嵐の前の静けさ6
「姉様、紅茶のご用意ができました。……美味しく淹れられているといいのですけど」
ナイジェルは銀の盆に載せた二つのカップに視線を落とすと、不安げな顔をする。
そんな彼を安心させるように、わたくしは微笑んでみせた。
「ふふ、きっと美味しいわ」
苦い紅茶でも、薄い紅茶でも。ナイジェルが淹れるものなら絶対に美味しくいただける。そんな自信があるわ。
……だって、好意を持つ人が手ずから淹れてくれたものなのだもの。
どんなものでも美味しいに決まってる。
「さ、ナイジェルも一緒に飲みましょう」
「はい、姉様」
声をかければ、ナイジェルが嬉しそうに笑う。彼はローテーブルの上に紅茶と茶菓子を置くと、わたくしの隣に腰を下ろした。……その距離はいつもながらに近い。肩がぴったりとくっついてしまっており、適切な男女の距離だとは口が裂けても言えない。
わたくしの隣にある、ナイジェルの優しい体温。それを感じると……胸に愛おしさがこみ上げた。
「……近いわね」
だけどわたくしの口から出たのは『愛おしい』ではなく、そんな言葉だった。
「そんなことはありませんよ」
ナイジェルは飄々と言うと紅茶を口にする。そして「……少し苦いな」と眉間に小さく皺を寄せてつぶやいた。
わたくしもカップを手に取る。すると隣から、不安げな視線が突き刺さった。その視線を受けながら紅茶に口をつけると、たしかに少しだけ濃いものだ。
「少し濃いけれど、美味しいわよ。砂糖菓子にもよく合うし」
「本当ですか?」
「ええ。それに、大事なお前が淹れてくれたものですもの。美味しいに決まっているでしょう?」
「姉様……!」
ナイジェルは驚いたように言うとこちらを凝視する。その様子に、わたくしは首を傾げた。
「どうしたの?」
「いえ、その。嬉しいお言葉をくださるなと……」
「エメリナ様の婚約者になるだろうお前とは、いつまで一緒にいられるかわからないもの。だったら、言葉は惜しまない方がいいと思ったのよ」
エメリナ様との婚約が本決まりになれば、ナイジェルは……わたくしの護衛からは外されるに違いない。先の未来に『本当の身分』を明かすことを想定すると、わたくしという『血の繋がらない異性』とはできるだけ引き離したいだろう。
そして、今のようには会えなくなるでしょうね。
ナイジェルが……騎士学校へと行ってからのように。
ナイジェルに謝ることができなかった数年間はとてもつらかった。言いたい言葉は、『今』伝えないと後悔する。
大きな手がわたくしの手に触れ、ぎゅっと握られた。
綺麗だけれど傷の多い……ナイジェルの手だ。
視線を向けると、美しい青の瞳が真剣な色を帯びてこちらを見つめている。それを見つめ返すと、ナイジェルはわずかに唇を震わせてから言葉を発した。
「姉様。僕……いや、私は。姉様とずっと一緒にいます」
まっすぐに見つめられてそう言われ、なんだか泣きたい気持ちになる。
「わたくしも。その。一緒にいたいと思っているわよ、ナイジェル」
「……本当に?」
正直な言葉を紡げば、ナイジェルの表情に喜色が滲む。なんともわかりやすい義弟を見ていると、嬉しくてふわりと口元が緩んだ。
「わたくしが、お前に嘘を言ったことがある?」
「いいえ、ありません」
問えば、慌てて首を横に振られる。そんな彼に微笑み、わたくしはまた口を開いた。
「ナイジェル。わたくしは……『ずっと一緒にいられる』というお前の言葉を、信じればいいのかしら」
彼が言い聞かせるその未来を……浅ましく信じてもいいのだろうか。
「ええ、信じてください」
ナイジェルはきっぱりと言い切ると、わたくしを強く抱きしめる。
その優しい温もりに、わたくしは頬を擦り寄せた。




