わたくしと義弟の思い出12
「テランス・メイエだ。君のお姉様の婚約者だよ」
わたくしがご紹介する前に、テランス様がそんなことを言う。
……まだ『婚約者候補』でしょう? いつの間に『婚約者』になったのかしら。
近いテーブルの女性たちが、こちらを見ながらひそひそと内緒話をはじめる。
貴女たち子爵家と伯爵家のご令嬢よね? 三大公であるガザード公爵家の娘にケンカを売るには、格が足りていないのではないかしら。お茶会はそういうことも含めて、きちんと『お勉強』する場なのよ?
軽く睨みつけると、二人の内緒話はぴたりと止まった。心なしか顔が青褪め、大量の汗もかいている。……やぁね、怖がるくらいなら最初からしなければいいのに。こういう方々って本当に多いの。
「……婚約者? お父様からも姉様からも、そんなお話は聞いておりませんが」
ナイジェルが眉間に深い皺を寄せながら、テランス様に噛みつくように言う。この子ったら、一体どうしたのかしら。ナイジェルに握られたままだった手を、抗議の意味を込めてぎゅっと強く握り返す。するとナイジェルは乙女のように頬を染めてから、わたくしにちらりと視線を向けた。
「ナイジェル、この方はわたくしの婚約者候補ですのよ。ね、テランス様」
「……『今』はそうだね。だけど私はいつだって、君の婚約者になりたいと思っているよ」
テランス様は金色の睫毛が縁取る瞳を伏せて憂いに満ちた表情を作る。
……わたくしの婚約者になりたい気持ちは、わかりますけれど。国で大きな権力を握り、王家の血も流れているガザード公爵家と縁続きになりたいのは当然ですもの。
「それは嬉しいお言葉ですわ。ですが現状は正確に言いませんと、いらぬ誤解を招きますわよ」
いつもはちゃんとわきまえているお方なのに。今日は本当にどうしたのかしら。
メイエ侯爵家とガザード公爵家の婚約話が本決まりになった……なんて噂になったら、その訂正にどれだけの時間が取られることか。
「……ウィレミナ嬢。可愛い君を困らせるつもりはなかったんだ」
「迂闊な発言はしないでください。大変迷惑です」
テランス様の謝罪に、ナイジェルの言葉が被せられる。わたくしは、扇子でナイジェルの腕をぱしりと軽く叩いた。
「ナイジェル、失礼なことを言うんじゃないの。テランス様、本当にごめんなさい」
「いや、大丈夫だよ。弟君は……『姉様』のことがとてもお好きなんだね」
唇に甘い笑みを乗せながら、テランス様はナイジェルに視線をやった。ナイジェルはその笑みを受け止めつつも、いつもの通りの無表情である。
わたくしがナイジェルに好かれている? ナイジェルをいじめてばかりの嫌な姉なのに、あり得ないわ。
いや……テランス様はこちらの内情なんて知らないから、妙な勘違いをしても仕方ないわね。
「……はい。僕は姉様を、心の底から愛しています」
「なっ!」
真剣な表情で紡がれたナイジェルの言葉に、わたくしは絶句した。
なんて特大の嫌味なの。薄々思ってはいたけれど、この義弟なかなかに性格が悪いわ。事実でない事柄で褒めてきたり、わたくしの『あの絵』を堂々と部屋に飾ったり……。報復される覚えはあるから、自業自得と言われてしまえばそうなのだけれど!
「ナイジェル! 変なことは言わないの」
ぱしりぱしりと扇子で数度腕を叩く。もちろん手加減はしているわよ!
するとナイジェルはじっとこちらを見つめた後に……わたくしの頬にそっと口づけをした。
こちらに意識を向けていた、周囲の参加者がざわりとざわめく。わたくしはナイジェルの行動の意味がわからずに、何度も目をぱちくりとさせた。
義弟のヤキモチ。




