叱咤激励
タイトル変更しました。申し訳ございません。何卒宜しくお願いします。
気持ちが落ち着いた翌日、浮足立つ気持ちでいつもの時間に家を出た。朝ごはんは喉を通らなかった。
緊張していた。
早朝練には、いつも夏菜さんが来るから。
だから、吉田さんの言いつけ通りにまずはこの場を使い、夏菜さんへ謝罪の言葉を口にするつもりだった。
昨日は、迷惑をかけてごめん。
頭に血が昇って、やりすぎた。
それだけの言葉で、納得してくれるだろうか。
そんなことを考えていた。もしそれで納得してくれないなら、この想いのどこまでを言えば、彼女は納得してくれるだろうか。
真意を全て伝える気はなかった。
今の僕は、恐らく彼女の心象が最悪だったから。
だから、僕は負け戦なんて望んではいなかった。このまま夏菜さんとの関係が断たれるだなんて、そんなことは望んでいなかった。
トランペットの音色が、震えた。
一旦、口から離して大きなため息を吐いた。
女々しく、どれだけ緊張しているのか。事が事だからか、いつもよりも僕は、自罰的になっていた。
しかし、おかしい。
この時間、いつもならもう夏菜さんが現れてもおかしくない時間。
なのに、夏菜さんは未だまったく姿を見せる気配はなかった。
嫌な予感が、過った。
きっと、来る。夏菜さんは、きっと来る。
雑念を振り払いながらトランペットを吹いた。
しかし結局、この日彼女が早朝練に顔を見せることはなかった。
ただ、彼女が顔を見せなかったのは早朝練だけではなかった。今日は、週に二度の早朝合奏練習の日。しかしその場にも、夏菜さんが顔を見せることはなかった。
皆が僕に触れることはなかった。
既に昨晩の一件は、ここにいる大半の人の耳に入る事態になっていたのだろうが、それでもいつも通り、僕に触れることはなかった。
腫物だと思われたのか。
はたまた、なんて声をかけて良いものかわからなかったのか。
とにかく誰からも何も言われない時間が、こんなにも不快なのは初めてだった。多分、いっそ断罪された方がマシだと思っていたのだろう。
そんな調子で行う合奏練習が上手く進むはずもなく、唯一自信のあった演奏を僕は何度も止めてしまった。
怒られながら、ようやくそんな時間が終わりを告げた。
「遠藤」
呼んだのは、武田先生だった。
「はい」
「ちょっと残れ」
「……はい」
怒気が交じった声に、幾ばくかの恐怖を覚えた。
武田先生に言われた通り、音楽室に一人残った。俯いて皆が去るのを待っていると、吉田さんが心配そうに僕を見つめているのに気が付いた。
残って、助けて欲しい。
情けなくもそう思ったが、彼女には一切の非がないのだから巻き込むわけにはいかないと、再び俯いて待った。
先生と二人だけの音楽室は、随分と広かった。
「親父とは、最近会っているのか」
先生の言葉は、身構えていた僕にしたら随分と遠回りをした切り口だった。
恨みしかない親父に、久しぶりに感謝を覚えた。
「いいえ、まったく」
しかし首を振って答えると、再び怒りが沸いてきた。
「そうか。俺もあいつと会ったのは……去年の全国コンクール以来だ」
「知り合いなんですか」
「この業界で長く仕事をしているとな、必然的に。一昨年から、あいつは全国大会の審査員にもなっているし、余計だ」
「……人を品評出来る立場じゃない、あんな奴」
「被害者からしたら、そう思うだろう。しかし今や世間は、あいつの犯した不貞行為なんて覚えちゃいないのさ。犯罪だってそうだろう。話題になるのは最初だけ。加害者の家族に私怨をぶつけたりするのに、しばらくしたら皆忘れる。何故なら、自分が関わっていないからだ。人間は実に都合が良い。自分以外の人がどれだけ苦しもうが、そんなの知ったこっちゃない」
確かに。
それは僕も良く知る、この世の人間像そのものだった。薄情で醜悪な人間像、そのものだった。
「……お前はそれを知っていたから、昨晩他人のためにあれだけ文句を言えたんだろうな」
武田先生の言葉。声色を聞くに……彼がそこまで昨日のことを怒るつもりがないようだと、僕は理解した。
しかし、それは買い被りすぎだと思った。
僕はただ、好いた夏菜さんが陥れられようとしているのが堪えられないだけだった。それだけだった。
他の人がイジメられていたとして、果たしてあれだけのことをしでかすことがあったか。
嶋田先輩……だったら当人で解決出来ただろう。
吉田さんも一人で何とか出来そうだが、もし困っていたら助ける。それは間違いない。彼女に救われた回数は、数知れない。
しかし……他の人なら、多分僕は関係ないと割り切っていたことだろう。
あれほど散々、人間の醜悪さを説いていて……結局僕も、醜い人間の一人だった。
でも、それは僕のせいではない。
それは。
それは全部……。
「お前があいつの息子だってことは知ってたよ」
武田先生の言葉に、驚愕した。
「お前は自覚はないだろうが、この界隈では結構有名人だ。小さい頃からテレビにも出てたし、ジュニア大会を総なめにしてたし。皆、お前には期待していた。西田二世とな。
あいつの不貞があってから表舞台を退いたことも知っていた。だから中学時代、吹部コンクールに出てることを知って驚いたりもした。
またお前の演奏を聞けるんだと歓喜もした。
多分、俺だけじゃない。他にもたくさん、お前のことを知っている奴はいる。この吹部にだって、何人もいたはずだ。
ただ皆、デリケートな部分に触れるべきではないと思ったのかもな」
「……だから皆、朝も触れなかった」
それは彼らの、優しさ。……なのかもしれない。違うのかもしれない。
しかし、そんな彼らのおかげで僕は今日まで吹部の一員として生活を出来た。演奏を出来た。
さっき先生は、人は都合が良いと言った。だから他人がどれだけ苦しもうが、関係ないんだと言った。
しかし皆は、かつての連中のように僕の家庭環境で揚げ足を取って、僕をイジメたりしなかった。それは都合が良いだけの人間とは……まるで、思えなかった。
なんて優しい人達なんだ。
一部、まさしく醜悪な姿を見せた奴だっていたが……大半は僕のことを思い、何も言わないでくれた良い人だったんだ。
そんな人達の練習を、昨日邪魔してしまった。多大な迷惑を、かけてしまった。
「ごめんなさい」
涙ながらに僕は頭を下げた。
「こっちも謝らないといけない。俺は先生という立場もあるから、このまま問題行動をしたお前をお咎めなしにすることは出来ない」
「……はい」
「一週間、部活には参加せず、頭を冷やしてくれ」
「はい」
「ただ、一番咎められなきゃいけないのはお前じゃない。今日の放課後のパートリーダー会議で、宮城とその周りの連中のことを話しあうそうだ」
「ありがとうございます」
「お礼の言葉なんて要らない。お前がされるべきだろ、それは」
僕は……何も言えなかった。
「よく頑張ったな」
だけど、労いの言葉をかけられたら……涙が一筋零れた。
「頑張れよ、若人」
そう激励されて、僕は音楽室を後にした。
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