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三十と一夜の短篇

来世では、長閑なる日々を永遠に。(三十と一夜の短篇第7回)

作者: ひなた

 儚くて、消えてしまいそう。

 その細い手足、白く透き通った肌。全てが愛おしい君。

 だけれど、その全てがとても弱々しくて、触れることさえ躊躇わせる。

 僕は大好きな君を抱き締めたいと思う。

 同時に、抱き締めてしまうことにより、壊してしまうような気もするんだ……。

 それを言ったら、きっと君は笑うだろうね。

 ころころと、鈴の音みたいな声で、楽しそうに笑うだろう。


 でもね? 僕は本気なんだ。

 本当にそう思えて、不安になってしまうんだよ。





  1.僕と彼女と紅の国


 僕は、一国を治めるお殿様。

 残念ながら僕にそれだけの力はないんだけど、ね。

こうの国が戦争の準備をしているとの情報がありますが、どう致しますか?」

 頼りない僕を支えてくれるのがこの美少女、三沢和花みざわのどかちゃん。

 この子、可愛いだけじゃなくて、途轍もなく頭が良くて優秀なのです。

 軍師として僕を補佐してくれている。という風になっているんだけど、実際には、軍略とか政治とか、ほとんど彼女に任せきりだったりするんだよね。

 そんな僕に対しても、彼女は文句の一つすら言ったことがない。

 可愛くて優秀で性格が良くて、本当に非の打ちどころがない子なんだ。

「こちらも準備だけはしておく? ただあくまでも準備だけだよ? 保険を掛けるに過ぎない行為であり、戦争にならずに済むのなら、それが一番なのだから」

 紅の国というのは、僕が治めている国の、隣国なんだ。

 僕は戦争が嫌いなんだけど、紅の国のお殿様はどうやら戦争が好きみたいで、何度も僕の国を侵攻してこようとするんだ。

 一度も負けることなく、僕がこの国を守り続けていられるのは、ひとえに和花ちゃんの力あってのものだ。

「しかしこちらまで戦争の準備を始めてしまえば、宣戦布告と取られかねないのではないでしょうか」

「それは困るなぁ。じゃあ、その案は没だね」

 さっきは偉そうに命令っぽいものをしたんだけど、和花ちゃんに反対のような意見を言われてしまうと、こうして僕は一瞬で意見を変える。

 ときに、真逆の意見に変わることだってある。

 自分の意見を持てと怒られることはあるし、自分だって気を付けてはいるんだけど、頑固なお殿様だと思われるのも嫌じゃない?

 僕よりも和花ちゃんの方が賢いのはわかりきったことだし、僕としては、全てを和花ちゃんに任せても良いくらいなんだよね。僕の所為で失敗したとか、そんなことがあったら嫌だもん。

 仕事も責任も和花ちゃんに押し付けるようだから、さすがの僕も全てを任せるなんてことはしないんだけどさ。

「もう何回攻めてくるんだって話だよね。鬱陶しいし、こっちから攻め込んで、滅ぼしちゃうとする?」

 なんて、そんなことはできないか。

 僕はそう続けようとしたんだけど、和花ちゃんはいつにも増して真面目な表情をしている。

 そして言ったんだ。

「こちらが先手を打って攻め込み、滅ぼしてしまうというのも、良いかもしれませんね。紅の国を滅ぼすことにより、我々に得があるとは思えませんが、殿の仰るとおり、こう何度も攻めてこられると鬱陶しいものです」

 どうして紅の国が僕の国を攻めてくるかというと、理由はとても単純なものなのである。

 紅の国は大陸の端の方にあり、領土を広げるためには、僕の国の方へくるか、海を渡って島々を襲うかしかないのだ。

 どこか遠くの島国を襲おうにも、兵隊が何人も乗って海を渡るほど、大きな船はあの国に作れないのだろう。その結果、陸続きに攻められる、僕の国を攻めてくることしかできなくなったのだ。

 しかし技術力も財力も高いとは言えない国なので、和花ちゃんの策略により、僕としてはほとんど被害を出すこともなく追い返すことができていたのだ。

 かなり結果の見えた戦いだと思うんだけど、よく懲りずに何度も攻めてくるものだよね。

 僕だってそちらばかりを見ているわけにはいかないのにさ。

 紅の国は、南東の方向に位置している。僕の国も、地図を見せてもらうと、かなり南東の方へ位置していることになる。

 つまりは、北や西には、もっと大きな世界が広がっているのだ。

 大国に目を付けられてしまっては、いくら和花ちゃんがいるとはいえ、厳しいところもあるだろう。

 だから多くの戦力を溜め込んでいることを見せて、攻められないようにしなくちゃいけないんだって、和花ちゃんは言っていた。

 ”黙っているけれど、怒ると怖いんだぞ”という印象を定着させるためには、戦力を探られかねない戦争行為は避けたいのだそう。

 まあ、そんな感じの難しいことを、和花ちゃんはいろいろと説明してくれた。

 最終的に、こちらから攻め込んで紅の国を滅ぼす、という僕の意見は和花ちゃんに採用されたらしい。



  2.笑顔の裏の


 守る戦は何度も経験しているけれど、攻める戦は初経験だ。

 いるだけで兵たちの士気が上がるから、戦場へ赴けと和花ちゃんには言われた。実際に戦闘が繰り広げられている場所から、本拠地へはいくらか離れているものだから、安心していて構わないとは言うけれど、僕はやはり不安である。

 いつもいるお城から、攻めてくる敵の状況を眺めているのとはわけが違う。

 慣れない場所って、なんだか不安を募らせるよね。

「今です! 一気に突撃して下さい!」

 耳から聞こえるのではなく、直接脳へ響いてくるかのように、高く美しい和花ちゃんの声が戦場で奏でられる。

 彼女のその声を合図に、そこかしこから銅鑼の音が響き、隠れていた多くの兵たちが突撃を始めた。

 奇襲を仕掛けたのだから当然ではあるのだけれど、敵国の兵たちは相当混乱しているらしい。

「突撃の指示を出す前に、潜伏場所を探るため、少し国の様子を見てきました。殿の住む地、つまりは国の中心となる地でありましょうに、ひどく荒れ果てた場所でした。水産物を利用すれば、かなりの収益が得られるはずでしょうに、実に悲惨な有様でしたよ」

 指示を終え、本拠地に戻ってきた和花ちゃんは、まず僕にそう言った。

「国のこと、民のこと、一度も考えたことすら、ないと言うのでしょうかね……」

 悲しそうに和花ちゃんは呟く。

 まだ二十歳にも満たない幼い少女なのに、時の流れを知る老人かのような表情、僕は和花ちゃんに影があることが見えてしまった。

 彼女がこんな表情をしているのは、きっと死期が近いからだ。

 病のことは知っていたけれど、僕が知らない内に刻々と彼女の体を蝕んでいたのだろう。

「あなたは、そんなふうにならないで下さいね? 国のことを第一に考える、優しいあなたのままでいて下さいね?」

 儚く微笑わらう。

 もしかしたら、賢い彼女は、自分がいつ死ぬのかも細かくわかっているのかもしれない。

 その日はもうすぐそこまで迫っている。

 今の彼女の表情と言葉は、僕のそんな不安を、確かなものにするには十分過ぎた。

「僕には和花ちゃんがいるから大丈夫だよ」

「ありがとうございます。でも、ごめんね? 大好きなあなたと、大好きな国を守る、幸せな時間を、私は多く持ちません」

 わかりづらい言い方ではあった。だけれど、否定すらできないほど、はっきりと彼女は別れを告げてきた。



  3.南国に降る雪は


 その日の夜のこと。

「へくちゅん。うぅ、寒くなってきましたね」

 急に冷え込み、防寒具をそこまで用意していなかった僕たちは、寒さに襲われることになった。

 予想外の寒さであることは相手も同じなようで、不意を突かれることはなかったけれど。

「これって、もしかして雪ですか?」

 白く冷たいものが、空からパラパラと降り出した。

 雨ではないようだったので、僕が驚いて空を見上げ続けていると、和花ちゃんがそう言った。

 実際に雪を見るのは初めてで、僕は不吉な何かを感じた。

 北の方では、今の時期によく見られると聞いたのだが、こんな南にある国で?

 少なくとも、僕が生きた二十五年間では、一度もなかったことである。

「天使のお迎えなのかもしれませんね。ふふっ、お迎えが悪魔じゃあないようで、安心しました」

 なんてことを言うんだよ。

 和花ちゃん。どうして、そんなことを言うんだよ。

 急にもほどがあるよ。

 ずっと病ではあったのだろうけれど、病状の悪化に気付くのが遅かった、それは僕が悪いのだろうけれど。だけど、急にもほどがあるんじゃないかな。

 準備を急いですぐに戦争を始めようとしていたのは、次の春まで自分がいられないことを知っていたから?

 この推測が真実だとしたら……。

 恐ろしさで、冬の風よりも、もっと冷たいものが僕の中を吹き荒らした。

 なんで僕は気付かなかったのだろう。

 今日ほどではないにしろ、冬というのはこの辺りでも冷え込むものだ。どのくらいの寒さになるか、和花ちゃんならわからないはずもないし、それなのに彼女が防寒具を忘れるとは思えない。

 そもそも、穏やかな春を待たず、冬の寒いうちに攻めたことを、不審に思うべきだったんだ。

 気付ける場所は沢山あったのに、気付くべき場所は沢山あったのに、どうして僕は今になるまで気付けなかったのだろう――。

「和花ちゃんは僕のものだから、天使になんか、渡したくないっ」

 失いたくなくて、僕は彼女を強く抱き締めていた。

 こうして僕が守ってあげるべきだった。初めから、僕が彼女を守ってあげなくちゃ、いけなかったんだ。

 それなのに彼女に頼ってばかりで、僕ばかりが依存して、彼女に無理をさせてしまった。その結果がこれなのだろうか。

 罰ならば、僕に与えてくれれば良いものを。

 彼女に圧し掛かるこの運命こそが、僕の罪に釣り合う罰だと言うのだろうか。

 和花ちゃんには、関係のないことなのにっ。

「冗談ですよ。まだ当分は、この世を離れるつもりなどございません。あなたが自分の力で仕事をできるようになるまでは、私もいるしかなくなってしまうではありませんか。だから、悲しそうな顔はしないで下さい。私はお傍におります。そう、約束致します」

 そんなわけがない。冗談だなんて、嘘に決まっている。

 彼女は辛いんだ。

 そして、辛いのに彼女は、それを僕に隠そうとしているんだ。

 僕が頼りないからなの?

「泣かないで下さい。それと、私の病のことや、死だなんて不吉なこと、もう言わないように致しましょう。相手の降伏を待つような形ではありますが、仮にも今は戦中です。油断していると、どうなってしまうかもわかりませんしね」

 抱きしめた腕を解くと、そこにいた彼女は、いつものように、病など全く感じさせない笑顔を浮かべていた。

 彼女の優しさが、上手過ぎる作り笑顔が、僕が憎くて仕方がないよ。

「さあ、明日に備えて、今日はもう眠るとしましょう」

 そう言った彼女の瞳には、もう既に、僕たちが生きるのとは異なる世界が映っているように見えた。



  4.寒い日に


 結局、その戦は僕たちの勝利に終わり、紅の国は滅びた。

 降伏してくれた相手を殺してしまうのはひどいと思ったので、紅の国のお殿様はまだどこかで生きているのだろうけれど、まさか国を乗っ取るような大それたことはしまい。

 戦争続きだった所為で、元が元だったので、民が僕――というか和花ちゃん――の政治に慣れるまでにそう時間は掛からなかった。

 評判の良さと言ったら、もう本当に、さすが和花ちゃんだよね。

 戦中ずっと浮かべていた、和花ちゃんの悲し気な表情のことも、忘れてしまうくらいに、幸せな時間が過ぎていた。

 相変わらず大国は大国同士の争いに夢中なので、僕は戦争とは無縁な、平和な国を無事に作ることができていた。

 冬を越え、春が過ぎ、夏も過ぎ、秋が過ぎていき、そしてまた、冬がきた。

「寒いですね」

 ふと呟いた、和花ちゃんのその言葉に、雪の夜が僕の記憶の中に蘇ってきた。

 あれは、今からちょうど一年前くらいになるのだろう。

「うん。寒いね」

 和花ちゃんには、そんなつもりなど全くなかったのだろう。

 彼女はきっと寒かったから、寒いですねと口にしただけのことなのだ。

 冬なのだから寒いと、それくらいのことは言うに決まっているだろう。

 機械のように欠けるところがなく、人形のように美しく、そして感情を閉ざしているかのような彼女だけれど、間違えなく和花ちゃんは人間である。寒さくらいは感じるに決まっている。

 それに、完璧な彼女だって、僕が勝手に作り出した像なのかもしれない。

 彼女は僕の像に合わせるように、無理をしてしまっているのかもしれない。

 そう思うと苦しくて、一年前にわかったはずのことが、ちっともわかっていなかったことを知る。

 彼女を失うことを感じ、僕は頼りない僕を変えようと思った。彼女を守らなければいけないのだと、僕はそう思ったはずなのに……。

 それとも、それを感じてもなお、僕は彼女に頼りきりでいてしまったというのだろうか?

「「ねえ」」

 沈黙の後、僕と彼女の声が重なった。

「先に話して」

 同時に話すわけにもいかないので、僕は和花ちゃんに先を譲った。

 譲ったとは言っても、実際のところは、先に言わせたようなものでもあるのだけれどね。

 逃げてばかりじゃなくて、現実を見なくちゃいけないと思ったんだけど、それを少しでもと、先延ばしにしたってことだよ。

 本当に情けないや……。

「ねえ、私がいなくなったら、この国は平和になると思いませんか?」

「えっ?」

 和花ちゃんは、突然何を言い出しているのだろうか。

 僕が話そうと思っていたことよりも、彼女の内容はもっと重いものに感じられた。それは僕の覚悟よりも、彼女の覚悟の方が重いことを示しているのだろう。

 しかし、寒い冬の中に、思うことも感じることも、僕ら同じだったということなんだ。

 そう思うとなんだか、嬉しく思えてくるようだった。

「私は争いの種となりかねない存在だと思うのです。自分の力に自惚れるわけではありませんが、私のことを脅威に感じ忌む方がいるようなのです。私はきっと、多くの恨みも買ってきたと思います」

 平和を愛する和花ちゃんが、争いの種になるだって?

 和花ちゃんは優秀だから、敵にいたら怖いと思う気持ちはわからないでもない。だけど、こんなにも優しい和花ちゃんを、恨むような人がいるものか。

 そんな人がいて堪るものか。

「和花ちゃんは、悪いことなんて一つもしていない。いつだって自分ではないものの為に、一生懸命になれる素敵な子だった。恨まれる謂れなんてないはずだよ」

 優しいにも、ほどがあるだろう? どこまで他人の為に、自分を犠牲にするつもりなんだ。

 それともこれもまた、冗談だって言うのかい?

 望んでいないのに、和花ちゃんが過去に魅せてくれた、様々な表情が走馬灯のように走り抜けていく。

 和花ちゃんは目の前にいるのだから、幻覚なんて見る必要もないのに。

 なんで、なんでなんでなんでッ!

「でも私は、とても重大な罪を犯しました」

 僕の怒りも動揺も、淡々と語る和花ちゃんの前には、全て吹き流されてしまうようだった。

 重大な罪って、和花ちゃんは間違ったことなど一つもしていないのに、どうして……?

 無理をさせた。頼ってばかりで、守ってあげられない。

 無茶苦茶な僕のことを、全力で守ってくれたじゃないか。

 それなのに、いつ彼女が、罪と呼ばれるようなものを犯したというのだろう。

「大切な人と結んだ約束を、守れなくなってしまいそうなんです。あなたが私を必要としなくなる、その日まではずっと、お傍にいるつもりでしたのに……。そうすると、約束致しましたのに……」

 約束。

 この世を離れるつもりはない。僕が自分一人で仕事をできるようになるまでは、僕の傍にいる。

 彼女の言う約束というのは、その言葉のことだろう。

 大切な約束ではなく、大切な人と結んだ約束と、僕に対して大切と言ってくれているのが嬉しかった。

 けれどこの言葉はつまり、和花ちゃんの限界と、まだ一人前になれない僕とを伝えてくれるもの。

 いつまでも呑気なままで、嬉しいなんて思っている場合ではないのだろう。

「自分で言ったことすら、実行できない人間です。それに、あなたの補佐をしているつもりが、途中から国を牛耳るような存在になってしまっていました。それでは、この国で起こった戦は全て私が起こしたも同然でしょう?」

 どうして最後の最期で、和花ちゃんは自分を悪者にしようとするのだろう。

 それは、僕の悲しみを減らそうとしてくれてのことなんだよね。

「引退すると致します。だからこれからは、ご自分で国の行方を決めて下さいませ?」

 そんなんじゃないんだろ? 引退なんて、言葉だけなのだろう?

 これからは僕に任せて、ご隠居生活を送るかのような言い方をされても、ただ限界がきたってだけなんだろ?

 どうしてそれを僕に言ってくれないのさ。

 そんなに僕は頼りないかい?

 考えれば考えるほどに、和花ちゃんの優しさが、自分の情けなさが憎くなってくるばかりであった。

「私の話は、引退の話です。それで、殿は何を仰るつもりだったのですか?」

「やっぱり、良いよ……なんでもない。寒いなぁって、ただそれだけの話」

 和花ちゃんは死ぬのが怖くないのだろうか。

 話が終わるといつもの笑顔のままで、なんでもないかのように、僕に訊ねてきたんだ。

 そんな状況で話せるわけもなく、そうしてまた僕は逃げてしまった。

 もう時間が残されていないことくらい、痛いくらいにわかっているはずなのに。



  5.仕事の隙間と心の隙間


 それからは、さすがの僕も、真面目に勉強をせざるを得なかった。

 それまでだってふざけていたわけではないのだけれど、和花ちゃんの様子を見たら、そうするしかなかったんだ。

 すぐに全てをやめるというわけにもいかないので、和花ちゃんは少しずつ仕事を降りていった。

 彼女ほどの能力を持つ人は、そうそういるものではないので、どうしても隙間は空いてしまうけれど、少しずつならば埋められないこともないだろう。

 戦後の復興ならば、ほとんどを済ませてから彼女は引退を決意してくれた。

 僕に話すのが、紅の国との戦争から一年あったのは、その仕事だけでも最後までやりきりたかったからなのだろう。

「さすがは殿にございます。これならば、私も安心して休むことができます」

 和花ちゃんに何から何まで教えてもらって、難しいことなんてちんぷんかんぷんだった僕も、大体の仕事をこなせるまでになった。

 代わりとなる軍師も用意してくれていたようで、和花ちゃんがいた場所は埋まってきた。

 しかし仕事の中での穴が、いくら埋まったといっても、僕の中に和花ちゃんの代わりになる人なんて存在しない。その穴を埋めることなんて、できないんだよ?

 笑われるから、恥ずかしいから、本人には言わない。

 きっと、最後まで言わない。

 だけれど僕にとっての和花ちゃんは、頼れる軍師ってだけの存在じゃないんだよ?



  6.重なる影は永遠に


 彼女のことだから、死すらも僕には知らせてくれないのだろう。

 また数日経ってから、従者か何かが僕のところにきて、もう過去形となってしまったことを報告するのだろう。僕には、手紙くらいしか残してくれないんだろう。

 いつも和花ちゃんはそうやって、僕に弱いところを見せてくれないんだ。

 僕に心配かけまいとする、彼女の優しさなのはわかっている。完璧でありたいという、彼女の気持ちだってわかっているつもりではいる。

 だけど僕は、僕ばかりが頼っていて、和花ちゃんが頼ってくれないのは、寂しいし……申しわけないって思っちゃうんだ。

 和花ちゃんが望んでくれていることだとしても、僕だけが弱いままでいるみたいじゃないか。

 仕事を引退してから、和花ちゃんは僕に会ってくれない。

 彼女に会わないままに、数日が経った頃。

 本当はもういないんじゃないか、とか。一人で苦しんでいるんじゃないか、とか。早く僕から解放されたいと願っていたんじゃないか、とか。

 和花ちゃんと一緒にいたときには、思いもしなかったような、不貞腐れた気持ちが僕の心を巣食い始めていた。

 不安からの気持ちなのだろうけれど、彼女と一緒にいるときに考えなかったのに、たった数日会わないだけで膨らんでいったこんな想いは、僕の気持ちの弱さが和花ちゃんを汚してしまっているような気分にさせた。

 僕が思い描く優しい和花ちゃんの影は、この程度で揺らいでしまうようなものだったのか。

「えっ? 和花ちゃんがッ?!」

 僕の醜い考えとは違い、和花ちゃんはやはり優しくて、とても素晴らしい少女なのであった。

 僕が苦しまないようにと、僕が悲しまないようにと、僕が後悔しないようにと。いつだって、僕を想って行動してくれるんだ。

 一度くらいは、自分のしたいことをすれば良いのに……。

 思うのだけれど、普段の僕の行動が、無意識に彼女の自由を奪ってしまっているのだろう。

「本来ならば私がお伺いするべきところですのに、お呼び立てしてしまい、この無礼をお許し下さい。もう、動くこともできないような状態なのですよ」

 彼女の部屋へ行くと、迷わず彼女の眠る布団へと駆け寄った。

 そして僕が傍に座ると、ゆっくりと目を開いた和花ちゃんは、弱々しい声で話し出した。

「勝手かもしれませんが、最期に私の気持ちを聞いては頂けませんか? 潔く、殿には迷惑を掛けないように、死んでしまおうと思いました。しかし、私はそこまで強くなかったんです」

 和花ちゃんが強くないってなら、僕はどうなっちゃうんだよ。

 一瞬、僕も口を開き掛けたけれど、彼女の言葉を最後まで聞く為にも、黙って次に発せられる言葉を待った。

 気持ちを聞いてくれと言っているのだから、僕は静かにそれを聞くだけである。

「雪が溶けるように、静かに消えてしまいたかった。桜が散るように、最期は美しく魅せたかった。私のことを忘れてくれと、そう願えたなら、私もあなたも随分楽になったことでしょう」

 和花ちゃんの声が震えている。

 目から零れる涙の所為なのか。彼女を苦しめる病の所為なのかはわからないけれど。

「でもね? 私はずっとあなたの中にあり続けたい。あなたを苦しめてでも、あなたに覚えていて貰いたい。忘れないで……。ずっと、ずっと、ずっと私のことを忘れないで――。あなたにだけは、忘れられたくないんです。たった一人、好きになった人だから、命を懸けて傍にありたいと願った人だから」

 思わず、彼女の手を握っていた。

 そしてその小ささと冷たさに驚く。

 涙に濡れる彼女の顔は、まだ幼い面影さえも残している。

 こんなにも小さな体で国を背負っていた……?

 そう思うと、僕は胸が苦しくて堪らなくなった。

「うん、忘れないよ。僕はずっと忘れない。そして、生まれ変わったらまた君を探そう。必ず見つけ出して、次は僕が守ってみせるから。だから、ありがとう、ごめんね、さようなら。これまでも、これからも、僕は和花ちゃんだけが大好きだから」

 何を驚くことがあったのだろうか。

 僕の言葉を聞いた和花ちゃんは、驚きに目を見開いていた。

 彼女ほど賢い人が、まさか僕の想いを知らなかったとでも? 難しいことは知っているのに、敵の作戦だって見抜けてしまうのに、恋に関しては本当に初心だったのだろう。

 可愛い。不謹慎だとは思うけれど、僕は和花ちゃんの可愛さにクスリと笑ってしまった。

「私も。ありがとう、ごめんなさい、さようなら」

 そう言って和花ちゃんは、目を閉じて僕と唇を重ねる。

 甘く優しい時間だった。悲しくて、儚い時間だった。

 僕は唇を離して目を開くけれど、和花ちゃんはそのまま目を開こうとはしなかった。

 それが、彼女の最期なのであった……――






 儚く、消えてしまった。

 その細い手足、白く透き通った肌。全てが愛おしい君。

 だけれど、その全てが弱々しくて、抱き締めて守らないといけないと思わせる。

 僕は大好きな君と愛し合いたい。

 壊すことのないように。もっと、丁寧に器用な僕で……。

 そう言ったら、君はどう思うのだろうか。

 楽しそうな笑い声を聞かせてくれるだろうか。


 でもね? 僕は安心もしたよ。

 君と僕は同じだって、わかったから。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 「僕」のモノローグで進めたところが良かったと思います。 「僕」の心の中での動き、現実と解離しているのかとも見えます。
[良い点] 上手過ぎる作り笑顔、という表現。 僕と和花ちゃんの、今までの関係が表れているようでとても良いと思いました。
[一言] 恋愛小説だと、ほのぼのして甘酸っぱい感じがよく伝わってきます。主人公が和花ちゃんを大切に思う恋心は読んでいて微笑ましいです。 反面和花ちゃんの有能さが、ダイレクトで伝わってきませんでした。…
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