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チャレンジの先に見えた景色

一日一話が限界!

 今日のこともあって、昨晩はいつもより早く床についた。しかし、どうしてかいつもよりも寝ている気がしないくらい、浅い眠りになってしまった。


 梅雨時であるものの、外は最近では珍しく晴れ渡っていた。湿気のない代わりに、寝間着のTシャツの首元にジメっとした不快感があった。どうやら昨晩から今朝に渡り、随分と寝苦しい室温になっていたらしかった。


 寝間着を着替えて、始発に乗るべく家を出た。朝食は、いつも通り食べなかった。


 電車の中は、日曜日ということもあっていつもよりも更に乗車客が少なかった。

 電車は嫌いだった。何もしない時間が嫌いだから、嫌いだった。


 ただ今日の僕は、電車の中いつにもましてソワソワとしていた。一歩間違えれば不審者にしか見えないくらい、ソワソワしていた。


 数週間の準備期間。

 それまでに、してきたことは数知れず。


 全ては今日の、数時間のために。


 そのために僕は、チャレンジを続けてきた。続けてきたのだ。


 今日は、件の演奏会の日。

 僕の今日までの練習の成果を発表する日だった。



   *   *   *


 学校に着いて、一人トランペットを吹いていた。いつもよりも、口の中が乾いているのがわかって不快だった。

 演奏会当日の今日、皆がすぐに登校してこないことはわかっていた。会場へ重い荷物を運送するトラックを見送ったのが、昨日。ああいう場で男子が重宝される故、女子に勝るとも劣らない僕が荷物運びに駆り出されたのは至極必然だった。おかげで今は、腰が痛い。

 演奏会前からこんな調子。満身創痍だなと思った。


 ただそう思って笑うことも出来ず、むしろ一層気落ちしたのは相当僕も参っている証拠だと思った。


 まあとにかく、楽器もない。演奏会当日ということもあって、今日の部員達の集合時間は平日の日よりも遅く設定されていた。

 だからこんな時間に誰も来ないことを、僕は知っていた。


「……何やってるの、あなた」


 そんな僕がトランペットの音色を止めたのは、いるはずもない吹部部員の一人が、目を細めて僕を見ていたからだった。


「吉田さん」


 今回相当お世話になったチューバの吉田さんがそこにいた。驚いたものの、何とか声は紡げた。


「今日は別に、早朝来る必要ないって先生言ってたじゃない」


「……そういう君こそ」


 思ったことを告げると、吉田さんは目を丸くして、途端顔を赤くした。


「あ、あたしは良いの」


「え、そうなんだ」


 良いのなら、そうなのだろう。

 この数日、いつだって正しいことを言う吉田さんに、僕はすっかり飼い慣らされていた。


「……信じちゃうのね」


「ん? 何か言った?」


「別に?」


 吉田さんは面白くなさそうにそっぽを向いて、僕の隣に腰を下ろした。


「それで、どうしてこんな時間から遠藤君はいるのよ」


「……別に、大した理由はない」


 言いながら、嘘をついたと心苦しくなった。


 口の中の急激な乾き。

 時間が経過するほどに高鳴る心臓。

 落ち着かない気持ち。


 茹だる気温を言い訳にもしようとしたが、どうやらそれは無理らしい。時間の経過とともにそれを自覚していった。


 演奏会当日。


 たくさんのことにチャレンジし、その成果を発揮するこの舞台。

 僕は、緊張していた。


 久しい感情だった。

 緊張とは無縁の男だったと自負している。


 緊張するほど、トランペットに情熱を注いでいなかったから。

 生活の一部であるトランペットを吹くことで、こんなに緊張する日が来るとは思っていなかった。


「遠藤君、あなたって本当に素直じゃないわね」


「そうかい? 君が言うなら、そうなんだろうね……」


 どうやら筒抜けらしい僕の気持ち。

 吉田さんに苦笑を見せて、僕は俯いた。


 他人に気持ちを悟られるほど、今の僕には余裕がないことに、少しばかり深刻さを感じていたのだ。


「……いつもより、ヤケに素直。なんだか調子が狂う」


「……ごめん」


「謝る必要はないわ。緊張しているんなら、仕方ないじゃない」


 そう言って、吉田さんはため息を吐いた。呆れられたのかと、少し身構えた。


「緊張するくらい、この日にかけていると言うことよね」


「……そうかもしれない」


「なら、思う存分やると良いわ。失敗したら、フォローするから」


「さすが、チューバ。縁の下の力持ち」


「やかましい」


 微笑む吉田さんを見て、少しだけ肩の力が抜けていくのがわかった。


 ……他人なんて、碌な奴はいないと思っていた。

 これまでの人生が、僕にそうなんだと告げていた。


 しかし最近、それは少し違うのではないかと思うようになった。


 高校になり、地元と疎遠になり……出会った人達数人を鑑みて。


 優しい、夏菜さん。

 彼女と同じDNAを持ち、お節介な嶋田先輩。

 そして、支えて正してくれる吉田さん。


 そんな人達の姿を見て、少しだけ僕の気持ちは変わり始めていた。


 僕の価値観が間違っていたのだと、彼女らは告げていた。


 多分、これが僕がチャレンジしてきたことの成果なのだろう。

 苦手だった人付き合いを少ししてみたからこそ、ようやく僕は自分の間違いに行き着くことが出来たのだろう。


 チャレンジすること。


 嫌なことにチャレンジし、ぶつかってみること。

 楽な道では決してない。嫌なことをすることはそれだけで辛いことだってある。


 でも、成功した果てに見える景色はこんなにも美しく、愛おしい。


 チャレンジしてみて良かった、と僕に思わさる。そう思わされるくらい、気持ちが昂る。




「……もし下手こいたら、お願いね」


「わかった」




 微笑む彼女に、僕も微笑んだ。

 多分、初めてだった。

 他人に自分の重荷を一緒に背負ってもらうことは。


 こんな日が来るとは思っていなかった。他人を頼り、それを良しと思う自分がいるだなんて、思いもしなかった。


 高い高い壁にぶち当たり、今のままでは駄目だと思った。だからこそ僕は……多分、ほんの少しだけ成長出来たのだろう。


 チャレンジすることの大切さを、知らしめさせられたのだろう。


 かなりしばらくして、部員達が集い始めたので僕達は音楽室へと移動した。

 顧問の碇先生の話を聞き、手短に最終ミーティングをしてバスで移動した。設営の準備を有志の人と一緒にし、それからまもなく開門の時間はやってきた。


 ホール内の一室で、最後のミーティングをした。さっきまでいた廊下には、集い始めていた観客の声が聞こえていた。


「遠藤君、ソワソワして大丈夫?」


 落ち着かない僕を宥めたのは、夏菜さんだった。


「……大丈夫」


「そう? ……何かあったら言ってね」


「うん。ありがとう」


 嘘だった。

 刻一刻と迫る出番に、僕は再び緊張が蘇っていた。しかし弱音を吐きたくなかった。他でもない彼女に、弱音を吐きたくなかった。


 武者震いなのか。


 緊張する拳を握って、額を二度ぶった。衝撃と共に、そこが少し熱くなった。感覚はまだ、鈍っていないらしかった。


「よし、行ってこい」


 顧問の先生が言った。

 時刻を見れば、演奏会開始の五分前。トップバッターは、僕達一年生の合奏だった。


 浮足立つ気持ちを抑え、廊下を歩き、舞台袖に向かった。


「集合」


 舞台袖で吉田さんが小さく聞きやすい声で言ってきた。一年全員が、集った。


「皆、ようやくやってきた演奏会の場です」


 吉田さんは落ち着いた口調で言った。


「緊張している人はいませんか? いますね」


 吉田さんに微笑まれ、僕は途端に顔をカーっと赤くした。

 クスクスと、周囲から笑い声が聞こえた。


「緊張する必要はありません。これは本番だけど、お祭りの場なんだから。皆で楽しんで。楽しみましょう。ね、遠藤君」


「……うん」




「一番頑張ってきたんだから、大丈夫よ」


 

 

 慌てて、顔を上げた。

 微笑む吉田さんは、先日まで毛嫌いしていた彼女からは想像もつかないような微笑みを、僕に見せた。


 隣の人は、疑う余地はないと言いたげに苦笑し、激励とばかりに僕の背中を叩いた。


 ……これが。


 これが、チャレンジした結果なのだろうか。


 美しく、愛おしく……甘美なこれが、チャレンジした結果なのだろうか。


「さあ、行きましょう」


 檀上へと向かうと、僕達は拍手で迎えられた。


 ……それからは記憶が酷く曖昧だった。


 ただ。


 ……ただ。


 美しい景色を、拝んでいたのは覚えていた。



 練習の成果を。

 チャレンジの成果を。


 浮足立ちながら、されど確実に紡ぎながら、僕はこなしていった。


 いつの間にか、学年演奏は終わっていた。何をしていたのか。上手く出来ていたのか。記憶は定かではなかった。


「どうだった、遠藤」


 いつの間にか、僕は舞台袖にいた。そこで嶋田先輩に声をかけられた。


「……え、ああ」


「大丈夫か?」


「……はい」


 上の空になりつつ、僕は頷いた。

 頷いて、ゆっくりとさっきまでの演奏を思い出していた。


 これまでとは違う、景色だった。


 様々なコンクールに出てきたが、そのどれとも違う景色を、僕は目の当たりにした。


 思い出せば思い出すほど、心が奮い立った。


 ただ、奮い立つ心に。昂る感情に。




「早く、次の曲が吹きたいです」




 早く、再びあの場に立ちたい。

 早く、あの曲を演奏したい。


 そう思った。出番なんて待てないくらい、そう思った。


「そっか。でも残念だけど、次の出番の時間は決まってる」


「……そうですか」


 昂る気持ちが静まっていく。


「ちょ、そこまで凹むな。びっくりするだろうが!」


 嶋田先輩は慌てる姿は、結構珍しかった。


「……次の演奏までに考えておけよ」


「え?」


「どうすれば、もっと楽しい舞台に出来るか。どんなチャレンジをすれば、もっと凄い体験が出来るのか」


「……どうすれば」


「おう。じゃあ行ってくる」


「あ、はい」


 それから待合室に戻り、僕は一先ず最初の演奏が完遂出来たことを喜ぶ一年生に交じらず、一人嶋田先輩の言いつけを考えていた。


 どんなチャレンジをすれば、もっと凄い体験が出来るのか、か。


 チャレンジすること。

 それの重要性を、彼、彼女らとの関係の変化で。さっきの演奏で。


 僕は、明確にさせられた。

 嫌な気持ちはまったくなかった。

 むしろ、チャレンジしてみて拝めたあの景色に。


 感動。歓喜。

 様々な感情を、僕は味わわされた。


 そんな体験を、どうすればもっと素晴らしいものに出来るのか。


 どうすれば……。




 考えてみて。


 答えは、あっさり僕の前に落ちてきた。


 なんてことはない。



 

 

 多分、今僕が出来ることを精一杯すればいいんだ。


 僕はこれまでのチャレンジで、多分僕が出来ないことは一度だってしてこなかった。


 人付き合いも。

 ダンスも。

 演奏も。


 毛嫌いしていただけで……それは決して、僕が出来ないことではなかったんだ。


 臆していた一歩を踏み出せば、出来ないことではなかったんだ。




 だから、今出来る精一杯をやりきってみせよう。




 精一杯を、チャレンジしてみよう。




 そう思い、出番はやってきた。


 ローマの祭り。第一曲『チルチェンセス』。

 今から約二千年前、古代ローマ時代。暴君ネロが王として君臨する、かの時代。


 場所はイタリア、コロッセオ。


 行われるのは、ローマ帝国による初めてのキリスト教徒の公開処刑。


 群衆の歓声を思わせる轟音。


 そして、ファンファーレ。


 舞台の端に、中川先輩と嶋田先輩と並び、僕はトランペットを吹いた。

 華やかで勇ましいファンファーレ。その実、その音色の先に待つのは、悪夢。


 それは今の時代ではとても祭りとは呼べない代物。

 しかしかつての人にとってそれは確かに祭りだった。


 まさしく、僕が知る人間の醜悪さの塊とも思えた。




 ……しかし、時が移ろい、過ぎていき。


 人は変わっていく。


 この曲はまるで……僕の将来の暗示のようだと思った。


 僕はようやく、その一歩を歩み始めたのかもしれない。




 そして。

 その第一歩を踏み鳴らした僕が、目の当たりにした景色は。


 ファンファーレを吹き終わり、トランペットパートの群衆に戻る最中、眼前に飛び込んできた光景は……。





 多分、僕の記憶から一生なくなることはないだろう。

楽器演奏したことないから塩梅わからん。前々から音楽関係の物語書いてみたいと思い書いてるがこんなんでええんか、有識者。教えて、有識者。


第一章、終わりです。


評価、ブクマ、感想宜しくお願いします。

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