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ブバルディア  作者: ほしみ ことの
第三章  秋の訪れと吹雪
29/29

7

※わずかながら、流血表現あり。

 昼夜揺れる馬車の中では、リチャルドがこの国の歴史……つまりは国史なるものを、膝を組み肩を張り、鼻穴をふんすと広げながら、ニコルに語ってきかせていた。

 一方でアランは欠伸を噛みころしながら、窓から代わり映えのしない景色を眺めていた。リチャルドは一度語りはじめると、ちょっと長い。

「……だからな、二コラはこの国の徴兵をやめさせた人なんだ。それで、そのことをその時の国王が称えて聖の称号が後でつけられ、聖二コラなんて呼ばれはじめたんだな」

 丁度今は聖二コラという人物の話になっているようだった。ニコルと名前が近いといえば近い。偉人風の名前を子につけることはよくあるので、ニコルもあちこちできくといえばきく名だ。

 アランは自分の名前について考えはじめた。アランもありふれた名前だ。何故両親は沢山ある名の中から己をアランと名付けたのだろうか……と。こうして考えても答えが知れるものではない。しかし暇だったので普段考えないことを考えることも意味があった。答えがない考えごとにも意味があることがあるのだ。

「へえ、一般の人が他の国に交渉なんて、その人けっこう勇気あるんだね。特になにか武器があったわけでもないのに、命をかけたんでしょ……」

「まあ、ざっと九十年近く前のことだけどな。そうそう、ちびみたいに金髪だったらしいぞ」

「あー。どうりでラゴンの子どもがぼくのこと似てる似てるいうわけだ……ぼくならそんなことしないけどね」

「そうかもしれないな。よし、この話はこれで終わりだ。どうする? まだ俺は話せるぞ、ちびの知らない……――」

 少年が自身の名の由来についてぼんやりしている間に、聖二コラの話が終了した。

(よくも、まあ)

 話が続くこと、続くこと!

 国史暗唱は、魔術師(アルド)のみといわず、多くの国家職に就いている者たちの必修科目だ。もちろん、このリチャルドも覚えているわけで。

(僕もちょっとは分かるけど、全項目暗記なんて流石に……)

 森の単調な景色ばかりで、どこまでも青く広い空すら眺めるのが叶わなくなったニコルにとっては、魔術師の話だけが気晴らしだった。今の話は聖二コラと呼ばれるようになる青年と徴兵制度にまつわるもの。ニコルには難しい話ともアランは思ったが、リチャルドは相手に聴く意志さえあれば全て分け隔てなく話すつもりでいるようだった。

 この国では昔々、他国と同様に国民全員が地方毎で決まった年齢に特殊な訓練を受け、有事の際には敵対国に送り込まれる制度があった。何か不穏な動きがあればこちらはすぐに戦いを起こせる準備があるぞ、と他国に牽制をかける体裁で長らく続いていた仕組みだ。このオルリアン王国を含めた三ヶ国が、徴兵制度をなくしたまま、今の平穏無事の状態に落ち着いている。

 難しい話で、少年にも少々ちんぷんかんぷんな感じなのだが、これを数歳年上のしょうね……成人の魔術師の男がすらすら砕いて説明したことに、驚きを隠せない。しかし…………。

(ニコル……やっぱり、聖二コラの話知らなかったんだな)

 そうなのではないかと薄々思ってはいたが、案の定か。

(それだけじゃない、多分――)

 思考を巡らせ脳裏を掠めた可能性に、何よりそんな考えを持った自分自身に、苦笑いした。僕は良い友人にはなれないな。


 それから考えを振り切るように再び外の方を見たアランは、信じられないものを目にして叫んだ。

「!……誰かいる……馬車、ちょっと止まって!」

 ぴたりと動きを止めた御者にも馬にも、ありがとうも言わずに降りる少年。

「どうしたんだよ」

「なに見たの、アラン?」

 急いで下車し森の奥の見えない誰かへ向かって走る少年の様子に首を傾げるばかりの二人だった。彼らしくない気もする。とにかく二人も馬車から降りてみた。御者は機嫌を悪くした馬を宥めている。後でチップを弾まなければ、と少年なら言いそうだ。

「ん? ――……あれ、子どもか」

 先にリチャルドがその人影に気づく。森の奥だぞ、迷子か、などとぶつぶつ言っている。

「あーっ! あの子、何か持ってる。しかもそのそばにあるのって死体じゃないの」

 遅れて、ニコルも気づいた。森は木の葉の生い茂りで薄暗く、何があるのかが見えづらいのだ。目を凝らして、慣れて、やっと何かあると分かる。アランがこの曖昧さで気づくのが、なんだかすごい気がした。

 死体、の言葉に反応した魔術師が、もっとよく見ようと更に近づこうとするニコルの腕を引いた。警戒するに越したことはないという判断だった。それでいうなら少年も警戒心が強いはずなのにと思うも、まだ日の浅い関係だ。必ずしもそうではないのかもしれない……と男は気を引き締めた。

 その人影――子どもは、着ている服がところどころ擦り切れて肌が露出していた。雪の床を踏みしめるその足も裸で、見ていて痛々しかった。赤かった。


 人影を見つけたからといって止めて降りる必要も、駆け寄る必要もなかったのに。少年は人影を目指して雪を交互に蹴って進んだ。こうでもしないと足首が埋まって上手く走れない。

「君、どうしてこんな森に――……⁉」

 辿りつき、その小さな子どもの肩に乗った雪玉を払い落としてやろうと手を伸ばしかけ、視線が一点に吸い寄せられる。剣だ。剣……武器のひとつ。

 その子どもが力なく垂れ下げている手の片っ方には携帯用の短剣。護身用として持ち歩く人もいるから、持っていても不思議ではない。だがその剣は、鮮血でしとどに濡れていた。そして周り一帯にはおびただしい量の死体が投げ出されたように無造作にあった。子どもも大人も折り重なってぐちゃぐちゃに死んでいる。茶色いのは古いもの。赤いのは新しいもの。あちこち刺されて転がっている。まだ死んで間もないとみられる子どもの死体が、その不審な子どもの足許に、ひとつ転がっていた。

 子どもとの距離はほとんどない。危険だ離れろ、と頭ではガンガンに警鐘を鳴らしていた。逃げるつもりだった。しかし垣間見たその子どもの目に、アランはこおりつく。

「――……翠、の、目」

 同じ。これではニコルと同じじゃないか。あの目を持つ人間がまだ他にもいたというのか。この子どももやはりニコルのように、自らの手を血で染めるのか。それを渇望するのか。

 駆け寄って目を見、息を止めるように固まったアランを、子どもがゆっくり見上げる。そして、微笑った。恐ろしいほどにぞっとする冷たい大きな笑み。

 ――殺される。

 ハッとして、着ている防寒具の裏ポケットにしまわれた()()()()()()()()()()()()。子どもはくっくっくっ……と笑って、()()()()()()()()()()()()()

「――は?」

 何が起こったのかよく分からずに、アランは体当たりしてきたその子どもを見下ろす。

「おにいちゃんは、やさしすぎるね。そんなんじゃあぼくらにころされちゃうよ?」

 幼い、まだ四歳くらいの子どもが平気で()()()()()()()。白い柄の部分には鳥の模様。目の赤い白い鳥――確かそれは神話に出てくるような生き物だ。生き血を好み人語を解する不吉な怪鳥。何の意味があって描かれているのだろうか。

「このえが、きになるの? ”リヨン”っていう、とりだよ。ぼく、あったことあるんだ」

「…………」

 ()()()()()()()()を子どもがつかまえて、ぐるんとまわした。何度見も瞳は翠色。

「おい、アラン。そいつ……あぶなくねえか」

 リチャルドの声が遥か後ろからする。

「…………」

「アラン、ぼくの方に戻ってきてっ! 死んじゃうよ⁉」

 ニコルの声も遥か後ろからする。

 リチャルドの警戒する声とニコルの必死な呼びかけが、きこえた。でも動くことなんてできない。瞬きすら許されなかった。子どもの翠の瞳から目を逸らせない……術にかかったようだ。短剣は一本、じゃなくて二本? 小刀を身構えた僕は、実は身構えてなんていない? ああ、動けない。

「~~っアラン! 目を閉じて、走って!」

 泣き出しそうな声がアランの耳に届く。

 しかしニコルの言う通りにできない。できないのだ。

「この俺が、そっちにいけない……どういうことだ? その子ども、見たところ何ともないだろ……それなのに、まさか魔術がつかえるっていうのか?」

 多分そんなようなものなのだろう。現にアランは、子どもに見つめられ指一本だって動かすことができないのだ。

(史上最強の魔術師にも破れない魔術。あきらめるしか、ないのかな)

 色々とやり残したことがあった。もう一度会いたい人達もいた。後に残してゆくのが心配な友人がいた。言っておきたかった言葉がたくさんあった……死んだら化けてでもこの世にとどまっていたい。異国の絵本に出てくる、人間の化け物。

「……へえ、にげないんだね。まあ、にげようとしてもムリなんだけど」

 じゃあほら、首を差し出して。子どもがおねだりすると、少年の身体は操られているみたいに、ちょっとだけ不格好に、子どもの手の届く範囲まで首を垂れる。ありがとう。そう言って子どもが笑った。

 剣先がアランの右首に当たる。

「――だめっ! アラン、にげて……っ」

(でも動けないんだよ、ニコル)

 自分が死ぬことよりも、そのことで友人を悲しませてしまうのが何より辛く思われる。

 ――泣かないで。笑って。

 そう祈るのと同時に、固く冷たいものが皮膚にギリギリとめり込みはじめた。首がひどく熱を持つ。


 その後は、もう何も感じなかった。



     *



「アラ、ン……どうして、どうして、逃げなかったの? なん、で」

 自分とそっくりな子どもがアランの首に剣を突き立て、そうして引き抜いている。くくくっ……という不気味な笑い。ぼくも誰かを殺す時そんな笑い方をしているのだろうか。

 血が、赤い鮮やかな液体が、アランの身体から勢いよく吹き出す。少し離れたニコルたちのところまで金属臭い独特の匂いが漂ってきていた。リチャルドは延々と呪文を唱え、彼の許へ行こうと頑張っている。ニコルは…………。

 アランの友人であるニコルには、この光景は、ありえなかった。血の匂いで頭はぼうっと霧がかってきている。おまけに自分の友人が見知らぬ子どもに胸や腹を好き勝手刺されている様子は、見ていて気が遠くなるようだった。

 なんで刃先をよけなかったの? なんで抵抗しなかったの? ぐるぐるそんなことばかり頭に浮かんでは消えてゆく。吐きそうだ。

 彼を殺すのはあんな見知らぬ子どもじゃなくて自分のはずだ。なぜだろう、自分と同じ瞳をした子がアランの命を奪った。

 違う、違う、違う。あの子どもは純粋に殺すのを楽しんでいるけど、ぼくは違うんだ。ぼくには殺そうと思った理由がちゃんとある。あるんだ…………。

「! おい、ニコル。あんた……一体どうやってこの見えない壁を通ったんだ」

「え」

 ニコルの腕を引いていたリチャルドの手は、やや遠くにあった。

 今までどうやってもびくともしなかった、見えない壁のある場所を、それと気づかずに通過してしまった。みたいだ。リチャルドは相変わらずこちらに来られないらしいけど。

(とりあえずぼくは、あそこにいくことができる……)

 ニコルは空っぽのアランの身体を目指して駆け出した――子どもだとしても相手は敵。きっと近づいたらこちらのことも襲ってくるだろう。それでも構わなかった。アランの近くにいきたかった。たった一人の大切な友人。優しくて、ちょっぴり怒りっぽくて、お母さん、みたい、な…………。

「おい、何の準備もないまま行くな! あんたも殺られるぞ!」

「――それでもいくよ! リチャルドは、もうぼくらについてこなくていい。そろそろちゃんとした仕事しなよ! ね!」

「おい――!」

「…………さよならっ」

 こちらをさっきから見ていた子どもが、ぼくの挙動に驚いたように目を見開いた。そういう予想はしてなかったんだな。くすり、笑みがこぼれた。たのしい。

「それいじょう、こっちに、こないで! きみも、しぬよ!」

(……あれ? 誰でも殺したいわけじゃないのかな)

 子どもはニコルを怖がるように叫ぶ。武器を持っているのはそっちなのに?

 距離を縮めれば縮める程、子どもの顔が青ざめてく。逃げればいいのはそっちなのに。

「こ、こないでっ」

「ぼくは友人の傍にいくだけだよ」

 子どもの後ろにアランは倒れ伏すように崩れ落ちていた。そこに駆けよって身体を抱き起こす。友人を完全に持ち上げるには重たい。

 身体は、まだほんのり温かかった。時間の問題だろう、冷たくなってゆくのは。

 背中に子どもの視線を感じる。ぼくも、殺されてしまうのだろうか。


 そう思ったけど違った。彼は今、ぼくの行動を知りたいらしい。


「――……きみはなぜ、そのひとをかばうの。それは、にんげんでしょ? ぼくらにはカンケ―ないじゃないか」

(? どういう……こと? ()()()って、なにを指していってるんだ)

「ごねんも、ひととくらすと、わすれちゃうのかな。きみや二コラは、ぼくとおなじだったはずだろ?」

(五年、より前の……?)

 それは、ぼくには思い出せない。


 ニコルには、どうしても思い出せない空白の期間があった。五年前からの記憶だけが存在する。それまでは自分が誰で、何をしていたのか、分からなかった。養子として、ペリリュートの家に引き取られ暮らす間、何も思い出すことがなかった。思い出さなくても、やっていけた。



     *



 小さな魔術師は、ニコルに置いていかれても見えない壁との格闘を続けていた。

「あいつ、どうやったんだ? そんで、なーにおしゃべりしてんだ、あのちびどもは……」

 子ども同士で何か言い争っているようだ。遠いから、そのままではなかなかきこえない。しかし見えない壁に音がぶつかってくる為、これに耳をそばだてると会話がよくきこえた。何だか分からないが、破れるまでは利用させてもらおう。

「はあ……あいつら人じゃねえのか? まあ確かに見た目が現実っぽくないなとは思ったが――……待てよ、待てよ、二コラっつったか? ちょ、ちょ、ちょ……」

 混乱と動揺。そして、納得。リチャルドには思い当たる節があった。つい先だってニコルに国史系統を話していたから記憶はすぐに引っ張り出せた。

 神話。

(それもききたいと言えば、話してやろうと思ってたんだがな……)

 どこの国にも神話というものは存在する。このオルリアン王国においては膨大な数の逸話……神話が残されていた。

 太古の神々・妖精・天使……悪魔や小人について綴られているが、大部分は――……ごほん、置いておこう。事実がどうだこうだはさておき、リチャルドは国家で働く身ながらも、そんなのはいるはずないじゃないか、作り話だと言って、ちっとも信じちゃいなかった。

 信じてはいなかったが、神話を必要とする人々を眺め、神話はこの世にあってしかるべきとも思った。そして、神話も暗記が必修であるのできちんと知っていた。その神話の中に、ニコルや聖二コラ、あの子どもを彷彿とさせる存在は、いる。

 緑の瞳に金の髪、雪のように真白な肌といつまで経っても幼い顔立ち。確かにそういう妖精の類いが登場する話が幾つか存在している。

(それは、恐ろしい奴だったと思うが……)

 流血沙汰が大好きで優しさのカケラもない残忍な妖精、”ルーチェ”。

 思い当たる節はある。あるが、完全にそうだと言い切るには引っ掛かる部分もあった。

「ニコルには心がある。聖二コラだってそうだ。あの子どもですら――……」

 しかし彼らが人でないとなれば、現状はそうだと信じざるを得なかった。否定材料が少なすぎる。

(……こりゃ大変なことになっちまったな)

 ルーチェであるなら、そんじょそこらの理由で死ぬことはない。

 一……聖二コラは死んでいる。死因は不明だ。彼のおかげで当時の国民たちを死なせずに済んだ。彼一人が皆の身代わりとなり敵国へ渡った。彼の死後には、条約が結ばれ、制度が整えられ、以来この国はどことも戦わなくなった。

「うーん……否定としては、弱い」

 二……聖二コラには市民権があった。妖精だったのならどうやって……。

「! そうか、養子だ!」

 あまりないことではあるが、捨て子を養子にする手がある。捨て子の身元は分からないことが多い。といっても普通は発見したらホイホイ養子になんかせず、そういう捨て子を育てる施設に入れたり、慎重に取り調べ記録した上で対処をするのだが。市民権を得る前の情報があるという記憶はリチャルドの頭にはなかった。聖二コラが非人間説、否定しきれない。


「……ほんっとに何であいつがこれを通れるんだ? ふざけんなよ……俺が加勢しないと、まずけりゃ死ぬってのに!!」

 大変なことを考えている間にも知っている限りの呪文を試したが、全然効くものがない。リチャルドは、獣並みに吠えた。見てろ、魔術師の限界を見せてやる……とでも言うように。

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