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ブバルディア  作者: ほしみ ことの
小休憩 季節と心の移ろい
20/29

4

 どっぷり日の暮れた夜と言っても良い時間にアランは出勤初日を終えた。くたくたで消耗しきっていた彼だったが、閉め切られたカーテンと真っ暗な室内に、異常を悟った。寝ているにしては重い空気が漂う。

 用意していた食事は一切手がつけられていなかった。寝室を確認するが本人が見当たらない。どこにいるのかと自分の部屋の前を過ぎり、違和感を覚える。

 ドアがほんの少し開いていた。朝閉めないで出ただろうか。一旦着替えてそれからニコルを探そうと中に入る。

――いるじゃないか。

 アランのベッドにちいさな動くかたまりがあった。近づいてみるとそれは蹲る背中。寝ている……? あれ、おかしいな。何かひゅうひゅうとした息遣い。とても、苦しそうな呼吸。

 過呼吸を起こしているのか。しかし、何故。

 時折けほけほと乾いた咳にベッドが軋む。アランは覗き込む。

「泣いてる……?」

 泣き腫らして赤くなった目元。もう少し近づこうとしたところで見られていることに気づいたニコルが両手でその顔を隠しそっぽを向いた。寝てはいなかった。

「ねえ、どうして泣いてるの。僕は、教えて、貰えないのかな……」

 なるだけ優しく聞こうと思ったが声が震えた。そのまま沈黙を貫かれると思ったが、ややあって背を向けたままのニコルから掠れた声が聞こえてきた。

「――……こわい、おもいだしちゃうんだ、ひとりになると……よみがえる。すんごく、こわかった」

「……うん」

 分かったかもしれなかった。あの街で、あのオルター伯がやったこと。それがニコルの心に深い棘を突き刺したのだ。

「ごめん、僕、気づけなくて」

「ううん。ぼくが鈍いから……あの人のことをもうちょっとでも疑っていれば違ったんだ。こうして見ちゃうのもそれだけぼくが、弱いってことだよ」

 自虐的な笑み。それを聞いてアランは項垂れた。ここまでずっと隣にいたのに……どうして分からなかったんだろう。こんなに泣いていたのに。

(でも、今こうして知ったんだ。忘れられないかもしれないけど哀しみを薄くすることは出来るかもしれない……)

「えっと……嫌だったらごめん。先に謝っておくね」

 かなり昔のことだが、かつてこの少年にも事情は違えど夜泣きが激しい時期があった。そのとき母がしてくれたことを思い出す。蜂蜜も牛乳も無いのでホットミルクは作れないがもう一方は何も必要なものが無い。強いて言うなら、気持ち。

(これは、僕が母親代わりをやれるかって問題があるけど……)

 拒絶される可能性はあった。家出してきたと言っていたがそれ以上の話はしなかった。本人が嫌がっていたから、話したくなったときに話してくれれば良いと思っていたから。

「あのね、僕も昔は怖い夢を見て夜中に泣き出すことがあって、困っちゃう子どもだったんだ。そんなときは大抵母さんがあったかいミルクを飲ませて寝かしつけてくれたんだ」

「でも牛乳ないよ今……」

「まあね、僕の家だっていつもあったわけじゃないからさ、そんなときは、別のやり方で宥めてくれた」

「どういうの」

 気になるのか、くるっとアランの方に向き直る。涙で頬が濡れたままだ。拭いながらアランは話し続ける。

「知りたい?」

「うん」

 そのあまりに真剣な目に少年の頬が緩んだ。

「じゃあ、そのまま、目を閉じて下さい」

「なんで?」

「~~っ 良いから! 目瞑ってよ、ニコル」

 これからすることに気恥ずかしさを覚えはじめ、少年は怒った。が、ニコルはぶんぶん首を横に振って真っ直ぐ少年の瞳を見つめる。

「はあ、分かったよ。じゃ、せめて動かないでじっとしててね」

 意地の張り合いで負けアランは苦笑する。仕返しの意で頬を突っついた。

「あ、やわ…………ずるいな」

 たった数年でもこんなに柔らかさに差が出るのかと逆にダメージを受ける。羨ましいなと笑って顔を近づける。

 吐息がかかってくすぐったそうにぎゅっと目を瞑るニコル。少年はそのおでこに羽みたいな軽い口づけをしてそっと離れた。困惑した子どもが頻りにぱちくりする様子が目に映った。

「今の、何」

「へ?」

「あの人もしてたけど……んっ」

「これはキスだよ。好きな相手に示す愛情表現のひとつかな……」

「昔何かの本では読んだ気がする。でも実際には見たことなかったから……これが接吻なんだ」額を手の平で撫ぜながら神妙な顔をしてニコルは続ける。「あいってなんだろうね。ぼくはもうずうっと分からない」

 自分とそう背丈の変わらぬ子どもが哀しい目で笑う。

 アランはちいさく息を吐く。それを説明するのは困難に思えた。ましてや言葉で伝えることなど、十一年ちょっと生きたくらいでは…………。

 愛について考える十歳。もしかしたら今まで誰かに抱きしめられたことすら、無いのかもしれない。この前伯爵の屋敷で抱きついてきたのも本当に大した意味は無かったのかもしれない。意表をついて短剣を奪う為に飛びついた、それだけ。


 初めて出会った日から不安だった。ふとした瞬間の君は人形で、仕方なく人間に擬態しているようだった。僕が、手を伸ばした。伸ばさなければそのまま消えてしまいそうだった。まだ遅くはない。この手を求める君が存在しているから。


「……どうして僕の名前、あまり呼んでくれないの。ニコル」

「え」

「友達には、なれない?」少年はそう言って首を少し傾げる。

「と、もだち……」

 ニコルは上体を起こし反芻する。ともだち。暫し俯き考え込んでいたが、やがて躊躇いがちに顔を上げた。

「……アラン、って言ったら友だ――」

 耳にそう届いたが否や、少年は覆いかぶさるかの如く勢いよくニコルを抱きしめた。そうして腕にすっぽり収まる金色の頭を撫でながら優しい声で笑った。

「ありがとう、呼んでくれて。ねえ、これからも哀しいことが数えきれないくらいあるかもしれない。そんなときは二人で一緒に分かち合おう」

「本当に、一緒に居てくれる……?」

「もちろん。約束するよ」

「ホントかなあ……」

 抱きしめられている子どもは服を掴む手に力を込め、目を伏せていた。そのおでこに口づけると、ふにゃんと力無く微笑んで、安心した顔をアランの胸に埋め、そのまま眠った。

 少年は腕の中ですやすや寝息をたてている子どもを眺め、その脆さを想った。

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