義姉は感情を持て余す6
「わざわざ足をお運びいただき、ありがとうございます……!」
奥からやって来た男性が、こちらへと歩み寄ってきた。真っ白な厨房服と綺麗に切られた爪は、清潔感を感じさせる。年の頃は三十代に入る頃合いだろうか。この若さでこんなに店を盛り立てているなんて、きっとやり手なのだ。顔立ちはかなり整っていて、彼目当ての女性客も多いのだろうという想像が容易にできた。
「貴方が、この店の店主かしら?」
「は、はい。そうでございます」
店主は声の震えを抑えながらそう言って、ぺこりと頭を下げた。
ふだんから貴族相手の商売には慣れているだろうに、その額には薄く汗が浮いている。『ガザード公爵家』の名前は、それだけ重いものだ。
「今日はこちらの店内で食べられるという、評判のお菓子を食べに来たの。どんなものか楽しみにしているわ」
「そ、それは光栄です」
顔には笑みを浮かべつつ、威圧しないようにしゃべっているつもりなのだけれど、店主の緊張はなかなか抜けない。仕方ないかと思いながら、席への案内を促そうとした時――握られた手に力が込められた。ちらりと見れば、ナイジェルの眉間には小さく皺が寄せられている。なにか、不機嫌ね。
「……ナイジェル?」
「席へ案内してください」
ナイジェルは低い声音で言うと、繋いだ手を解いてわたくしの肩を抱いた。義弟の行動の意味がわからず、わたくしは目を白黒とさせてしまう。ナイジェルの手は大きくしっかりとしていて、引き寄せられたことにより触れ合った体は逞しい。離れようと身を捩っても、鍛え上げられた騎士の体がそれを許してはくれなかった。
「はいっ! こちらへ!」
店主は慌てて、わたくしたちを店の奥にある何人も座れそうな広いテーブルへと案内する。彼に導かれて歩く間も、ナイジェルはわたくしの肩を抱いたままだった。店主はメニューと水を置くと「お決まりになりました頃に、また参ります」と言って、そそくさと混み合う店内へと身を翻した。
広いテーブルにも関わらずわたくしの隣に座ったナイジェルは、どこか不機嫌な様子だ。彼はコップを手に取ると水の匂いを嗅ぎ、わずかに口に含んでから「毒は入っていないですね」とつぶやいてこちらに渡した。
「もう、毒見役なんてしなくていいの。わたくしたちがここに来ることを事前に知れたのは、お前しかいないんだから。それに……毒が入っていたら、ナイジェルが危ないでしょう?」
「私は平気です。毒消しを飲んでから来ておりますので。大抵の毒は、腹を下すくらいで済みますよ」
「まぁ……あんなものを飲んでいたの?」
ナイジェルの言う毒消しは、たしかに毒を中和するものだ。しかしその薬自体の毒性が高く、その薬によって数日寝込んでしまうような代物なのである。つまり……常用にはまったく向いていない。
ナイジェルは平気そうにしているから、その毒消しを飲み慣れているのかもしれないわね。
――自分の身を守るために、飲みはじめたのかしら。
薔薇園の時のような暗殺者に、たびたび狙われているのだろうか。それと思うと心が痛む。
そして本来ならば、毒見をしないといけないのはわたくしなのだ。だってナイジェルは、隠れされているとはいえどれっきとした王族なのだから。
「姉様、なにを食べますか?」
「そうね、なににしようかしら」
訊ねられ、ハッとしながらメニューを開く。するとそこには、可愛らしい挿絵と文字でメニューの説明が羅列されていた。
「まぁ、可愛らしい。そして、とても美味しそうね」
心躍るラインナップを眺めていると、ナイジェルがぴたりと身を寄せてくる。そしてわたくしの手元のメニューを覗き込んだ。メニューは二冊あるのに、どうしてわざわざわたくしのを見るのかしら。この子は、本当にくっつき虫ね。
ちらりと視線をやれば、にこりと微笑まれる。顔同士が思っていたよりも近くて、綺麗な青の瞳が目の前にあり心臓がどきりと鳴った。
……そういえば。
「さっきはどうして、急に肩なんか抱いたの?」
「……理由は、特に」
気になっていたことを訊ねると、どこか歯切れの悪い返事が返ってきた。その答えに、わたくしは首を傾げる。理由もなしに、あんなことをするものかしら。
「もしかして、妬いたとか?」
冗談のつもりで、先ほどナイジェルから言われた問いを投げてみると――
「……そうですよ、妬きました」
少しばつの悪そうな顔で言った後に、ナイジェルは顔を真っ赤にして口元を手で覆う。
その濃い色香が漂う様子を目にして、わたくしはぽかんとだらしなく口を開けてしまった。
おデート回はもうちょっと続くんじゃよ(n*´ω`*n)
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