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二人がそんな話をしていたときだった。
「少年、今すぐ開錠して子供をこちらに引き渡しなさい! 周辺住民からの通告でここに子供が入っていったことはわかっているぞ」
ガンガン、大きく戸を叩く音がし、ついで役人と思しき声がした。
二人は顔を見合わせる。
「君、何かしたの?」
「……分かんない」
「じゃあ、中に入れてもいい?」
「えっそ、それはちょっと不味い気が――」
アランは戸口に向かう。それを素早い動きで前に出、ニコルが半泣きで阻止にかかる。
「やっぱり、何か心当たりあるよね?」
その必死の表情を見たアランはにっこり笑って言った。
――ガンッ!
これは、役人が体当たりを試みた音だ。アランはふう、と息をつく。
「……とりあえず逃げようか。まだちっとも話を聞かせてもらってないし」
それしかない。役人が戸を破壊するのは時間の問題だ。返事がないからと言ってあきらめるような雰囲気ではなかった。
「どうやって? あそこには役人さんがいるし」
「まあ、いいからついて来なよ」
意味ありげな目配せをニコルにしてアランはさっさと移動を始めた。文句の一つでも言おうと開いた口をつぐんで、慌ててニコルも彼の背に続く。
*
「――ほら、ここから出られるんだ」
アランという知り合ったばかりの少年の後ろにいたニコルは、彼が指を指す一点――寝室の床――を見て首を傾げた。何を言っているのか分からなかった。そこは他と見分けがつかないのだった。
ニコルの見守る中、アランは手前に滑らせて見せた。青々とした草地がそこには、あった。外への出口だ。
「狭いからゆっくり、ね」
二人は地面を這って開けた場所に出た。太陽はすでに高く昇り、まぶしさが彼らの目をくらませる。
「迷惑かけてごめんね。会ったばかりなのに」
ニコルは次第にすまなく感じてきてアランに謝る。アハハ、という笑い声が返ってきた。
「なんで、笑っているの……?」
「いや、何でもないよ。気にしないで!」
ふふふ、とくぐもった笑いに転じて、やがて笑いの発作は治まったようだった。かと思うとやけに改まった口調でアランは言うのである。
「さて、では、逃避旅行に出ようかと思います。この提案に乗ってくれる方、そこの、君とね」
「ん……? ぼくもゆくの?」
「君、どうしてそこで驚いているの。逃げないと捕まっちゃうでしょ」
「そこまでしてもらう義理はないよ!」
「匿った僕も連行されそうな勢いだもの。君はすぐ捕まっちゃうだろうし、事情はよく分からないけど僕が引き留めたせいで冤罪になってもねえ……」
「ふひ……」
「だから……何故奇声を上げるの、君」
(ついさっきまで見ず知らずだった人間になんでこんなに良くしてくれるんだろう。ていうか、ついて行っても大丈夫なのかなあ)
ちら……と彼を見ると何だか楽しそうににこにこ笑っている。こんな状況なのに変な人だ。
「そうと決まれば行こう。王都だね」
「え? みつかる――」
「んー人が多いし旅人も多いし、逆に誰が誰だか見分けがつかなくなるんじゃない? それに君反対側から来たし、そっちに行くのはダメなんでしょ」
「でも……」
やはりあまり他人を巻き込むのは気が進まない。自分の後始末くらい自分で出来ないと笑われてしまう。
そう、思っていたというに。
「あ! き、君――」
ためらっていたのはわずかに数秒。しかしアランにとってこの数秒は辻馬車なんかを拾えるくらい余裕があったらしい。
ケロリ、何食わぬ顔で平然と言う。
「さ、行こう?」
(だめだ……この人の思い通りにしかならないや。面倒くさいから任せてしまおう)
ニコルは諦めて彼に従うことにした。
「ねえ、建国祭って何? 先刻からきいていて知らないことだらけみたいなんだけど」
辻馬車に乗るのは多分これが初めてだったが、ニコルはそれについては何も言わなかった。ぐわんぐわんと大きく車体が揺れるので少し気分が悪くなっていたが。
おまけにアランときたら相手が知っていること前提で話をずいっと進める。全く頭がついてゆけそうにない。
アランの会話中にまたしても未知の言葉が表れて、ニコルはくたびれつつ問うた。
「ええ、もしかしてこれも知らない? ……君、無知にも程があるよ」
「いいから、教えてくれませんか!」
満面の笑みで嫌味めいたことを言うのでさすがのニコルも癇に障った。
(この人、ちょっとカンジ悪い。……確かに無知すぎているけどさ)
まさか、さでぃすと、……なのか。
「建国祭はそのままの意味だよ? あ――分かる? 国が、初めて――」
「それは分かってる。そうじゃなくって、どういう風なのかなあ、て」
「? ……ああ、いろんな店が出ているよ。見世物とか、飴売りとか」
(どうしよう。なんかいちいちムカつく人だな)
ニコルにとってこれは初めてのことだった。今まで何か言って通じなかったことなどあまりない。屋敷を飛び出してからというもの、何だか次々に新しい自分を発見するのだ。そう、昔もこんなことがあった。もうぼんやりおぼろげにしか思い出せないが……。
「そうそう、ニコル」
「なに?」
「君さ、容易に他人について行かないようにね。見たまんま“お坊ちゃん”なんだから」
「え……そうなの?!」
何で貴族だと分かったのだろう。そんなにバレバレなのだろうか。平民のように言葉遣いにも気を遣ったというに。
翠玉の瞳を大きく見開き、ニコルは呆然とした。