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東宮侍女の告白 続・12週間の君に

作者: 神崎 アオイ

前作で沢山のご感想ご意見頂きました。そのお気持ちに返答するうちに、続編書きたい!になり、デレク視点デボラ視点侍女長視点、と、試作を重ね、結局セリア本人の一人語りに落ち着きました。


乙女ゲームからもざまぁwwwwからも大きく離れ、私は何処に行くのでしょう……。こんなお楽しみのない話、もし読んでみるか、と思われた方々、感謝を先に言わせて下さい!短編なので、しばしお時間下さいな♡

お考え違いなさっては困ります。


私を王太子妃のもとに配属なさったのは、王妃殿下です。

公爵様が采配なさった事ではございません。そして、王妃殿下以外、私が公爵家の侍女であった事を知る方はおりません。

実に巧妙に、公爵様は私の出自をお造りになりましたから。


公爵様は、主を失った私に、相応の家の後添えにと、お考えだったようです。お嬢様にお仕えして12年。既に20代の終わりになった私がこのまま公爵家に居ては、男やもめの公爵様にご迷惑がかかるやも知れません。


しかし、何の伝か、王妃殿下が私の事を知り、是非にと命じられたのです。

僭越ながら、実家は貧しいながらも伯爵家。お嬢様の輿入れにあたって、付き添って東宮に入る未来があった身です。相応の教養やしきたりはついておりました。


何しろ私のお嬢様は……いえ、言いますまい。



兎も角、私の唯一の主であったお嬢様は、この国の最高の淑女であらせられました。私がどれ程の努力であの方の片腕たるよう、つけられるものの全てをこの身に付けましたか、どなたもご存知ありますまい。


(お前なら、高位貴族に嫁がせても遜色ない)


公爵様はそう仰って、私の意を何度も確かめて下さいました。

けれど、私は王宮にお仕えする事を承諾いたしました。どのみち王妃殿下の命では逃れようはございません。


でも。

それより私は見て触れて感じたかったのです。

王太子がお嬢様を捨てて選ばれた、デボラ妃殿下という女性に。



「成程。お義母様の差し金ね?

セリアだったかしら。

何ともこの国の殿方や姑が好みそうね。褒めているのよ?

そう……郷に入れば郷に従えと、エラントの淑女に倣えと、我が姑は仰りたいのね」


春の東宮は見事な誂えでした。

淡い色の花々と瑞々しい若葉が庭を彩り、瀟洒な部屋にも、庭の花が可憐に活けてありました。

エラントでは見かけない、家具調度が、元々の部屋にもしっくり調和し、そのセンスを好ましく思いました。



私は初めてのお目通りに、深く礼を取ったまま、妃殿下のお言葉を受けておりました。


妃殿下は、王妃殿下からの書状をぞんざいに文机に投げるように置きました。多分、私の推薦状と思われます。


「私の居心地が良いようにすればいいとデレクが認めたのに。東宮の奥の事まで姑に監視されるのは心外ね」


畏れながら、と、侍女長が申し立てました。

(妃殿下はまだエラントの慣習に不慣れなだけで、入内なさってからの妃殿下のお働きになんら瑕疵はございません。むしろ、ご聡明なご判断で改革なさる速さに、王宮はおろか、大臣達も、流石の言葉多く……)


その長饒舌を妃殿下は、手で制し、

「いいわ。何かを変えれば賛否があるのは当然。王妃がお前を使えと言うなら、そうしましょう。

セリア。私の不足には遠慮なく言いなさい。忖度など不要。良いわね」


デボラ妃殿下は、ゆったりとした部屋着ながらも、それと分かる女性らしい肢体を伸ばしてお立ちになり、にっこりと微笑まれました。

そのお言葉の公平さ、ご判断の速さに、慌てて顔を上げて対峙した私は息を呑みました。

豊かな黒髪。燃えるように輝く紅玉の瞳。小さな(かんばせ)。キツい顔立ちかと思えば、その微笑みは無邪気な子供の様にもニンフの様にも感じられました。

その表情の豊かさと、惹き付けて離さない輝きに、成程、と合点が行きました。


この女性は、生まれながらに人の上に立つお方。そして、無条件に愛されるお方。瞬時にそう理解致しました。



さて、私はその日から、〈エラント流〉を指南する役を承ったのです。



侍女の務めは多岐に渡ります。無論それだけの人数は揃ってはおりますが、それぞれの得手不得手で自ずと役割の軽重が生じます。

女官であれば、きっちりと定まった任務がございましょう。けれど、侍女は表の事から奥の事まで、主の意を汲み立ち回らねばなりません。


「セリア。訴状を先に読んでおきなさい」

「宰相夫人に文を。書いたらその机に置いて」

「土産の用意を。外つ国の外務官はこの国らしさを所望よ」


妃殿下の用命は、エラントのしきたりに準じ、かつ妃殿下らしさをお求めでした。私は私なりのデボラ妃殿下仕様を考え、お仕えしたつもりです。

妃殿下の意向を汲み、先に先にと手を付け整え、いつしか妃殿下の私への指示は、

「セリア、貴女はどう思う?」

の一つになりました。


デボラ様は、真の女王です。指示し、要求し、褒め称え、叱責し、当たり前のように賛美を得、成果をお出しになる。敗北など知らない常勝者なのです。

……そうですね。

一度、一度きり、あの方に……。



兎も角私はデボラ様に忠実だったつもりです。

そして、私の全力でお仕えいたしました。

デボラ妃殿下を……そうです。私は好ましく、そして愛おしいと感じておりました。私が仇討ちや復讐を考えていたとでも、お思いでしたか?




妃殿下が私に矛盾したお振る舞いをなさるのは、唯一、

王太子殿下とご一緒なさる時でした。


「貴女はいいわ。下がりなさい」


王太子殿下がいらっしゃる前に、妃殿下は私に命じます。侍女長は、貴女を殿下に見せたくないのでしょう、などと軽口を言います。

奥の居室は妃殿下の城です。妃殿下流の素のままで良し、私の助言は無用という事でしょう。

しかし、ご公務や東宮での執務の際は、僭越ながら私の助力が必要です。

そして王太子殿下に相対する機会は、程なくございました。


(……何処かで会ったかな?)


妃殿下の侍女として、初めて相対したデレク殿下は、他意なくそう仰りました。ピクリと妃殿下の肩が動きました。

ぼんやりとは覚えておいでなのでしょう。私は黙礼するのみでした。


妃殿下に初めてお会いした時には一気に惹かれた私でしたが、王太子殿下には、頭が焼ける想いでした。


あの時……ご来訪をあの方は、どのように整えていたか。

そわそわと、いそいそと。あれこれと私に一人語りされ、あれかこれかと茶器を吟味し、花を活け……。

そして、お帰りになった後、日が暮れても一人庭を眺め続けていらっしゃって。

何をお考えになられていたのかは、私には分かりません。

今でも。



いいえ、殿下のせいでも妃殿下のせいでもない事くらい、いかな私でも判断は出来ています。それでも、この時の私は、静かに密かに、殿下に対して昏い感情を沸き立たせておりました。


「セリア。貴女はどう思う?」


はっと我に帰り、私は妃殿下からの問にお応え致しました。少し躊躇が過ぎたかもしれません。

それを妃殿下がどう判じたかは、察する事は出来ません。

じっとお考えになりながら私の言葉を妃殿下は、私に相対して聴いて下さいました。その間、私は自分の横顔に、デレク殿下の視線を感じておりました。

私は左の頬にちりちりと小さな針を感じ、正面からは妃殿下の赤い輝く瞳を見つめていたのです。


その日から、夜の宿直(とのい)の輪番から私は外されました。



初夏。

デボラ妃殿下がご懐妊なさいました。

(凄いな、こんな小さな胎に私と君との子が居るのか)

(まだ爪の大きさまでもないのよ?)

(でもここで生きている。デボラ、ありがとう)


王太子殿下のお喜びは、それはもう傍から見る者の頬が緩む程でございました。

このご夫婦は本当に仲が宜しくて、そして妃殿下らしいことに、東宮では常に対等でいらっしゃいました。

三歩も四歩も女が下がらねばならないエラントにおいて、お二人はお珍しいのです。

妃殿下のお国は、女性の地位がこちらより高いと聞き及びます。妃殿下のお立ち回りがそれに起因しているとは一概には言えませんが、ご自身が思うようになさる妃殿下を許容なさる王太子殿下の懐も大きいと言えましょう。


デボラ妃殿下は、妊娠によって、益々光り輝かんばかりの美しさでありました。王太子殿下は、ご多忙であっても、必ず奥にいらっしゃって、妃殿下にお会いされました。時には、妃殿下がお休みなさっていても、その寝顔に口付けを落としお腹をそっと撫でて去られていらしたそうです。


私は夜の宿直が無いおかげで、妃殿下の執務室で夜も働いており、王太子殿下に(まみ)えることはございませんでした。仕事は溢れるほどございます。



妃殿下の懐妊が公になった頃から、悪阻が始まりました。

勝気な妃殿下は、それでも執務に前向きでした。けれど、悪阻と共に睡魔が頻繁に襲い、夜も昼も、お辛い日々が続きました。


その頃は、私は妃殿下の代理に采配したり、文官と共に日がな机に向かったり、の毎日ではございました。しかしながら、妃殿下のご体調の為に何が出来るかと案じ続けておりました。


香りの強い花は退ける。

茶はハーブに替える。

こまめに口に出来るよう、小さな焼き菓子やサンドイッチを出させる。

スープは外つ国流に野菜や肉を煮込み、滋養はあるけれどあっさりと口に出来るようにする。

どんなスパイスやハーブが悪阻を抑えるか分かるまで、妃殿下に試して頂く……


侍女長と共に、浅知恵を駆使いたしました。そして気を晴らして頂くためにも、妃殿下にご報告がてら、お相手をしておりました。


「セリア、あなたはどう思う?」

私の気持ちをきちんと妃殿下は汲んで下さっておりました。

この頃の妃殿下は、すっかり私を信頼して下さっておりました。



「やあ、デボラの片腕か」

唐突に執務室にいらっしゃった王太子殿下に、私の心臓がことんと跳びました。

夏の執務室は窓のレースが揺れ、北向きの高窓から樹々の放った冷気が柔らかく降りておりました。

こんな宵に、どうして、と、動揺する私は、礼をとるのみで、からかいともお褒めとも思えない言葉にお返しできませんでした。


「貴女のおかげで、デボラが助かっている。判断が的確で、健やかなデボラなら、そうするだろうと思うような奥からの指示がなされている」

「……勿体なきお言葉」

「不足な程だ」

「……ご要件は」


私は一刻も早く、殿下との会話を断ちたくて焦っておりました。何故か妃殿下のお顔が浮かびます。


「貴女にはやはり、何処かで会ったと思うんだが」


私の心の昏い塊が蠢きました。あの方のお姿も浮かびました。

今この時が、この男が、あの方を汚している。妃殿下と私の絆をも解している。

そんな心根から、私は思わず、


「思い出せない過去は、無かった過去でございます」

と、口走ってしまいました。


あの頃、あの時、

あの方が私に一人語りしていらした言葉でございました。

(……あっ)

言った後、私は頭からつま先まで、貫かれるような後悔に刺されました。


殿下は、本当に驚いた表情で、私の顔を見つめました。私も、しまった、という焦りから、つい、

殿下のお顔を正面から見つめてしまいました。


柔らかな前髪、穏やかでお優しそうな青い瞳が今は見開いていて。

うっすら開けた口が、程なく微笑みを形取りました。


「……一生、聞くことのない筈の言葉を耳にしてしまったな」

ほんの小さな独り言に、私の背中が再び冷えました。


私は何という事をしてしまったのでしょう!

あの方を騙るなどあってはならないことです。

しかも王太子殿下に口応えするなど、不敬極まりない態度です。


申し訳ございません、と、深く俯く私に、殿下は、くつくつと笑われました。

そして何故か、


ありがとう

と言うお言葉を残して、書類と共に殿下はお退りになられました。


動けず頭を下げたまま、私は泣きました。




夏の庭は、夜の方が土や葉の匂いが強くなります。

その庭で、私は妃殿下の寝室の明かりをぼんやり見つめておりました。


宿直がなくとも、私は妃殿下のご体調を案じておりました。今宵は殿下がお渡りの日ですから、私は近づいてはなりません。お話出来ない夜は、何だか物足りなく、如何に私は妃殿下を慕っているかを自分に知らしめる夜でした。


「宵に睡蓮が咲いている」

唐突な男性の声に、思わず身構えた私を再びその声で呵呵とした笑いが起きました。

殿下です。構えを解いた私は薄闇の中で良かったと、決まりの悪い表情を引き締めました。


(この薄闇が水面の様で。ぽっかりと浮かぶように貴女が咲いている)

私は礼をとって、踵を返そうといたしましたが、

(デボラの機嫌が悪くてね。寝所を追い出されてしまった)

と言う言葉に足止めされました。

(悪阻に悩まされてね。彼女は私に醜態を見せたくないんだ。そういう弱さも醜さも、私は抱えてあげたいのに)

(居室に戻る前に、庭で涼んで気を鎮めようと思ったんだ。貴女は?)


私は黙したまま、返答しませんでした。

何か発すれば、執務室のあの時と同じになりかねないのです。

(また来る)

何処に、とは問わず、殿下と侍従の背を見遣りました。

夏の庭の灯りが殿下の柔らかな髪を青く照らしていました。



「セリア、貴女はどう思う?」

妃殿下は濯いだ口元を拭き、私に仰りました。


「何故私がこの辛さを独りで担がねばならないの?と、殿下を(なじ)ってしまうの。私は未だ母になる覚悟がないのね……妻としても母としても無様だわ」

素直な妃殿下のお心に、私は改めて好ましいと胸が熱くなりました。


私は妃殿下より随分歳上ですが、未婚で経験がございません。

けれど、今妃殿下のお身体は、お子様をお育てになる為に変化が大きく、不安に苛まれるのは自然であることを説きました。

「殿下は笑ってお戻りになられました」

私がそうお伝えすると、

「デレクに会ったの?何処で?」

と、お痩せになった頬にさっと朱が履けました。

私はこちらに来る途中、と、咄嗟にお応えしてしまいました。

妃殿下は、それ以上はお尋ねにならず、私の手をとり

「セリア。貴女は私の侍女よ」

と、仰せになりました。

私はその御手に口付けて

仰せのままに

と応えました。



何故私は真実をお伝えしなかったのでしょう。

弱っている妃殿下を煩わせたくはない。それもありますが、何より。


「やあ、睡蓮」

こうしてお訪ね下さるのを私は期待していたのでしょうか。

(今宵もデボラは枕を投げて来たよ。可哀想に。1日毎に代われたらいいのにね)


普通の殿方はそんな仕打ちに激昴なさるでしょうに。増してや王子としてお育ちになった方です。

こんなお優しい方が、どうしてあの方にあの時酷い仕打ちをなさったのでしょう。


私の中の昏い塊は、いつもこの方にお会いすると蠢くのです。そして、同時に華やいだ心持ちも浮かび上がるのです。

妃殿下を裏切っている。

あの方を棄てようとしている。

そんな背徳は私を責め、かつ、痺れのような甘い気持ちも、もたらすのです。



そんな危うい私が殿下に手折られるのも、時間の問題だったのでしょう。

「睡蓮は三四日で、水面から沈んでしまうそうですわ」

何と潔い。

「では、枯れて沈む前に」

そう仰って殿下は私の指に触れたのです。



秋の訪れは妃殿下の安定をもたらしました。執務は減ぜられておりますので、私も妃殿下のお世話をする時間が増えました。


昼間も虫たちが(くさむら)の影で鳴くようになりました。

「この国の人は不思議ね。虫が鳴くなんて。あれは羽を擦っているのに」

朗らかに笑う妃殿下は、小さな靴下を編み始めました。お腹を守る為に巻いた(さらし)は、膨らんできたお腹を更に大きく見せておりました。

母国から取り寄せた果物を口にするなど、妃殿下の食は元に戻りつつありました。そして、

「里に帰れたらいいのに。母に会いたいわ」

嫁いだ国で親族に会えない不安を口になさるようになりました。

あれほど自信に満ち溢れた方が、弱音を隠さなくなりました。


それは君や東宮の奥を信頼しているのだよ、と、殿下は仰いました。


この方は何故そのように仰れるのでしょう。

私と共に妃殿下を裏切っているのに。


「私はね、かつて二人の淑女を棄てた。

その結果、一人は私の恋情を持って逝った。一人は私の人生を掴んでいる」

殿下は解いた私の髪を撫でて、そんな事を話し始めました。

「酷い男だろう?今ここに居るのは王太子であって私ではない。私は王太子として生き続けなくてはならない。だから、周りが何を言おうとデボラを守らねばならない。そして」


三人目の君は、王太子の私が見出した……。


「何時棄てて頂けるのですか」

私が尋ねると、殿下は、

「言ったろう?私は王太子だと」

と、私には判ぜられないお言葉を下さいました。



一体私はどうしてしまったのでしょう。

私の主は生涯あの方です。

妃殿下もお仕えに値する方です。

そして、この男は、お二人の為には憎んで余りあるはずです。

私は、あの方も妃殿下もこの男も、

愛し慈しみ、そして裏切っているのです。

昏い塊が喉の奥まで込み上げます。私は殿下の寝息を確かめて、嗚咽をあげました。




冷たい雨が紅葉を濡らし、やがて病葉(わくらば)が庭師を悩ますようになりました。

曇天が多くなり、下男達が暖炉や煙突を清掃し、火をくべてくれました。焔が部屋を柔らかに明るくします。それが尚更、隅の暗さを際立たせます。


妃殿下は少しふっくらしたお顔に、穏やかな微笑みを浮かべる日が多くなりました。

それは、母となる悦びが不安を抑え出した兆候でした。お子様の産着や調度品などを義母の王妃殿下とご相談するお姿に、外つ国から付いてきた侍女下女達は涙しました。


乳母やナニーに選抜された者たちが東宮に入ってからは、私は執務室と自室を往復する日々となりました。


「セリア、貴女はどう思う?」

書類をお持ちした私に、妃殿下は久しぶりに何時ものお言葉を発しました。

「王子かしら、王女かしら?

お義母様は姫だろうと仰るの。

デレクはどちらでも、としか言わないし」

私は、

妊婦が柔和なお顔になられると、お姫様だと祖母がいっておりましたが、と、お伝えしました。

妃殿下は

「そう?そうね……セリア、貴女は少し痩せてきつい顔立ちになったわ」

そんな風に返されました。


……何でしょう。

妃殿下は、何を仰っているのでしょう。


私は礼を取って、退室いたしました。

その背中を妃殿下がじっと見つめていることに気づかずに。



私は小走りに執務室に戻りました。

心臓が速撃ちして、目の前に、もやがかかりました。


妃殿下は。


ご存知なのか。




初雪に、若い下女達は嬌声をあげました。

〈雪が白く覆うのは、土を眠らせるためよ〉

妃殿下はお国の言葉で言い伝えをおっしゃいました。

雪は私の罪も眠らせてくれるのでしょうか。


私は、王妃殿下を通じて外つ国に親書を提案し、母国の乳母と産婆、そして姉君が臨月になればこちらに来て下さる事になった旨をお伝えしました。

妃殿下は大変お喜びになり、私の機転を褒めてくださいました。

是非に褒美を、と、妃殿下が仰るので私は、

「妃殿下にお教えすることは、もう何一つございません。妃殿下は立派にエラントの王太子妃の座を確立なさいました。どうか、宿下がりを」

と、お願いしました。


妃殿下は紅い瞳を大きくして驚かれました。

「王宮を退きたいの?実家はあるの?」


実家には戻れません。

公爵様に今一度お願いし、働き口を斡旋していただくしかありません。

ですがこれ以上、妃殿下の、そしてあの男の傍に居るのは辛いのです。


「駄目よ。セリア、貴女、()()()()手も離すことは、今更出来ないわ」


妃殿下は、冷気を纏う表情に、ぎらついた瞳の光を隠そうともせず、言い放たれました。

見たことも無い女性の様でした。

無表情を装う私は、内実激しく動揺していました。


妃殿下の呪いは、なんと的確でなんと酷薄なのでしょう!

恐ろしくて畏ろしくて、私は息をするのを忘れて、お許し下さいを繰り返しました。

そんな私を蝋のような顔に昏く光る瞳が、否、とはね返し続けました。

そのうち、私は目の前が暗くなり、気を失ってしまったのです。

最後に見えた妃殿下の瞳には、蔑みと執着がありました。




(子を孕んでおいでですな)

目が覚めた私に、東宮の医者は言いました。

倒れたせいで、妃殿下も侍女達も、それを知らされておりました。




宿下がりを厚顔な私は懇願いたしました。

とうの立った未婚の女が東宮で男を咥えたのです。醜聞は辞するに値する事です。と。

相手は誰、と、どなたもお尋ね下さることはありませんでした。


そしてある日。

王妃殿下が私をお呼びになられたのです。



王妃殿下は、王家の血を孕んだそなたを誰がないがしろにするものか、とにこやかに仰いました。


はじめから。

王妃は私を側室か愛妾にと、お考えだったのです。王太子家にエラントの純血が欲しかった、そう仰いました。


(私はお前の主が入内して欲しかった。国の均衡の為とはいえ……外国の血と文化が席巻し、王室が伝統を失えば、取り戻すのは困難となるわ。お前は、主に似て勤勉で品性も充分。何よりこの国の作法に長けていた。歳など関係はない。実際受胎したのだし)

(デレクは誠実な男よ。デボラを愛し、お前もお前の子も大事にするでしょう。分かっていたわ。お前をあの子が気に入るのは)

私は陰鬱な気持ちで、王妃殿下のお言葉を受けておりました。


その日から、私はデボラ妃殿下の元を離れ、先代側妃殿下の館に居を許されたのです。



「言っただろう?君を手折ったのは『王太子』だと。王太子が手折った華を捨てるものか。睡蓮」

何故にこの男は、私に執着なさるのでしょう。あのように素晴らしい妃がいらっしゃるのに。


「周りから側室を求められた。でも、私が求める人でなくては、首肯する気は無かった。睡蓮。君は、私の初恋とも妻とも違う。

君は言った。思い出せない過去は無かった過去だと。

その時に分かった。君は私が過去を棄てたと知っている。その上で、棄てた男も今の私も、呑み込める女性だと。

……デボラは、了解したよ」



何故この夫婦は、私を縛り付けるのでしょう。過剰な期待を押し付けるのでしょう。

そして何故、それぞれに私を呪うのでしょう。



ええ、分かっております。

__あの方。

全ては、あの方がお二人に呪文をかけたのです。

狡いあの方は、この世を離れた事で、永遠を手になさいました。

王太子殿下も、妃殿下も、そして私も、あの方の呪縛から離れることは出来ないのです。


お二人は、私の中にあの方を見つけられました。私を憎み、私を愛し、私もお二人に同じ感情を持つことで、奇妙な均衡が成立いたしました。


コレット様。


貴女の無邪気が、この喜劇をもたらしました。




しかしもう一つ、あなたの思い違いがございます。

私も、妃殿下も、母になるのです。

子のために生きる。

それが私の今の使命です。

そのためには、側室という座に座りもいたしましょう。私を今だに、睡蓮と呼ぶ男を慈しむ事に喜びをもちましょう。お二人を愛しお包みもいたしましょう。



深い雪に東宮が包まれる頃、デボラ妃殿下は、美しい姫君をお産みになりました。慶事に国中が沸き立ち、名実共に妃殿下はエラントの次代國母として、君臨なさいました。


私は初夏に、男の子を出産しました。王妃殿下は、諸手を挙げて快哉の声をお上げになったそうです。

父親に似た柔らかな髪色と碧い目のこの子は、私の宝です。

ぷっくりとした指が私の指を掴むと、至上の悦びがございます。

私は、この時を迎えて、これまでの私を容認いたしました。


人が生きると決めるのは、それこそ人の数だけございましょう。

主を失った私が、主のなさった事の全てを消化し、主に関わったあの方達を憎み愛し、受け入れる過程で、ようやく私は私という生き方を見出しました。これが私達の有り様であると。




お分かり頂けましたか。

生きていく限り、私達は、呪縛からも愛着からも、憎悪からも逃れられないのです。

それらを抱えて、それらを認めて、初めて、自身を認めるのです。

生きるとは、そういうものだと、少なくとも私は思いました。



私の長い告白に付き合って下さって感謝いたします。


エミリオ閣下。







ふー。

前作よりも賛否両論あるでしょうし、前作を壊した!という向きもおアリだと察します。ごめんなさい。

でも、一言言っちゃる!と思われた方、感想を下さい。私なりの誠実でご返信させて頂きます。

星評価もお願いします。評価のお陰で、多くの方の目に触れ、様々なご意見に触れることが出来ました。宜しくお願いします。

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