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がたごととひっきりなしに揺れる馬車の中、少年たちの忍び笑いが響いていた。馬を御す壮年の男が時折その声に誘われたように背後を窺い見ては顔を綻ばせる。
久しぶりに青々と透きとおった輝きの空が、荒々しき路を行く三人の頭上にあった。雲ひとつとしてない快晴。ひねくれ者も思わず心を浮きだたせてしまうような天気だ。ここ何週間か降り注いでいた渇き雨がやっと終わり、風は幾分か涼しく、玉汗を掻かずいられるくらいに過ごしやすい。強い日照りで燃えるように濃緑がかった草木はいつの間にやら渋い赤茶色に変貌し淡い光にその葉を透かしているのだった。
紅葉をひと目見ようと馬車から外へと身体を半ば乗り出すようにした子どもの髪がまろい白金色を帯びてそよぐ。目前には麦畑が、一面黄金に広がって彼の口を無防備に開かせたままにする。
その姿を、すぐ隣に腰かけたもうひとりがついつい緩んだ口元を空いた手でそっと隠し見守っていた。天高くどこまでも広がる青い美しい瞳を楽しげに細めて。
「んっ……こっちばかり一体なにを熱心にみているの?」
石造りの素朴な家々と暮らしを営む人影がぽつぽつ見られるようになった頃――恐らくは景色に見飽きたのだろう――少年はちいさな伸びをし、横を盗み見た。そこで一部始終をずっと彼に観察されていたことに気づき怪訝そうに眉を寄せた。
「いや、熱心に外を見るなあと思って」
彼は尚も見つめたままのんびりと答えた。表情をますます歪ませる子ども。
「だって初めてだもの、こんな景色」口を尖らせそっぽを向いてしまう。
「そうだ、そうだった。今まで見たことが無かったんだもの、感動してもおかしくない」
「それ、ぼくのこと面白がって発言してない?」
ニコルには、優しくこちらを見遣るその目が度を過ぎている気がしてならない。生暖かいというか。人間初心者に対する態度のような。一応ひとつ分しか歳も違わないのに。
「圧巻の光景だ。ウンウン。僕も初めてなら口を開けちゃうな」
「あー……馬鹿にされてるような感じだ。もうアランの代わりに苦手な虫追い払ってやらない」
「……あ、いや――」(はっ……おこっ、ている?)
「もう口も利かないぞ」
「ニコル、ごめん。でも、そんなつもりじゃ」(まずい。機嫌を損ねた……!)
雲行きが怪しくなっていることに気づき慌てたアランだが、対応が遅れ完璧に拗ねたニコルは相方の弁解を華麗に黙殺した。
「すまないねえ、ここから先はコイツが通れない。ここでお別れとさせて貰うよ」
逃避行はそう上手くはいかないらしい。計画では今後の移動は全て馬車にしようということだったが、乗り物の通行が認められていない地域もどうやらあると子どもたちふたりは身をもって学んだ。
ぬかるみと散らばる金属片。硝子片。軽い者がゆっくり通る分にはそこまで嵌ることはないと御者は言っていたが、細っこくぐにゃぐにゃした路だ。ちっとも進まない。それに、だんまりを決めこんだままの子をひとり連れているのだ。アランはだんだん気が滅入ってくるような感じがしてきた。
馬車を降りたときは鳥がさんざんに鳴いていたのに、日があんなにも遠くの山際に溶けている。羽を擦り鳴らす虫の音が、道なき道にうっそうと生え茂る草木の向こうから微かに聞こえる。腐った牛乳瓶に錆びたネジ。これから通る峠の村は加工業が盛んだからそこから流れてきた廃棄物だろうか……。
無言で繋いでいるニコルの手はひどくつめたかった。夜の秋風は初冬のようにぞっとする寒さなのだ。このまま夜通し歩くのなら風邪を拗らせてしまう。
(暖かいケープでも、買うんだったかな)
下車する直前に御者が購入を勧めてくれたが、案ずるより産むが易し。すぐ着くと高を括ってアランは聞き流してしまった。
「――ごめん……」
何度目となるか分からない言葉を後ろに呟く。鼻をすする音がした。何気なくふうっと吐いた息は白い。ここは山で奥の奥なのだから地上よりも気温が低いのは当然か。アランは握る手に力をこめた。
「さっむぅ~」
(? ニコル、の声ではないな)
ましてやアランが発したものでもない。だがその声は後ろから聞こえてきた。
「ほんっと寒いなー今夜は。ちょっと早いけど雪でも降るんじゃないのか? って……はあ?」
叫んでいるような、おおよそ独り言とは思えないものがずんずんとふたりへ迫ってくる。
「おいおい……ガキが二人も居るじゃないか! こんな夜分に物好きな奴らだな」
向こうはどこか呆れたふうに嘆息する。小走りでやってくる――この時間に山をうろつく人間など高が知れている。変人か役人だ。最悪の場合を考えニコルを自分側に引き寄せると、相手を確かめる為にアランは振り返った。
「あー……マジにガキだな、こりゃ。俺の仕事が増えちまうなあ」
男は、面倒くさそうに後頭部をがりがり掻くその男は、男というには背が非常に低かった。男というには少年、いや子ども……。この三人の中でならダントツでその彼が小さい。まるで大人には思えない。
アランは探るように相手の上から下まで観察する。
「あんた、俺が大人か子どもか分からないって顔だな。安心してくれ、こう見えてもれっきとした良い大人だよ」
腰に手を当て胸を張って主張されたが、だから何だというんだと正直アランは思った。
「では、どのくらいで開けたところに出られますか。いつまでもどこへも着かないので途方に暮れていたのです」
小男のおんぼろのような恰好と言動から最悪の事態はどうやら免れたと、とりあえず困っていたことを口にする。小男は、あんたは何を言っているのかと笑った。
「それならあと四分もあれば着くはずだぞ」
「えっ」
途中で道を違えたな。ククと含み笑いを挟みつつ小男が今いる道から右を指さし「あっちだよ」と言った。
「多分、泥道に苦戦したか荒れ生えた雑草かなんかで立札を見逃したんだろうな。細道だが一本道じゃあない。中腹辺りでふたつに分かれている。こっち側を通る奴はそうそういないから、あんたたちは運が良いな」
「なんだ……」
「俺、あんたらと同じ方向に行くつもりだったから案内役を務めてやるよ。で、峠のどこに行きたい? ん?」
小男は随分と意気揚々案内を買って出た。申し出はありがたい、ありがたいが……。
「いえ、僕らはただ通り抜けたいだけなんです」
「はあ?! まさか寝ないで観光もせず行くつもりじゃないだろうな。そりゃ俺が怒るぞ」
意味が分からない。この男にどうして怒られなければならないのか。
話をするのも面倒になりアランは無言で先刻彼が指した道を目指し歩き始めた。ほどなくしてニコルが「ぎゃっ」とちいさく悲鳴を上げた。見ればあの男が空いている方のニコルの手を掴んでいる。そしてそのまま走り出した。体がぐらついて前につんのめる。
「わあっ?!」
「さあ、行こうぜガキども」
*
「あの、この山に何か思い入れがあったりするんですか。先刻怒るって」
小男を先頭に小走りで行く途中、アランは疑問に思ったことを尋ねてみた。会話をすれば意外と分かり合える人間かもしれないし、そうでなくても無言旅であるよりましだ。
男は見かけより強靭なようで息ひとつあげずウキウキとして答えた。
「まあな。この峠の村はちょっとした穴場なんだ。まず水が良い。山風で冷えた湧き水が山登りで疲れた喉に心地良いぞ。酒も実に美味。それに皆良い人たちだ。格安で宿を提供してくれるし、タダ飯にもありつける」
「それは、確かにただ通り抜けするのじゃ勿体ない雰囲気ですね」
そうだろうと男は嬉しそうな声を出す。聞いてもいないのに津々浦々の観光地の話をはじめ、それを驚き半分胡乱げ半分に聞き流しながらとうとう峠に到着した。しかし、これをまた下らねばならないのだ。
「どうだ、民家ひとつあるだけでも絵になる空気感あるだろ? 仲間内でも評判は高い。ああっ酒が飲みたい」
もしかするとこの人は酒を飲みにわざわざきたのかもしれない……少年には理解できない動機だ。そこかしこに林檎の木があり、商人が抱える木箱にも林檎。酒は林檎酒かもしれない。子どもにしか見えない男だ。当然最初は酒を売ってもらえなかったろうな、その情景を想像してアランは苦笑した。
「そうだほら、手製だが地図だ。持っていけ」
「……どうも」
わざわざ安宿のある場所を赤でぐるりと囲みアランに放ると「じゃあな」と彼は去っていった。そこは最後まで案内するのが筋ではとの言葉をすんでのところで呑みこむ。「またな」と言われなかっただけ良しとしよう。流石に子ども三人で観光地は人々の印象に残りすぎる。
彼お勧めの宿屋は小料理屋やお土産屋が立ち並ぶ中に窮屈そうに建っていた。安宿と聞いて心配していたが決して古くもボロくもない。賑わいに囲まれただ一点ちんまりひっそりとしているものの温かな外灯が見る者をほっとさせる。
とりあえず戸を押し開ける。備え付けのベルがちりりんと小気味よく鳴り宿屋の主人らしき人がにこやかな笑みを浮かべてこちらへは観光ですかと尋ねる。頷いて一晩二部屋借りたいのだと申し出ると困った笑みに変わった。子どもだけだとやはり断られるか……。
「その、つい今しがた二部屋予約されたお客様がいらっしゃいまして、相部屋でしたらご用意できそうなのですが……」
「では一晩一部屋で」
そういうことかと了承すると、主人の横にきた女性が肘で小突き何かささやいた。ぱっと明るい表情になった彼はアランに向き直ると「良かったですね」と言い微笑んだ。
「風変わりな方が、少年二人が来たら片方に泊めてやってくれと頼んでいたそうですよ。相部屋には変わりないのですが」
「風変わり……?」
「貴方の後ろ……確認ですが、男の子で合っていますか?」
主人はアランの背中に噛り付いているニコルの着ているものを見、問うた。勿論パンツではあるが髪が肩まである。女の子と思っても仕方がなかった。
「ふたりとも男です」
「こちらをお持ちになって奥の方へどうぞ」
部屋の開錠に必要な物などが入った籠を受け取る。
「ありがとうございます」
「あ……戻ってこられた。お礼はあそこにいらっしゃる方に……言っておあげなさいな!」
ベルが鳴り大股で入ってきた人を目で追った主人が、慌てたようにアランの背を軽く叩く。
「うわ」
そこには先程別れたはずの小男がいた。注目されていることに気づきこちらへ手を振る。主人が「そう、あの方ですよ」と力強く頷く。
「あんたらどうせ金なんかロクにないと思ったから、先に予約しといたぞ」
(何て勝手な……)
ほとほと呆れてしまう。
と、続いて入ってきた長身の大男が小男にぶつかった。入り口付近にいつまでもいるからだ……。
「てめえ、入口で突っ立てんじゃねえ! 表出ろやっ……ん? お前まさか。はーんなるほどねえ。こんな辺鄙なトコでまでガキの世話か。いやあ、やっぱやることが違えな? ちょっぴり毛の生えたお子様はよお」
ガハハと下卑た笑みを向ける大男。対して小男は鼻で軽く笑いニヤッと歯を見せた。
「あんたこそ図体デケえんだから邪魔だぜ」
「はあ? なんだ喧嘩売ってんのか。もう一度言ってみろよ」
「まだ若そうなのにもう難聴? ご愁傷様ですね」
「粋がってんじゃねえぞ、平民のくせに」
大男が胸倉をつかみ軽々持ち上げたというのに、小男は冷めた目をやり「元、平民です。その職で今更階級に拘るなんて器が小さい証拠だよな」と低くささやいてみせた。カッとなった男の手がぶるぶる小刻みに震える。その手をどうやってか外し空中でひと回りしてみせると小男はひらひらと少年たちに手を振る。
「悪いけど、番号が若い入口側の部屋は俺のだから。あんたらは奥側で仲良く寝ろよ。ずっと喧嘩は良くないぞ」
「え」
「血生臭いの見たくなけりゃ、行けよ。俺はコイツと喧嘩して和解するつもりだから。子どもが起きてちゃ不味い時間なのも確かだし早く行け」
ぎゅうと強く握られた手の先にはニコルが不安げな顔でいた。ここにいても迷惑なだけだ。「わかった。行くよ」と伝えるとちいさな手をそっと引いて先を急いだ。




