わたくしと義弟の思い出9
視界いっぱいにナイジェルの美貌が広がる。彼は大きな瞳を瞠ったまさに驚愕という表情をして、こちらに倒れ込んできた。間抜けな顔をしていても義弟の美しさは衰えないのね。
そんなバカなことを、悠長に考えていると……
――あ、ぶつかる。
そう思った時には、すでに遅かった。
「ふぎゃっ!」
「いたっ!」
小さな子供の体とはいえ、十分な重さ、そして倒れ込む勢いがある。わたくしとナイジェルは頭をぶつけ合い、そのまま長椅子に倒れ込んだ。
目の前に星が散ったような気がする。この義弟、石頭ね!!
「い、痛い……」
涙目で身を起こそうとした時、体が上手く動かないことに気づいた。狭い長椅子の上で、ナイジェルに押し倒されたような状態になっていたのだ。
ふわりと彼の香りが漂い、長い銀色の髪がこちらの頬をくすぐる。ナイジェルは大きく目を見開いたままわたくしを見つめていて、それが少し恐ろしい。
……ここまで至近距離でナイジェルの顔を眺めたことがなかったけれど、本当に女神のような神々しさね。なにも塗っていないのに、どうしてお肌がこんなに白いのかしら。毛穴もまったく見えないし……。睫毛も信じられないくらいに長い。何本マッチが乗るのかしら。目も濁りの無い空の色ね。まるでお人形の瞳みたいだわ。
そんなことを考えながら絶世の美貌を観察していると、ナイジェルの喉がなぜかごくりと音を立てた。
「ナイジェル、どうしたの?」
「…………」
声をかけてみても義弟は固まったまま身動き一つしない。ぐいぐいとその胸を押しても、細身に見えるナイジェルなのにびくともしなかった。……困ったわね、これじゃ動けないじゃない。
「……ナイジェル? どこか妙なところをぶつけた?」
打ちどころが悪かったのかと心配になって手を伸ばし、綺麗な額を撫でてみる。うん、たんこぶはできていないみたい。むしろわたくしの額のほうが心配。だってズキズキと鈍い痛みを感じるんですもの。
しばらくそうやって額を撫でてあげていると……義弟の顔が一気に赤く茹で上がった。
「――ッ! 申し訳ありません!」
ナイジェルは我に返ったらしく、慌ててわたくしの上から飛び退いた。良かった、あのままでは体が痺れてしまいそうだったから。わたくしは身を起こすと、自分の額をさすさすと擦る。うん、やっぱりちょっと痛いわね。
義弟は真っ赤になったまま、なぜかもじもじとしており……その様子は少しだけ不気味だ。
「お前、どこか妙なところをぶつけた? なんなら医者を呼ぶけれど」
「……へ、平気です。お医者様は必要ありません!」
ぶんぶんと激しい勢いで頭を振ってから、ナイジェルは上ずった声でそう返す。異常がないのなら、まぁ良いのだけれど。
「ち、近くで見た姉様があまりに綺麗で、その……びっくりしただけです」
その言葉にわたくしは目を丸くした。
……わたくしが、綺麗? やっぱり強く頭を打ってるじゃない!
「……変なところをぶつけたのね。綺麗なのは、お前の方じゃないの」
「――ッ!?」
ナイジェルは赤い顔を、さらに真っ赤に染め上げる。そして「姉様が、僕を褒めてくださった……」と、よくわからないことをぶつぶつと呟きはじめた。
……褒めてないわよ、事実を言っただけで。
「ナイジェル、お医者様をやっぱり呼ぶわ。だから部屋に戻りなさい」
「姉様、僕は平気です」
「心配だから、早く」
「――ッ! 姉様が僕の心配を……!?」
わたくしが『綺麗』だなんて、きっと幻覚が見えているに違いないもの。これは確実に重症よ。わたくしだって人でなしではないのだから、心配くらいするわ。
重ねて何度も説得すると、ナイジェルは渋々という様子で部屋へと戻って行った。
……あの『絵』が無いことに気づいたのは、それからしばらくしてからのことだった。
翌日。義弟の部屋で立派な額に入れられたそれを発見するなんて……わたくしは思ってもいなかったのだ。
姉様的には屈辱なのです(´・ω・`)