わたくしと義弟の思い出3
ナイジェルが我が家に来てから、一週間が経った。
彼の至らないこと――勉強が進んでいないとか、初級のダンスすらまだ踊れないとか――を指摘するという方法でわたくしは日々義弟いじめに励んでいる。
すべて事実の指摘だから、わたくしの品格も落ちていないわよね!
ナイジェルは貴族家の出自のくせに満足な教育を受けていなかったらしく、指摘することが山ほどある。だからいじめのネタには事欠かなかった。
彼の元の家は一体どんな環境だったのかしら……必要最低限の教育もしていないなんて。嫡男でなくても、場合によっては領地経営に携わる可能性がある男子なのよ。
爵位しかなく、領地がない家の子だったのかしら。俸給のみだと家庭教師を付けるのも大変なのかもしれないわね。
もしくは、よほどの放任主義か――虐待か。
それを想像をするといじめの手が緩みそうだったので、わたくしは考えることを放棄した。
このいじめの方法には一つの誤算があった。
それは至らないことを指摘すると、ナイジェルが真顔で教えを乞うてくることだ。
家庭教師も付けてもらったのに、どうしてわたくしに訊くのかしら。
もちろん突っぱねているのだけれど、この義弟はなかなかしつこい。なので近頃は根負けする場面も増えていた。
「ウィレミナ姉様、これはどういう意味なのですか?」
「自分で考えなさいな。お前は本当にバカね」
「……僕はバカなので、一人ではわからないのです」
殊勝なことを言いながらも、義弟は恐ろしいくらいに無表情である。ナイジェルは表情筋が死んでいるらしく、いつもこの調子なのだけれど。見たこともないくらいに綺麗な顔に、無表情でぐいぐい来られるのは正直怖い。
そんなわたくしとナイジェルの様子を、使用人たちはいつも微笑ましげに見つめていた。
義弟をいじめる義姉を見て、なにが楽しいのかしら? あまりいい趣味とは言えないわよ?
ナイジェルもどういう感情で、いじめを行うわたくしに教えを乞うているのかしら。
「二度は説明しないわよ。ほら、本を見せなさいな」
「はい、ウィレミナ姉様」
「姉様と呼ぶのは止めなさいと何度も言っているでしょう。わたくし、お前の姉になった覚えはないの」
「……僕にとっては、貴女は姉です」
ツンとした口調で言うと、少しだけ眉尻を下げて悲しげな顔をされる。
……こんな時だけ表情を動かすなんて、ずるい子ね。さすが毒婦の息子だわ。
わたくしとナイジェルはしばらく見つめ合った。わたくしは見つめているわけではなくて、睨んでいるのだけれど。そして根負けしたのは……こちらだった。
「……仕方のない子。わたくしを姉と呼ぶのなら、それに見合う努力をなさい」
不出来な者に『姉』なんて呼ばれたくないもの。
「はい、ウィレミナ姉様」
許可を出すとナイジェルは神妙に見える面差しで何度も頷いた。
「それで、どこがわからないの?」
訊ねながら体を寄せて本を覗き込む。すると同じ長椅子に座っているので、ナイジェルとひたりと肩が触れ合った。視線を感じてそちらを見ると、ナイジェルがじっとわたくしを見つめている。
その青の瞳は――少し怖いくらいに澄んでいた。
心臓がバクバクと大きな音を立てる。義弟から視線が逸らせず、わたくしは激しく混乱した。レディを不躾に見るものじゃないと、叱るべきかしら。というかどうして見つめられているのよ!?
ナイジェルからの視線がふっと逸らされる。そして白く細い指が本の一文を指した。
「ここが、わからなくて」
「……ああ、簡単な計算ね」
……今のは、なんだったのかしら。
まだ大きな脈動を刻んでいる心臓を片手で押さえながら、わたくしはナイジェルに問題の解の説明をはじめた。
お姉ちゃんのいじめ(仮)。