浮かれる義弟とその課題3(ナイジェル視点)
長椅子に腰を下ろしたガザード公爵が、いつもながらの人好きのする笑みを浮かべて私を見つめている。そのゆったりとした挙動には、肉食獣のような『力ある者』の余裕が感じられた。
……この男のことが『人がいい』なんて言う人間たちが、信じられないな。
そんなことを考えつつ「久しぶりの親子水入らずだから」などという言い訳を口にし執事に退室を促してから、扉をしっかりと閉めて私は口を開いた。
「お久しぶりですね、ガザード公爵」
「お久しぶりです、ナイジェル殿下」
ガザード公爵はにこりと笑いながらそう言うが、起立する様子もない。
……彼に敬うような態度を取られても困るので、それで別にいいのだが。
どうにもからからかわれている感が拭えず、居心地がとても悪い。
「……その呼び方は、やめてください」
「ふふ、息子に対してよそよそしかったね。ナイジェルもガザード公爵などと他人行儀に呼ばずに、いつものようにお父様と呼ぶといいよ」
――殿下と呼ばれるのもむず痒いが、息子と言われるのはもっとむず痒い。
頬がわずかに熱くなり、眉間に皺が寄ってしまう。
そんなこちらの様子がおかしかったのかガザード公爵はくすりと笑い、身振りで着席を促す。私は長椅子に腰を下ろし、公爵に視線を向けた。
「……お父様」
「なんだい、ナイジェル」
ガザード公爵は人のよさげな笑みを口元に浮かべ、姉様に似た色の瞳を私に据えた。
用件などわかっているだろうに。そうは思ったが、話を続ける。
「ご側室に第二王子殿下がお生まれになりましたね。殿下は五体満足でご健康だと聞き及んでおります。……これで私は『お役目』から解放されるのでしょうか」
『そうだよ』という答えを期待しながら、ガザード公爵の回答を待つ。公爵はしばらくこちらを見つめ、「ふむ」と小さく声を漏らしてから口を開いた。
内心嫌な予感を感じながら……私は公爵の言葉を待った。
「なかなかそうはいかないんだよねぇ」
「それは、どういうことでしょうか」
「先日ね。第二王子殿下が、暗殺されそうになったんだ」
「……!」
「ご側室と第二王子殿下の身柄は、極秘裏に安全な場所へと隠されることとなったよ。表向きはご出産後の体調を考えての静養だとかそんな建前になるだろう。いつまであの方に見つからないかはわからないがね」
「つまり。第二王子殿下が無事お育ちになるまで、私の状況は……変わらないと?」
なんとも気の長い話だ。
第二王子殿下の無事な成長を待っている間に、姉様がテランス様と結婚してしまうじゃないか。
私を引き取った当初は。王妃様かご側室にもっと早くに、そして複数男児がお生まれになる……という想定だったのだろう。しかしそれは成らなかった。
そして――第一王子殿下が亡くなることも、ご健康にお育ちになることもなかったのだ。
それが。ある意味では不幸だった。
第一王子殿下がご逝去していれば。王妃様も諦めがついたのだろう。
しかし……彼はかろうじて生きており、王妃様の希望と同時に枷となっている。
王女殿下たちがご結婚をする方も出てくる年齢になったので、そちらの男児待ちという選択肢も増えはしたが。男児が生まれる確証などなく、私にとっては到底待てない話だ。
このままでは……私の立場を明かして王になどという与太話が現実になる可能性もあるな。
……父のように、姉様を連れて逃げてしまうか。
かなり本気で、そんなことを考えてしまう。
「……ところで。デコイになるつもりがあるかな、ナイジェル」
「デコイに……?」
公爵の言葉に、私は眉を顰めた。仮にも王族である私に『囮』になれとはなんとも物騒なことを言う。……エメリナ様でもあるまいに。
「今の妙な立場に縛られたままの状況も、一生暗殺者に狙われるのも、将来王となることも。君にとっては嬉しいことではないだろう? 一気に憂いを断とうじゃないか」
「それは……私を囮にして、例のお方を叩くということでしょうか」
「そうよ!」
執務室の隣室……公爵が小休止に使っている部屋の扉が勢いよく開き。涼やかな声と気配が、部屋へと飛び込んできた。
……隣室に誰かがいる気配には気づいていた。
そして公爵がそれを許しているということは、身分が高い方なのだろうということも。
「……エメリナ様」
近頃見慣れたその顔を見てつい苦い表情になってしまっても、仕方がないことだと思うのだ。




