義弟の回想5(ナイジェル視点)
僕が公爵家に来てから、一ヶ月が経った。
公爵の指導が行き届いているのか、想像していたよりも公爵家の居心地は良い。そして、いい意味で予想に反して……姉様はとても素敵な人だった。
姉様が『不義の子』である僕を悪し様に扱う可能性も当然考えていたのだけれど、そんなことは一切なく。彼女はいつも強い口調で僕を叱るけれど、それは明らかに僕に非があることでだけだった。
理不尽を言われたことは、後になって思い返してもただの一度もなかったのだ。
「ナイジェル! こんなふうにしていたら、みっともないと笑われるわよ。きちんと結びなさいな。こんなことも出来ないの?」
今日もウィレミナ姉様は怒った口調で言いながら、僕の胸元に目を向ける。そこにはいびつな形になったアスコットタイがあった。今までタイなんて結んだことがなかったから、自分で結ぶとどうしても不格好になってしまうんだよな。
今度からは……こういう装飾品がない洋服を用意してもらおう。
そんなことを僕が考えていると……
「お前はガザード公爵家の者なのよ。これくらいちゃんと結びなさいな」
眉間に深い皺を寄せながらウィレミナ姉様が近づいて来る。そしてアスコットタイに白い手を伸ばした。どうやらタイを結び直してくれるつもりらしい。
ふわりと甘い香りが漂い、姉様との距離がぐっと近くなった。僕たちは身長があまり変わらないから、僕の顔のすぐ近くに姉様の顔がある。少し前に出たら姉様の額に口づけが出来る距離だと意識すると……心臓がうるさいくらいに高鳴った。
綺麗な指がタイを解き、器用に結び直していく。
姉様はなんでもできる。それは才能に寄りかかったものではなく、真摯な努力の賜物だ。僕は姉様のそんなところを尊敬していた。姉様自身はそんな自分を『凡庸だ』と悔しく思っているようだけれど。だけど努力で自分を高められる人は、姉様が思っているより少ないと思う。
「ちゃんと見ていなさいよ。そして覚えるの。いい?」
黒目がちな瞳が僕を捉える。それは夜闇のように深い色で、とても綺麗だ。
「どう、覚えた?」
「……まだ覚えられないので、もう一度結んで見せて欲しいです」
「もう、お前って子は。本当にバカなのだから!」
不満げに薄紅色の唇を尖らせながらも、姉様は綺麗に結んだタイを解いた。
……姉様は優しいから、こうやってワガママを言っても大抵は受け入れてくれるのだ。
細い指がタイを再び結びはじめ、さらりとした黒髪が鼻先を掠めた。時折体が触れ合って、そこから姉様の熱を感じる。
姉様が近くに居るのが嬉しくて……僕は何度も何度もタイを結んでもらった。
そして最終的には本気で怒られて、少しだけ反省をした。
この頃にはもう――僕はウィレミナ姉様のことが好きだったのだ。
『うちの娘と結婚をしガザード公爵家に入ってもいい』
ガザード公爵に言われた言葉を思い返す。
この優しくて温かな存在と共に居られるのなら――僕はなんだってしよう。
公爵に利用されることだって厭わない。
姉様に相応しい存在になって……ずっと一緒に居たいんだ。
そう、思っていたのに。
まさか僕の『存在』が――姉様の害になってしまうなんて。
姉様は甘えられると弱いのです。




