義弟の旅立ち1(ナイジェル視点)
薔薇園で刺客によって危害を加えられた姉様は、まだ意識は戻っていないものの一命を取り留めた。医師いわく、毒が抜ければ自然に意識は戻るらしい。それまではそっとしておくしかないそうだ。
「毒が付着した針が掠めただけで――本当に良かった」
ガザード公爵は寝台に寝かされた姉様の手を握り、涙声で安堵の言葉を漏らした。その憔悴しきった様子に罪悪感は刺激され、ずきりと胸が痛む。
僕が軽率にどこかに行こうだなんて誘ったせいで……姉様はこんな目に遭ったのだ。
姉様は僕を庇ってこうなった。つまりあの刺客は――僕を狙っていたに違いない。
僕は……姉様を守れなかった。
それどころか、守らなければならない人に守られてしまった。騎士気取りで毎日鍛錬をしていたくせに、それは現実の脅威の前ではなんの役にも立たなかった。
その情けなさと悔しさで――胸が張り裂けそうになる。
涙が瞳にせり上がりそうになるのを、僕は必死に堪えた。
泣いてなんかなるものか。これ以上弱い男にはなりたくない。
刺客はあの後、口中に仕込んでいた毒を飲んで死亡した。陛下と公爵が何者からの差し金なのか調査をしている最中だが、尻尾がなかなか掴めないらしい。秘匿されている僕の正体を知っており、公爵にすら尻尾を掴ませないような人物となると……相当な大物なのだろう。
刺客を放ったのがどこの誰だったとしても――絶対に正体を暴き、罪を償わせてやる。
姉様の顔は紙のように白く死人のようで、その呼吸は荒い。
その痛ましい様子を見つめながら、僕は奥歯を強く噛みしめた。
「公爵、申し訳ありません。僕のせいで姉様が……」
僕は公爵に……いや、姉様の『父親』に深く頭を下げた。すると公爵は首を横に振り、僕を安心させるように優しい笑みを浮かべた。
「娘は臣下として立派にお役目を果たしただけです。貴方がお気に病むことはない」
そんなバカなことがあるものか。そうは思ったけれど口には出せない。
公爵が『父親』としての心を殺して、そう言ってくれたのがわかっていたから。
「……ありがとう、公爵」
だから僕はまるで彼の『主』であるかのように、礼を言うだけに留めた。
「さて。騎士学校へ入学する日が近づいておりますが、貴方はどうされたいですか? 屋敷に居た方が当然安全ですので……私としては入学の取り止めをお願いしたいのですが」
公爵が顎に手を当てながら訊ねてくる。そう……騎士学校への入学がすぐそこまで迫っているのだ。
公爵家に居ては、また僕のせいで姉様を危険にさらしてしまうかもしれない。
今の僕では……その時に姉様を守れない。
それを薔薇園での出来事で、痛いくらいに実感した。だから――僕は。
「騎士学校へ予定通りに行きます。そして我が身と、姉様を守れるように己を鍛えてから戻ります」
公爵をしっかりと見つめてそう返すと、彼は仕方ないなと言うように深いため息をついた。僕は公爵にとっての大事な『代替品』だ。選択肢は与えたものの、本当はここに居て欲しいのだろう。
「では、せめて最強の護衛を付けましょう」
……『最強』。
公爵のその言葉に少し嫌な予感を覚える。
「マッケンジー卿、話は聞いていましたよね?」
公爵が部屋の入り口に向かって声をかけると、扉はノックもなく開かれた。そしてすっかり見慣れてしまったマッケンジー卿がひょこりと顔を出す。
「聞いていましたぞ。そこのへなちょこを守りながら、騎士学校でも今までと同じように鍛えてやればよいのでしょう?」
マッケンジー卿はそう言って、にかりと明るい笑みを浮かべた。
たしかに彼は頼りになる。稽古をつけてもらうようになってから、その強さは実感として身に沁みていた。悔しいことに……僕はこの老齢に差し掛かった男の足元にも及ばない。
しかしだ。騎士学校のカリキュラムをこなしながら、今までと同じようにこの男に鍛えられたら……刺客に殺されるまでもなく僕は死んでしまうんじゃないだろうか。
いや、これもきっと強くなるための試練だな。
「……貴方が僕の護衛ですか? 近衛騎士団団長というのは暇なのですね」
背中に大量の冷や汗を垂らしながら、強がりを言ってみせる。
「『王族』を守るのが俺の仕事だ。これもちゃんとした業務だよ」
食えない男はそう言うと、快活な笑い声を立てた。
マッケンジー卿はすべてを知っているのです。




