義姉は感情を持て余す10
ナイジェルはこちらを見つめた後に、オロオロとした表情になる。そして荷物をすとんと地面に置くと、両手をこちらに向けて広げた。そんな彼の様子に、わたくしは首を傾げてしまう。
「……ナイジェル?」
「その、なんだか気落ちされているようなので。お慰めしたいなと」
――この子は、本当になにを言っているのかしら。
いつものように無表情に見えるけれど、よくよく見ればナイジェルの頬は赤い。そしてその青の瞳は、奇妙なくらいに真剣な光を放っていた。
ちょうど人通りのない路地を歩いているところだったので人目はなく、なにをしていても誰かに見られるようなことはない。けれど……
「馬鹿ね、どうしてお前に慰められなくてはならないの。わたくし子供じゃないのよ」
そんな表情のナイジェルと見つめ合っているとなんだかおかしくなってしまって、わたくしは口元を押さえてつい噴き出した。くすくすと笑うわたくしを見つめながら、ナイジェルもふっと表情を緩める。そしてこちらに大きな一歩で近づくと……逞しい腕でわたくしの体を抱きすくめた。
「お気持ちを慰めさせてください、姉様」
腕に少し力が入り、顔が胸に押しつけられる。硬い胸板が頬に当たり、義弟の香水の香りが柔らかく漂った。
「ナイジェル、なにを……」
「私は、姉様のことが世界で唯一大事です」
「――ッ」
「そんな姉様が浮かない顔をしているのですから、慰めたくなって当然でしょう?」
大きな手が背中を撫で、優しく擦る。その動きは背筋と感情をぞくりと震わせた。
心臓が大きく鼓動を刻み、体越しに伝わってしまうのではないかと心配になる。
身を離そうとして……この体温から離れがたい気持ちになっていることに、わたくしは気づいてしまった。
抱擁を許容するようにふっと力を抜けば、さらに深く抱き込まれつむじに口づけられる。ナイジェルから与えられる体温や唇の感触が……胸にとある感情を募らせていく。
――わたくしは、きっとナイジェルのことが。
「……姉様、失礼」
ナイジェルの緊張感を帯びた声が空気を揺らした。そして身を離され、背後に素早く隠される。
わたくしは数瞬呆気にとられた後に、ようやく状況に気づいた。
いつの間にか数人の男たちに――囲まれている。彼らはそのあたりを歩いていても不自然ではない、平民のような服を身に着けている。しかしこちらを取り囲み円を狭めていくその動きは、とても素人のものとは思えなかった。
この男たちは……ナイジェルを狙う暗殺者たちなんだ。路地裏でぐずぐずしていたのが、裏目に出たらしい。
『あの日』の日傘の女の姿が、恐怖とともに脳裏に蘇る。
体が激しく震え、その場にへなへなとへたり込みそうになるのをわたくしは必死で堪えた。
――しっかりしなさい、ウィレミナ・ガザード。王家の血をお守りするのよ。
わたくしが気を引けば、ナイジェルが逃げる時間くらいは作れるかしら。ナイジェルは、鍛えられた騎士なのだもの。きっと逃げられるはず。
そんな思考を巡らせ、震える足を動かして前に出ようとすると……
「姉様、前に出ないでください。今の私は貴女を守れると――そう証明しますから」
ナイジェルは凛とした声でそう言い放ち、すらりと腰の剣を抜き放つ。
そして――ふだん通りの落ち着いた笑みをわたくしに向けた。




