浮かれる義弟とその課題1(ナイジェル視点)
――ご側室に、男児が生まれた。
第二王子殿下は、五体満足で元気にお生まれになられたそうだ。産み月よりも一ヶ月早くの出産だったが、それが殿下の健康を損ねることはなかったのである。少なくとも、エメリナ様からの手紙にはそう書いてあった。
これでやっと……私は『スペア』という役割から解放される。
そして、エメリナ様との奇妙な寸劇の日々からも解放されるのだ。
あの方と行動するのは本当に大変だった。
私の演技が下手だと言ってすぐに機嫌が悪くなり、さんざんヒールで足を踏まれ……足の甲に穴が空いたと何度思ったことか。もうそんな目に遭わなくていい。
エメリナ様との関係について言及され、『想像にお任せします』などと思わせぶりなことを言いながら微笑むような苦い演技もしなくていいのだ。
ようやく……姉様に堂々と愛を囁くことができる身となれる。
それを思うと心が踊り、足取りが自然に軽くなった。世界もきらきらと輝いたものに見える。
あまりに浮かれていたもので女生徒にぶつかってしまい、微笑みながら詫びを言えば彼女はなぜか呆けてしまった。
「姉様、お迎えに参りました」
教室に迎えに行くと、姉様は鞄に教科書などを詰めているところだった。その隣にはイルゼ嬢がおり、私と目が合うと舌を出しながら姉様の腕へとしがみつく。
勢いで私も舌を出し返しそうになったが、それはなんとか自制する。姉様の騎士たる私が、そんな下品なことをするわけにはいかない。
姉様の側に行って用意が済んだ鞄を手に取る。姉様の大きな瞳がこちらに向いて、それは少し細められた。
「ナイジェル、今日もお迎えありがとう」
ふわりと姉様が微笑む。すると周囲の空気がまばゆく光ったような気がした。
……姉様は、今日も世界で一番愛らしい。
うっとりと見惚れていると、不思議そうに首を傾げられる。ダメだな、今日の私は浮ついている。
寮へと戻り、部屋までついてこようとするイルゼ嬢を追い払う。姉様が部屋着に着替えるのを待ってから、私は用件を切り出した。
「姉様、今日は少し用事がありまして……。一人で出かける許可をいただけますか?」
「お出かけ? 一人で?」
姉様がきょとりとしながら首を傾げる。私が一人で出かけることなど、めずらしいからな。
「はい。夜までには戻る予定なのですが」
「そうなのね。どこに行くのか、訊いてもいいかしら」
「それは……内緒です」
姉様は表情を翳らせながら「……内緒」と、私の言葉を繰り返す。しかしすぐに微笑みを口元に浮かべた。
「わかったわ、いってらっしゃい。学園からの短時間の護衛の貸し出しの手続きをお願いしてもいいかしら」
「はい、もちろんです。すぐに戻りますから」
「……ええ」
気のせいでなければ……。彼女が寂しそうに見えたので、そっと両手を広げる。
するとその手を戸惑ったように見つめたあとに、姉様はおずおずと遠慮がちに抱きついてきた。
長年懐かなかった猫が懐いてくれたような。そんな感動と喜びで震えそうになる。
「早く、帰ってきなさい」
「ふふ。寂しいのですか?」
「……ええ、そうよ」
……姉様は、私を喜ばせる天才なのだろうか。
そんな気持ちになりながら、私は小さな体を抱きしめた。