義姉は感情を持て余す12
口づけは頬に数度落ちた後に……唇にも落ちようとする。だけどナイジェルは途中でその動きを止め、淡い吐息だけが唇に触れた。
唇同士が重ならなかったことに、わたくしは安堵と少しの落胆を覚えてしまう。
遠ざかっていく美しい唇を見つめていると、それはふわりと笑みの形を作る。こちらに向けられた青い瞳の眦は愛おしい者を見るかのように優しく下がり、その柔らかな変化に胸が強く締めつけられた。
「姉様、申し訳ありません。こんな血生臭い場所で口づけなんて、お嫌ですよね」
「そ、そうね?」
そんなことを言われて、つい同意を示してしまう。するとナイジェルは嬉しそうに瞳を細めた。
嫌だわ、同意なんてしてしまったけれど。
……これでは、血生臭くない場所であれば口づけをしてもいいみたいじゃない。
ナイジェルの言う通りに空気は錆のような匂いに満ちており、周囲からはうめき声が聞こえ続けている。凄惨な状況を改めて意識した瞬間に、肌がぞくりと粟立った。
地面に伏しているのだろう男たちに視線を向けることが、恐ろしくてできない。自分がこんなにも弱虫だなんて、思ってもみなかったわ……
「姉様、失礼」
ナイジェルはわたくしの頭を抱え込み自身の胸に押しつけて、周囲の光景が見えないようにする。そして、どこかに向かって歩き出した。きっと、警備兵を探しに大通りに行くのだろう。
「ナイジェル。自分で歩くから下ろしてちょうだい?」
抱えられたままであることが今さらながらに恥ずかしくなったわたくしは、ナイジェルにそう頼んだ。けれど……
「まだ、お体が震えています。お一人では歩けないのではないかと」
気遣う口調でそんなふうに返され、自分が未だに体を震わせていることを自覚する。ナイジェルの言う通り、これではまともに歩けはしないだろう。
「……わたくしは、情けないわね」
ナイジェルは、こんなにも平然としているのに。騎士としての場数を踏んだ義弟と、令嬢である自分を比較するのはおかしいとわかってはいるけれど……。理解はできても、やっぱり歯痒い。
「姉様は情けなくなんてないです。敵意を持つ集団に遭遇したら、怖くて当然ですから。私も慣れないうちは怯えてしまい、マッケンジー卿によく叱られていたんですよ」
「そう、なの?」
「ええ、そうです。慣れるまで、かなりの時間がかかりました」
そう言って、ナイジェルはふっと吐息を零す。
「それに……姉様が怖い目に遭ったのは、恐らく私のせいなので。本当に、申し訳ないと」
恐らく、こちらに聞かせるつもりはなかったのだろう。消え入るようにつぶやかれた言葉に、わたくしは目を瞠った。
この子は――自分の立場と襲われる理由をちゃんと理解している?
そうだとしたら。わたくしと血が繋がっていないことも、理解しているの……?




