前々から思っていたが、吉田さんは凛とした態度の割に、とても優しい言葉を送ってくれる。
「まあ、あたしの寂しさなんて一旦はどうでも良いわよね」
「……そんなことは」
「本当?」
「うぅ……」
僕は小さく唸った。
吉田さんは、僕をからかえて満足げに微笑んだ。
「とにかく、どうやって木澤さんと話すか、ね」
「うん」
「そう言えば、今日の早朝練は? 合奏練習で練習禁止を告げられたんだし、朝来た時には遠藤君のトランペット聞こえたし、来てたんでしょ?」
「うん。僕は来てた。でも……」
「木澤さん、来なかったんだ」
吉田さんは、少し驚いた声をしていた。僕はゆっくりと頷いた。
「……ちょっと、昨日のこともあって来づらかっただけよ」
「……うん」
「一先ず、放課後部活行く前に一緒に彼女の教室に行きましょうか」
「……いいの?」
「一人だと、行きづらいでしょ?」
僕は情けなく、頷いた。
「仕方ないんだから。とにかくショートホームルーム終わったら、行ってみましょう」
「ありがとう、吉田さん」
「良いわよ、それくらい」
それからは多少の胸騒ぎを覚えながら、僕達は図書館での練習に励んだ。
それから、午後の授業も少しばかりの気持ち悪さを感じながらなんとか過ごした。
そうして、放課後。
「行きましょうか」
「うん」
吉田さんに導かれながら、僕達は木澤さんのいる教室へと向かった。
ショートホームルームがすぐ終わって教室を出てきたが、横切る教室ではまだショートホームルームをやっているようなクラスもあり、早めに退屈な授業から解放されたことへの喜びみたいなものをいつもなら感じれたのだろうと思ったりもした。
しかし、今日ばかりはそうは問屋が卸さなかった。
そんなことで喜びを感じれるほど、些細なことに興味関心を抱ける精神状態ではなった。
夏菜さんの教室が近づくにつれて、足が重くなっていくのがわかった。
そして、辿り着いた夏菜さんの教室。丁度、ショートホームルームが終わったタイミングだったらしい。
「げ」
丁度教室から出てきたのは、昨日怒りを露わにした女とその取り巻きだった。露骨な態度を示したものの、彼女達はこちらに一瞥することなく去っていった。
「ちょっと、驚いたね」
「うん」
吉田さんの言葉に同調した。何かしらの因縁を付けられると思ったが、取り越し苦労だったらしい。
一息ついて、吉田さんは先行して教室を覗いた。恐れながら、僕もその後に続いた。
夏菜さんは、教室にいた。
楽しそうに、友人らしき人とおしゃべりを楽しんでいた。
内心、少しだけホッとした。昨日のことを僕みたいに尾を引かず、他人と喋れるくらいに落ち着いているようで、安心した。
「木澤さん」
吉田さんも同じだったのか、少しだけ声色明るく夏菜さんを呼んだ。
夏菜さんが、こちらに気付いた。
「あ、ミカちゃん!」
夏菜さんは楽しそうに、吉田さんを見つけたらしかった。
「ちょっと、いい?」
「どうかした?」
明るく、夏菜さんはこちらに近寄ってきた。
少しだけ早い歩調で近づいてきて……僕と、目が合った。
途端、夏菜さんは顔を真っ赤に染めて、口をわなわなと震えさせた。
僕にはそれが、怒りの感情に見えていた。
「ご、ごめんっ」
夏菜さんはそのまま、さっきよりも歩調を早めて、自席の鞄をひったくって逃げるように教室から去っていった。
吉田さんは、呆気に取られていた。
僕は、絶望のあまり泣きそうになっていた。
「さ、避けられた……」
僕は膝から崩れた。
「や、やっぱり怒ってる……」
「え、そう見えちゃう?」
吉田さんの言葉は、僕には届いていなかった。
間違い指摘され、吉田さんにおんぶにだっこになってるやんけ。
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