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――今日は何をしようかな。
紅茶色の髪にセレステブルーの瞳の少年、アランは家のすぐ傍にある小高い草地で考え事をしていた。まだ朝早かったためか、人はまばら。
ヤーサ村はひどく平和な村だった。都に隣接する場所で、必要なものはある程度手に入れられるというのに。のんきでゆるい人種の集まる村だと思う。
学校だって他の地域なんかと違って日帰りで着けてしまう。わざわざ寮に入る金を工面せず行けるのだ。 オルリアン王国は大陸一の福祉国家で、医療費や教育費は無償並みだ。まあ、その代わりに重税が課せられているというわけなのだが……。皆不満は持っていないという調査報告もある。
学校は王都に、地方には孤児院等の施設を。あちこちに魔術師などという、何でも屋のような職を持つ輩が散っているから、医師が不在だの急な火災だの不慮の事故だのといったときはもっぱら彼らが対処している。学校は普通教育と特殊教育とで構成されており、後者で学び、かつ、及第点を取れた者のみが正当な魔術師となる。
(確か、噂では同世代くらいの人らしいんだよな……最近史上最年少で魔術師になったの)
その道は険しいと聞くが人気職でもあるらしかった。やりがいとそれに見合う収入。五、六年に一人受かるというが、そこまでして何を求めているんだ? 名声?
しかし、その人が人々の話題に上るのはただ最年少だからではない。歴代で一位、二位という好成績を修めたからである。
(すごいなあ。二歳ぐらいしか違わないのに)
自分と比べて落ち込むアラン。
(成人して間もないのにもう働いてるんだもんなあ)
アランは一人暮らしだ。一応大人だといわれる十五歳まであと四年はあった。
子どもには納税の義務はない。それに十五になったからといってすぐ徴税対象にはならない。色々と援助が大切なのだ。子どものいる家庭では毎年金が支給される。額は世帯別でばらついているが、合算して平均水準以下の生活にはさせない。これは国が調整しているのである。
不意にふわり、と懐かしい香りが鼻腔をくすぐる。久しく忘れていた感覚があった。
(何だ……?)
一匹のうす緑色の蝶がアランの視界をよぎる。それが過ぎ去ると今度はアランより前方にいる人形が目に映る。
一人の、少女。
アランは思わず立ち上がり、つんのめって丘をごろごろと転がり落ちた。その少女は珍しい容姿をしていた。金髪に緑の瞳。アランより一つか二つ年下に見える。
その髪に先刻の蝶がとまった。少女は立ち止まり、また飛び上がるまでじっとしている。
ひらり――。
少女は再び舞い上がる蝶を追うように視線をめぐらす。緑の瞳は、転げ落ちた体勢のままのアランを映しこみ、そこで止まった。
「「あっ……」」
少女の声とアランのものが重なる。少女は自分の姿がに見られてしまったことで動揺しているようだった。
しかし、それはアランとっても同じだった。振り向いてくれるまで気付かなかったあることに動揺を隠すことができない。
(あれは――『血』?!)
少女の真っ白なブラウスに赤黒い何かが散っている。何かでこすれたような痕やにじみがあった。必死にごまかそうとしたのだろう。全く上手には隠せていない。
(他の人が見たら警吏に通報でもするんだろうな)
というか、通報しないほうがおかしい。王都まで連行されて取り調べの後……。
「……話を聞いてみないと、な」
「――あの、そこの君! すごく汚れてるから服、着替えた方が良いと思うよ。家に誰も着ていない真新しいのが何着とあって正直困っていたから君にあげる! ……何でこんな服持っているのか、とかは聞かないでね」
綺麗な子に話しかけるのはわりと勇気がいる。プライドを傷つけて憤慨されたり、警戒されてしまったりすることが経験上よくあった。自分が取ろうとしている行動が正しいのか、間違っているのか、不安で仕方ない。思い切って声をかけたが内心汗だらだらなのだった。
「……いいの?」
少女はちらちら少年を見、そう口にした。変に怪しまれもしなかったので、良かったと思いながら大げさなくらい大きく何度もうなずいてみせ、彼女のすこしちいさな手を引いて自分の家まで案内した。疲労しているらしく足取りもふらふらで少女は必死にアランについてゆく。
「僕ん家、両親がいないから君が来たって誰も驚かないよ。大丈夫」
少年はそう言って少女を安心させようとした。もしアランが平静だったならばこの発言には不安要素がたっぷりだと気付いて言い直していたことだろう。しかし、そんなことは起こらなかった。