後書きと右体の男
いかがでしたでしょうか。パズルの本ならぬ本のパズル、全て解けたでしょうか。
正直言って、最初の文で本を閉じられた方は大勢いると思います。行間のない、段落も空いてない、更には内容もしっちゃかめっちゃか。非常に読みにくい文章だったと思います。更に言ってしまえば「スマートフォンから必ず読んでください」なんて痴がましいにも程があります。
それでもここまで読んで頂けた皆様には感謝が尽きません。ありがとうございます。
書いておいてなんですが、もう二度とこんな作品は作らないと思います。労力が尋常じゃなくかかってしまい、一月ほど費やしてようやくこの作品が出来上がりました。
まず作るにあたってテーマを決めます。この作品には一応、元ネタがあったのでそれを踏まえながらの作業だったのでテーマ決めは問題なかったです。縦読みに斜め読み、そして五十音を使った謎解きの三つを今回は取り入れさせて貰いました。
そして次は文章の作成ですが、ここが一番労力のいるポイントでした。予め決められた語数の中で指定された条件に合う言葉を見つけ出し、そしてそれを文脈に沿うようにして並べていく。内容もできるだけ破綻しないように、と神経を使う作業でした。
辞書を手元に置きながらの作業でしたがどうにもいかないこともあり、引っかかる部分が多数あったと思います。そこは僕のまだまだ未熟な部分です。再挑戦する機会はないですが、語彙力くらいは増やしていこうかなと考えてます。
元来、僕は言葉遊びが大好きでこんな作品を作ってみたいと思っていたのですが、奥が深いです。沼のようでした。全ての文章が言葉遊びに繋がってしまって、新聞を読むたびに気になる文とかが目についてしまうんです。楽しいんですが、頭の中で別のことを考え出すのでちょっと読み辛くなってしまいます。
……まあ、こんなことに愚痴を言っててもあれなので、これも良い経験だと思っておくことにします。
長々と書き連ねてしまってすみません。最後になりましたが、僕のくだらない遊びに付き合ってくれた読者の皆様、本当にありがとうございました。
因みにこの文に仕掛けはありませんのでご容赦を。
……さて。後書きは書き尽くしてしまったのですが、ここで終わるのもなんだか物足りません。まだこの作品のオチも考えてないですし、なんだか締まりがつかない感じがします。
と、思って面白そうな話を求めてネットの海を彷徨ってみたところ、興味深い話を見つけたのでそれをここでお話ししようと思います。
二百年以上経っても未だ解決されてない、ある事件のお話です。
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中部地方のある山の麓の村、その側に流れる木曽川に渡されたある一本の橋が事件の元凶です。
名を今塩橋。金の装飾が施されていて、蝋燭の小さな光を当てるだけでも宵闇を照らすほどの立派な橋でした。
そう。立派な橋だったのです。今では取り壊されていて、その面影すらも見ることができません。
そんな立派な橋が何故取り壊されてしまったのか。答えは名付け親の男性と、当時の歴史的背景にあります。
────時は江戸、家斉公が治めていた頃にある大飢饉が起きました。
天保の大飢饉。大雨に洪水、冷害と度重なる異常気象に見舞われてしまい、稲が全く育たなかったと言われています。稲が育たないとなれば当然、農民らの生活は苦しくなります。まともな飯を食うこともできず、さらには藩に税も納めなければなりません。残った少ない稲を役人に徴収されていき、大量の人が飢えて死んでいったと伝えられています。
またその村は中部地方にあり、海に面していないためによその地域から塩を買い取らなければなりません。人間が生きるために必要な要素であるミネラル分、岩塩や雪解け水があるとはいえ足りるわけがありません。
そこでよその所に買いに出かけても、当然そちらも飢饉の真っ盛り。銭を得るためにいつもより何倍も高い値段をふっかけて塩を売ろうとしました。
その塩もろくに買えないほど困窮していたその村人たちは諦めて帰るしかなく、米もさることながら塩にも飢えていました。
しかし、その裏で暗躍していたのがその村を治めていた藩主。彼は国中が飢饉なのをいいことに村人から強制的に徴収した稲を高値で売り捌き、一人私腹を肥やしていました。
その徴収方法も酷いもので、規定の石高を出さなければその家の男を鞭打ち、抵抗すれば打首獄門。女は連れ去られ、そのまま武士の慰みとして捕らえられたと言われています。そのため無理をしてでも税を納め、飢えで倒れていく家も少なくはなかったようです。
飢饉から一年、すっかり財を溜め込んでいた藩主はある豪華な橋を作らせました。その真意は定かではないですが、大方自分に因んだ名前を付けて権力の大きさを後世に伝えようとしたのでしょう。
着々と工事は進んで行き、後は名前をつけるところまで来たある日の夜、一人の村人がその橋の側に看板を立てました。
名を『今塩橋』。米が取られるのは仕方ない。だがその徴収量は度が過ぎていて塩すらも買えない。人々は飢えて死んでしまっている。
だから今、塩が欲しい。
そう思い続けていた村人の想いからその名が付けられました。
その名は村全体に一晩で広がり、あの橋の名は今塩橋だと認知されてしまいました。勝手に名前を付けられて大層怒った藩主は名付け親の村人を役人に探し出させ、刀でバッサリと切ってしまったらしいです。大変切れ味が良かったからか、男の身体は真っ二つに割れてしまいました。
役人たちは慌ててその男の死体を山へと捨てて、証拠隠滅を図ろうとしましたが時すでに遅し。
暗殺されることを見越した男は予め遺書を家に残しておいており、その文書を別の藩主の元へと届けるように友人に命じておりました。
その後、藩主の行為は世間に広まり、とうとう江戸にまで届いてしまいました。時の将軍、家斉は大変怒ったそうですぐに藩主の斬首と橋の取り壊しを命じ、別の武士を手配して封建しました。
こうして飢饉を乗り越えた村人たちは、そのきっかけを作ってくれた男の死を弔おうと男の遺体を探し出そうとしました。
しかし、見つかったのは左半身だけ。どこをどう探しても『右体』は見つからなかったのです。
次第にその村には「上手く成仏できずに今もこの村を彷徨い続けている」という噂が流れ始め、気味悪がった彼らは捜索を打ち切ることにしました。
それからというものの、その地域には『右体の男』という伝説が広がり、夜な夜な右半身だけで彷徨っている男を見たと言う人も少なくないらしいです……
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この話はあるサイトで見ただけなので信憑性はないです。どこかの誰かの作り話かもしれませんし、もしかしたら元となる話があったのかもしれません。
でも、与太話として済ませるにはちょっと惜しいです。どうせならその謎を解いてみよう、そんな気になりませんか? 僕はちょっと挑戦してみようと思います。幽霊とかオカルトとかを信じる性なので。
とは言っても情報がいかんせん少な過ぎます。あるのは先の話と、この事件を伝えたある瓦版の見出し文字だけ。僕一人じゃどうにもできません。
そういうわけで、少しみなさんの力をお借りしたいと思います。三人寄れば何とやら。どんな問題も解決できるはずです。もし謎は解けたのなら、この男の魂もこの話もおちついてくれるはずです。
では、最後に瓦版の見出しを書いておきます。謎解きに役立てて頂ければ幸いです。
『右体』の誰かを、供養してやって下さい。
「今 塩 橋、 名 は 嘘」