惚気話
「ちょっと、そんなに引っ張らないでくださいよ」
「うるせえ、このバカ後輩」
廊下を早足で歩いてしばし、嶋田先輩に手を離されながら僕は罵声を頂戴した。
「部内の連中と喧嘩なんてするなよ。怒声、廊下からずっと聞こえてたぞ。トラブルになって謹慎とかしたらどうするんだ」
「うぐ……」
そう言われてしまうと、返す言葉はなかった。僕は目をしどろもどろさせて、
「ご、ごめんなさい……」
素直に謝罪した。
「まったく、本当にお前はトランペットは上手いのに不器用なんだからもう……」
「でも、あれはあいつらが悪い」
「悪い奴に絡んで、毒牙にかけられかけたら世話ねえだろ。女ってのはそれだけで被害者になれるんだよ。しかも一対三。あのままだとお前、第三者から被害者だって誤解されてたぞ」
「はう……」
再び、返す言葉を失った。
「人間ってのは碌な生き物でもないんだよ。だから気を付けろ。誰がどこでお前の寝首を掻こうとしているか、そんなのはわからないんだからな」
……まあ、確かに。
あの演奏会でチャレンジすることの大切さを知ったことと同様に、僕には人間の醜悪さへの教訓もあった。
あの時は頭に血が昇っていて気付かなかったが、確かにあの場であいつらの誰かに泣かれでもしたら、数の暴力で僕は一方的に悪者にされていたかもしれない。
「……別に、悪者にしたいならすればいい」
しかしそうなった時のことを思うと、僕は吐き捨てるようにそう言っていた。
あんな連中の肩を持つような奴らも、僕はとてもじゃないが信用なんて出来なかった。
「……お前はすぐ、そうやってひねくれる」
僕は俯いたまま、そっぽを向いた。
「一人で出来ないことも、二人だと出来たりする。一人では難しいことも、誰かに相談すれば意外と簡単だったり思える時もある」
「……何ですか、突然」
「お前もなんとなく、最近わかってきたことじゃないのか?」
「……まあ」
この学校に入学し、吹奏楽部に入り、かけがえのない出会いをした。
吉田さん、嶋田先輩、そうして、夏菜さん。
本当に、彼彼女らは僕にとってかけがえのない人だった。
「夏菜言ってたよ。お前との早朝練は、お前が教えるのが上手だからとても勉強になるって。嬉しそうに」
「え?」
不貞腐れていた内心が、一気に晴れ渡った気がした。やはり僕は、現金な男だ。
「くだらないことで面倒事起こして、あいつとの早朝練失くさないでくれよ。だからああいう場は、適当に笑って誤魔化しておいてくれよ」
「……はい、とは言えないです」
「このツンデレめ」
苦笑する嶋田先輩に、僕は目を合わせらなかった。
「ほら、練習行くぞ。皆待ってる」
「は、はい……」
未だ胸の奥にしこりはあるが、一先ず僕は嶋田先輩の後に続いた。
そうして廊下を歩きながら、ふと気付いた。
「先輩、そう言えばどうして先輩は、僕を探してたんです?」
「ん? 教室に居づらかったからだぞ」
「教室に? どうして?」
「夏菜の奴が、懐かしい物付けてるからさ」
嶋田先輩の呆れ交じりの苦笑に、心当たりがあった。
それは多分、あの赤いヘアゴムのことだろう。いつか先輩にもらったと言う、ヘアゴムのことなのだろう。
気落ちしそうになった気持ちを、唇を噛んで誤魔化した。
「先輩のプレゼントだそうですね、あれ」
憎さ半分。茶化し半分で僕は言った。
「あいつ……。お前、本当に夏菜と仲良いよな」
「そ、そんなことないです!」
慌てて、僕は言った。
「……まあ、そうだな。随分と前の話だけどさ。あれは確かに俺が贈った物だ。おっちょこちょいな癖に、意外と物は大事にするんだよ、あいつ」
「……へえ」
一つ、恋敵から夏菜さんのことを聞けた。
「でも、付けてたシュシュは失くしたそうですよ?」
朝、彼女から聞いたことを僕は思い出して、言った。
「え?」
嶋田先輩は意外そうに、驚いたようにこちらを見た。
ぎょっとした先輩の目に、僕は一歩たじろいだ。
先輩は、腕を組んで唸りだした。早く練習をしようと言った癖に、中々そんな仕草を止めなかった。
「どうしたんです?」
「あいつ、本当にあのシュシュ、失くしたって言ってたのか?」
「ええ、そう聞きました」
「……おかしいな」
「何が?」
「あのシュシュ、確か母さんが昔付けてたってやつをあいつがもらった物なんだ」
「……え」
快活そうな彼女がするには、おとなしめの色のシュシュ。それの理由がなんとなくわかって、僕は納得しつつ、されど別の疑問を抱いていた。
「あいつ、滅多に失くし物なんてしないのにな」
「……そんな大切な物を、失くしたってことですか」
それは何だか、とても腑に落ちない話だった。
僕は鞄から、さっき見つけたシュシュを取り出した。
「先輩、実はさっき、彼女のシュシュと思しき物を見つけたんです」
「え?」
手渡すと、数秒シュシュを見た後、嶋田先輩は数度頷いた。
「確かに、あいつの物だ。母さんが昔してた時から見ているし、間違いない」
「……そうですか」
「これ、どこに?」
「……ゴミ箱」
「え」
「……ゴミ箱の中に入ってました。彼女のクラスではなく、僕のクラスの」
先輩の顔が、訝しげなものに変わった。
「シュシュとかって、忘れ物センターに結構届けてくれるものだよな」
「そうですよね。だから、一緒に日直してたチューバの吉田さんともなんだかおかしいなって思っていたんです」
「……そっか」
先輩は、どこか合点がいったように曖昧に返事をした。
「何か心当たりでも?」
「いいや、ない。ないよ。なあ、遠藤。それ、お前から渡してやってくれない?」
「……それはまあ、別に。構わないですけど……」
「そっか。じゃあ頼むよ」
少しだけ、先輩がしおらしくなったような気がした。突然の先輩の態度の翻し方は、僕の気持ちが邪念による疑りすぎなことなのか。一切の判断を付けさせないくらい、曖昧なものだった。
「ほら、練習行こうぜ」
「……はい」
肥大していく胸騒ぎに、僕の足はぎこちなくなった。
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