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嵐の前の静けさ7

 ナイジェルとの日々は、今までのように穏やかに過ぎていった。

 それは別れの予感を必死に胸の奥へと押し込みながら、義弟の『信じてほしい』という言葉に縋り続ける。心の内側に目を向ければ、決して穏やかとは言い難い日々だ。


「姉様。抱きしめても、いいですか?」


 自室で二人で過ごしている時。ナイジェルはそんなふうに甘えてくることが多くなった。今までも『甘えっ子』だったのだけれど、明らかにその頻度が上がっている。

 朝起きては抱きしめられ、夜寝る前にも抱きしめられ、休みの日は一日中くっつかれ……ここしばらくは二人きりの時にじゅうぶんな身動きが取れた記憶が薄い。

 そしてわたくしは、義弟のその行動をいつでも拒めないのだ。

 抱きしめていいかと訊ねられて了承の意を示すために両手を前に突き出せば、大きな体に優しく抱きしめられる。

 一人分だった体温が二人分になり、それは少しずつ……一つのものになり溶け合っていく。

 その心地よさを感じていると、幸福感と寂寥感が同時に胸に湧くのだ。

 ナイジェルに恋をしているわたくしが、『嬉しい』と素直に歓喜の感情を零す。

 それと同時に公爵家令嬢として育ったわたくしが、『馬鹿ね』と自身を嘲り笑う。

 王女殿下の婚約者になる方に想いを寄せるなんて、と。

 ナイジェル自身の内心がどうであろうと、その立場がわたくしと一緒になることを許さないことなんて……知っているでしょうと。

 いろいろな感情がこみ上げて泣き笑いのような顔になるわたくしを見ると、ナイジェルは困った顔をしながら優しく頬や額に口づけてくれる。

 だけど……いつかのように、唇にそれを落とそうとはしないのだ。


「元気がないね、ウィレミナ嬢」


 テランス様に声をかけられ、わたくしはハッと顔を上げた。

 今は休み時間で、彼に誘われて図書館にいる。授業に関する調べ物が、互いにあったのだ。

 たまたまなのか、皆があまり勉学には熱心でないのか。図書館には、わたくしとテランス様。そして数人の生徒しかいない。


「そんなことは、ありません」


 ――それは嘘だ。

 今のわたくしは、ナイジェルのことを考えながら沈んだ気持ちになっていた。

 今夜、ナイジェルはエメリナ様と舞踏会へと行く。これで何度目の、二人での社交への参加かしら。

 ナイジェルはどのような思いで……エメリナ様のお側にいるのだろう。


「ナイジェル様がエメリナ王女殿下と舞踏会に行く日だから、そんな浮かない顔なのかな」


 互いにしか聞こえないような小声で言って、テランス様が口の端を上げる。そんな彼をわたくしは睨めつけた。


「……わかっているなら、おっしゃらないで」

「ごめんね。だけど、私といるのにそんな顔をされるのは寂しくて」

「……!」


 八つ当たり気味に発してしまった言葉に悲しげに返され、わたくしは後悔した。

 テランス様は、わたくしのナイジェルへの想いを知っている。そんな人物は彼とマッケンジー卿くらいしかいないから……自然に甘えが出てしまったのね。


「申し訳ありません、テランス様」

「ふふ、平気だよ。彼は悪い人だね……貴女にそんな顔をさせるなんて」


 テランス様はそう言うと、柔らかな笑みを浮かべる。その優しい笑みを目にすると、複雑な感情が胸にこみ上げた。

 ――テランス様は優しい。そして、とても素敵な人だ。

 ナイジェルへの想いで揺れているわたくしなどに……繋ぎ止めていい存在ではない。


「テランス様、その」

「婚約者候補は降りないよ」


 本に目を落としながら、わたくしの言うことを先読みしたテランス様はぴしゃりと言った。

 わたくしは困り果て、眉尻を下げてしまう。


「テランス様……」

「元より、私には待つことしかできないんだ。それを許しては……くれないかな」


 ――待つことしかできない。

 それは、わたくしも同じだ。

 未来に思いを馳せながら、ただ落ちてくる『答え』を待つことしか許されていない。

 いつの間にか零れた涙が頬を伝い、それはテランス様の指先で拭われる。


「……互いに、つらいね」


 優しい声音で囁かれたその言葉を受け、わたくしは無理やり口角を上げてみせた。



 ――数日後。

 予定よりも一ヶ月ほど早く、ご側室が男児をお産みになったと。

 そんな知らせが、国中を歓喜とともに駆け巡った。

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