ブラウン色のシュシュ
あの演奏会からというもの、吉田さんと時間を共にすることが多くなった。昼休みの勉強会から始まり、放課後部活でのコンクールメンバーの練習まで。
コンクールメンバーの練習は、ただだだっ広い音楽室のどこかで僕達が鎮座し演奏をしているだけだったが、嫌々ながらこなすようになったとはいえ未だコミュニケーションのコの字くらいにしか他人と関わらない僕にとっては、一緒の部屋にいて演奏をしているだけで一緒にいる、という定義に他ならなかった。
と言うわけで、最近の僕は吉田さんと時間を共にすることが多い。
今日もまた、吉田さんと二人きりで同じクラスの教室にいた。
放課後、夕暮れの教室。
いつもなら真っすぐ部活動へ赴き、トランペットを吹いている時間。そんなに時間に、異性間で二人きり。
喧騒とする校庭では、サッカー部が抑圧された授業時間から解放されたことを喜ぶように球蹴りに乗じていた。
三階の窓から身を乗り出せば、下方で彼らの精を出す姿を拝めるのだろうが、生憎そんなことには一切興味はなかった。
真剣な眼差しを、向けていた。
「……遠藤君」
少し疲労を感じる、吉田さんの声。
「うん」
それに頷く、僕。
彼女の顔は、見れなかった。
見たくなかった。
彼女の顔を見れば最後、今のこの穏やかな一幕が終わってしまうような、そんな恐怖心に似た強迫観念に僕は囚われていた。
しかし、運が悪いことに……。
「まだ終わらないの?」
運が悪いことに、どうやらその恐怖心は、僕の勘違いではなかったらしい。
「あうあぅ……」
日直日誌に羅列された文字は、拙い。文章的に。それを書いた人の顔が見たいと思ったが、生憎その人の顔を見るには鏡が必要であった。それは、透き通った湖の水面。はたまた鏡面磨きした切削物。
つまり、これを書いた人は僕。
そして僕と一緒に今日の日直だったのが、吉田さん。
一足先に自分の作業を終えて、僕の日直日誌、並びにその後で一緒に持って行くことになっているゴミ捨てのために教室に残る、吉田さんだった。
「もう、こういうのは初めに結論を書くの。今日はこんなことがありました。それはこうだからです。だから次はこうしたいと思いました。簡単でしょ?」
と言って、僕から日直日誌を取り上げない辺り、彼女はしっかり者ながら他人の成長を阻害しようとしない良き人なのだろう。
「……うん」
「ほら、書き直して」
吉田さんは筆箱から消しゴムを手渡してきた。
それを受け取って、ゴシゴシとシャープペンシルで書かれた文字を消していった。
僕は、吉田さんの意見を吸い上げようと一息吐いた。
……まずは、今日あったこと、か。
……今日、あったこと?
「吉田さん、今日このクラスで何があった?」
「遠藤君、もう少し周りを見る努力をしましょうね」
「……はい」
返す言葉もなかった。
吉田さんはため息を吐いて、今日クラスであったくだらない話を二、三個僕に授けてくれた。彼女なりに、日誌に書くにあたり書きやすい話を選んでくれていただろうことは、なんとなく察しがついた。
「まったく、トランペットを吹いてる時とは大違いね」
「……人には得手不得手というものがある」
「はいはい。ほら、書いた書いた」
「あうあぅ……」
情けない声を出して、四苦八苦しながら文字をしたためた。
ある程度書いたところで、最近の僕のお目付け役である吉田さんに日直日誌を渡した。
吉田さんは最初、眉をひそめて日誌の文章を読んでいた。なんだか嫌な予感が過ったのは、彼女がしっかり者だと言うことを僕が知っていたからだった。
「……遠藤君」
「は、はい……」
思わず、生唾を飲んだ。
「良く書けてるわ。頑張ったわね」
微笑む吉田さんに、安堵と疲労と喜びが一度にやってきて、僕は机に体を乗せた。そうして少しのんびりしていると、耳にトランペットの音色が届いた。
「そうだ、部活」
「うん、そうね」
吉田さんは、頷いて教室の隅のゴミ箱を指さした。
「あれ捨てて、早く行きましょう」
そうだった。
僕はガクリと体を落とした。
ゴミ箱を二人で一つずつ持って、途中職員室で先生に日直日誌を手渡して、僕達は校舎裏のゴミ捨て場に向かった。
ゴミ捨て場に着くと、生ゴミ匂いがこびり付いていて少し不快だった。
さっさと捨ててしまおう。
ゴミ箱から袋を取って、僕は大袋へそれを乱暴に移そうとした。
「待って、遠藤君」
「え?」
「皆がちゃんと分別しているか、わからないでしょ」
確かに。
僕はゆっくりと燃えるゴミのゴミ箱を揺らし、移されていくゴミの種類を確認しながら作業した。もし燃えるゴミ以外のゴミが出たら、少し抵抗もあるが手を伸ばしてそれを拾おうと思っていた。
そうして、そんな作業を数秒行って……。
「あれ」
僕は、大袋に移されたゴミに、手を伸ばした。
燃えないゴミではなかった。
ペットボトルでも、粗大ゴミでも決してなかった。
確かにそれは、燃えるゴミ。
大局的に言えば燃えるゴミだったのだが……見覚えのあるそれに、僕は手を伸ばすことを止められなかった。
不快感など吹き飛んでいた。
ただそのゴミ……見覚えのあるおとなしめのブラウン色のシュシュが本当にそうなのか。
僕はただ、それを確認したいだけだった。
「あら、それ木澤さんのね」
背後から、吉田さんの声がした。彼女はもう、ゴミ捨ての作業を終えていた。
作業が遅れていることへの申し訳なさはなかった。むしろ、驚きの方が勝っていて、正常な判断は出来ていなかった。
「夏……木澤さん、これ失くしたって言ってたんだ」
「……そう。でも彼女は別のクラスなのに、どうしてウチのクラスのゴミ箱にこれが?」
「わからない……」
吉田さんと目が合った。
僕達は二人して、胸騒ぎのような違和感を抱えたのだった。




