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ブバルディア  作者: ほしみ ことの
第三章  秋の訪れと吹雪
27/29

5

 宿屋の係員に案内され、少年と子どもは彩り野菜とバターと黄色い卵がたっぷりの優雅な朝食を貪っていた。野兎か栗鼠のように頬を食物で膨らせ小刻みにむしゃむしゃむしゃっと咀嚼する。二人が夢中で食べていると向かいの椅子にリチャルドが大仰な音を立てて座って欠伸をふたつ。見ればその目の下に立派なクマを拵えているではないか。アランは昨夜の物音のことを想起し、怪訝な視線を男に向ける。どういうことか。

「おはようございます、リチャルドさん。昨晩はあまりよく眠れていない様子ですね」

「あ? ああ……何でもない、あんたらにはカンケ―ない話だからな」

 煮え切らない感じに応える魔術師(アルド)。先に食事を済ませたニコルが席を威勢よく離れる。そのまま小男に近寄るとにっこりとした顔をつくってみせた。

「おはよう、リチャルド。ゆうべはとっっっっても、うるさかったね?」

「……何、あんた俺を怒らせたくてそうしてるのか?」

 そうだと言ったら? ニコルは射貫くような眼差しで男を見つめながら、腕を後ろに組み彼の周りを闊歩した。

「昨日はぼくらがいらいらしていたんだけどなあ。一体ゴソゴソとなにをしてたの? 一般人のぼくたちには言えないようなこと――?」

 しまいにはその顎下を優しく撫でて脅迫じみた笑みを浮かべる。ひるんだ拍子にリチャルドの喉が上下した。

「……――そうだ」

「ふふ、まあぼくだって言えないことのひとつやふたつ、勿論あるけどね」

(何でニコルは怒っているんだ?)

 蚊帳の外状態のアランは不思議そうに首を傾けた。とりあえずここらで止めるべきか。

「ねえ、もうその辺にしといたら?」


 宿屋の人に頼み予め用意しておいたらしい――この男にしては気が利く――馬車へ乗りこみ、アランは疑問に思っていた話題を向かいへ振る。

「この先って何がありますか。僕、この一帯は流石にさっぱりで……」

 魔術師へと話すうち、隣でニコルが不安そうに自分を見やる気配がした。問題ないよ、大丈夫だよ。口で伝える代わりにその華奢な肩に腕をまわし軽く叩いてやる。それでもまだこちらを見つめる視線は消えず、どうしたものかと少年は内心困り果てた。

「ここに来るまでと同じで木ばかりの似たような感じだな。途中からその一本一本の間隔が狭まって、森みたいになってる……いや森だけどさ、ちょっと前の嵐で倒木があって俺たちの手が入っちまったんだよな。それで、そこを抜けるとシャコーレの村に入る――ほら、あんたの住んでいた村だぜ」

 ちび。魔術師は性懲りもなくニコルをちび呼ばわりする。この中で一番ちいさいのは貴方でしょうと突っかかりたい気持ちをのみこんで、アランもその村の話に乗る。

「あの、ニコルの屋敷での事件は魔術師である貴方の耳にもまだ届いていなかった、ということですよね? 昨日の口ぶりだと」

 これまでの会話を思い返してみる。何か引っかかりをおぼえるものの、それが何か分からずアランは歯噛みしたい気持ちを味わう。

「ああ、この状況だと多分気づかれずに放置されているんだろうな。近くを訪れた者たちから異臭の報告がいったりして発見されそうなものなのに。アラン、あんたの持っていた首飾りに刻まれている情報には『家出をした貴族の養子が一名』としかないしな」

 ここにいる三人以外が知るはずのない、何らかの情報を握っている素振りをみせたオルター伯爵…………。本当に知っているような感じだった。

(魔術師も知らない情報を得られる秘密のルートがあるのか……?)

 あのとき交わされていた会話はしっかりとは覚えていない。効きづらいとはいえ自分は薬を盛られていたのだから。でもすごく大事なことがあった気がするのだ。

(もっとちゃんと、思い返してみよう……そうだ、最後の晩餐のとき――――)


    *回想*


 腹もくちくなって食が本格的に途切れ途切れになり、舟をこぎだした者が一名。体が今にも目の前の食器へ倒れ伏さんとばかりに揺れ動いている。ニコルが思わずというふうに声を掛ける。

「……アラン。君、眠いの? 部屋に戻ったほうが良いんじゃない」

「――ん。そうする……」

 ここまでそこそこ知っているつもりだったが、流石にここまで眠たげな少年をみたことがない。ニコルは心配になり、ふらっとしたアランが立ち上がるのを傍で支え、扉の前まで導いた。ニコルはそのまま寝室まで連れてゆくつもりのようだったが、アランは支えとなっていたそのちいさな手を下ろし、やんわり押し戻した。

「……ここまでで、良いよ。後はなんとか歩いていける」

「え、でも……」

 なおも渋るニコルに対し、ありがとうと口にしてアランは微笑んだ。

 食堂を出て行こうとした直前、よろめく。いつから傍にいたのか、オルター伯が崩れそうな少年の身体をさっと支えた。耳元で何か聞こえる。独り言のような声。それは途切れ途切れで、眠気の限界のアランには理解不能の言葉だった。

 ――噂通り……な子どもだ。本当に……――死……置き去り――……しても――――。

「……? 何か言いましたか」

「あっ……いえいえ、ただ、本当に綺麗な瞳の色だな、と思いまして!」

 伯爵は一瞬の焦りののち、満面の笑みを貼り付けてその場を誤魔化そうとしていた。アランはそれを不思議に思いながら、二人を食堂に残し、寝室へと向かった。


    *


(思えばあのとき……既に変だったんだ)

 ニコルを深く傷つけたオルター伯はアランからしても不愉快極まりない人物で、出来ればとっとと封印してしまいたい記憶だった。けれどもこの違和感を拭うには向き合わねばならない。リチャルドやニコルがしてくれた話と一緒に考えてみる。

(『一部の貴族がしていた噂通り可憐な子どもだ。本当に母が死にかけているのを置き去りにしていたとしても……』)

 恐らくこんな感じの呟きだったのに違いない。薬にやられていなければ、この言葉を気に掛けていれば、あんな悲劇にはならなかったのかもしれない。


 さっきからずっとだんまりをきめこんでいる少年を見てニコルは顔面を曇らした。一体なにを悩んでいるんだろう。ぼくはまた迷惑をかけてしまっているのかな。

 静かな川の水底の薄暗い藍のなかに溺れてしまうように、気が沈んでゆく。慌てて気分を変えようと閉じきりだった垂れ幕を上にたくし上げ、馬車の小窓から身を乗り出した――リチャルドの言っていた通り、木々が広がっている。空はどんよりとした鼠色を重々しい雲で覆われていて、太陽はその中に隠されている。外を幾ら眺めたところで、明るい気分になんてなれそうもなかった。色褪せたどうでもいい景色だ。

「……まるで父さまだな―」

「ん? 何、ニコル。僕のこと今呼んだ?」

 左横に座るアランが、自分を呼んだと勘違いして真っ直ぐな目でこちらを見つめた。向かいに視線をやればぐっすりと眠りこけている暢気短気魔術師の姿。もぞもぞ動くからか、濃い茶の髪がしきりに乱れていた。少年へ視線を戻す。彼はきょとんとした顔で見つめ返す。

「……呼んでないよ、全然」

「じゃあ何て言ったの」

 まさかこの殺伐とした風景に義理の養父(ちち)の姿を重ねていた、なんて言えない。

「えーと……あ、そうだ! ねえ、アランはなんで茶の髪だけど随分淡いの? みんな深めの茶髪だよね」

 苦し紛れすぎたかもしれない、ニコルはどきどきして少年の返事を待った。少年は瞬きを繰り返し……突如吹き出した。爆笑している。子どもはムッとした。

「なんで笑うのさ。ぼくそんなに面白いことを言ったつもりはないんだけど」

「ねえそれ今更じゃない? そんなこと、普通、尋ねられると思わないから……!」

「え?」

 手をぶんぶんと振って笑い転げるアランは、すまし顔をしている普段よりもぐっと幼くみえて新鮮だった。ただ、その手の先がリチャルドの方にも向かうので、いつか鼻をへし折らないかとひやひやする気持ちもない交ぜで、ニコルはへの字の口になる。

「瞳もそうだよ! 君は翠色だけど、僕は空色。他によく見かけるのは濃い紫がかった青……僕はね、全体的に色素が薄いみたいなんだ」

「なるほどね。うん、でもそんなに笑う?」

 そうなると両親は普通にリチャルドみたいな色味なんだ。いつまでも笑われているこの状況への腹立ちより、興味深さの方が勝った。少し機嫌を良くして子どもは想像する。きっと優しそうな両親、そしてそこから浮いている少年……。

(前に、両親がいないって言っていたけど)

「……アラン、前に両親いないって言ったこと覚えてる? ぼくらがはじめて会ったとき」

「うーん? いつかな……」

 早春、血の付いた服は良くないから着替えをあげる、なんて出会い頭に提案した当の本人はそのことをすっかり忘れているのか眉を顰めて考えこんだ……と、急に目を見開く。

「んー……あ、あのとき! あー……あのあとちょっとショックを受けたから記憶飛ばしてたみたい」

 思い出した途端、渋い木の実を口にしたみたいに嬉しくない顔をする。なんなの、一体。

「確かに言ったね。うん、いない。どっちもね」

「あのときはそれで済んじゃったけどさ、これって二通りの解釈ができるよね?」

 アランは相槌を打つのを止めた。ややあって合点がいったのか笑う。

「あ、そういう意味か……生きているかってことね。健在だよ。ぴんぴんしてる」

 やはり楽しくなさそうに話す少年を見て、ニコルは躊躇いがちに尋ねる。

「これ、もしかして話したくなかった?」

「いや……君と同じで僕もあまり両親を好きじゃないってだけの話」

「なんで」

 そんなに踏みこんだ話をしていいのか悩んでいた。それなのに自分と似ていると感じ、つい食いついて身を乗り出してしまう。少年は苦笑した。

「まあまあ、落ち着いて……うちの親はね、旅をするのが好きなんだ。別に僕も旅自体は否定していないし、良いんだ。でもさ、僕を置いて旅をする間隔がだんだん――」

「ごめん」

「もう最後に会ってから二年は経つのかな……」

「……寂しい?」

 水を失って萎びていく花びらのように、色がない。

 その萎れる茎のように丸められた背は頼りない。

 寂しい? そう言って下から顔を覗けば、風に消し飛ばされそうな薄い微笑みを口元に浮かべてニコルの頭をくしゃりと撫でた。

「僕は一人でも大丈夫だからね。それに君の方が寂しがりでしょう」

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