表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ブバルディア  作者: ほしみ ことの
第二章  春に潜む闇
16/29

4

※このパートでは特に過激と思われる描写があるので流血や暴力が苦手な方はブラウザバック推奨です(作品自体R15指定にしていますが念の為注意喚起をば……)。

 ランタンの灯が漆黒の闇の中で妖しく揺らめいている。他に見えるものは何もない。それを頼りに歩みを進めるしかないが、ときどきは何かにつっかかって転びそうになった。弾力のある何か……まるで生き物のような。人間の腕のような。真っ暗だからおかしな想像をしてしまうのだと思っても身震いは止まらない。


 しばらくすると前を行く足音が途絶え、木製の扉がぎぎ……と音を立て内向きに開いていった。男が手慣れた様子で手探りに照明のスイッチを入れると眩しい光が視界いっぱいに広がり、ニコルは反射的に目をぎゅっとつむった。やっと着いたという気持ちでちいさく嘆息する。横では伯爵がだらしなく息を切らしていた。

「……さあ、ここは暗いのでどうぞ中へ」

 そういって促された部屋の中はひんやりしていて少し埃っぽい。小机に申し訳程度の大きさの本棚、そして一人で寝るにはあまりにも大きなベッド。それ以外には何もない。時計さえ見当たらなかった。今まで見た部屋はどこもかしこも豪奢な印象であったのに、この部屋は驚くほど簡素だ。普段は使われていない部屋なのかもしれなかった。

 話す為に通される部屋が寝室……。ここまで遠くまで来なくとも空き部屋は幾つもあったはずだ。アランに聞かれたくない話だとしても今頃は爆睡しているだろうし……。

 考え込んで動かずにいると、いつの間にかベッドのほうへ移動していた伯爵が紅茶を二人分注ぎながらすまなそうに口を開いた。

「ここは私の寝室です……物音がするとなかなか寝付けない性質でして、ここで眠ることも年数回あるのですよ。静かで周りの音が届きにくい造りになっているのだとか」

「でも、話すだけなら別の部屋でも良かったと思うんだけど……そんなに人目を憚るような話をするの?」

 受け取ったティーカップから立ち昇る白い湯気がこの部屋の温度を物語っている。口に含むと誤魔化しようのない酸味と苦み、変な甘ったるさが舌を突いた。あまり美味しい茶葉を使ってはいないようだ。

「まあそんなところです。少し行儀が悪くなりますが……こちらで話しませんか。立ちっぱなしにさせてしまうのは気が進みませんし」

 そういうと伯爵はベッドの端に腰をおろし手招いた。

 ベッドはニコルが座ってもつま先がつかないほど高い。飛び乗り投げ出した足をバタバタしてみたが、伯爵は不快感ひとつ露わにしない。それどころかにっこりと笑うようだった。

「……で、話って何なの?」

 なるだけ自然な声音で隣の男に問う。内心、ばくばく心臓を震わせ。もしや王都での一件がすでにこんな貴族の耳にも届いているというのか。そんな、まさか。幾ら何でも早すぎる。それとも、ぼくのしたことが……。

「母君は貴方がたの行動をどう思っておられるのでしょうか」

「?! は……母、ですか?」

 伯爵は満面の笑みを浮かべる。

「はい。このご時世二人きり、しかも子供だけで旅しているとは何か止むを得ない事情がおありなのでしょう? しかし余程の事でない限り、ご両親が制止めそうなものだと思いますが」

「あ……えっと、内緒で……」

「実は、貴方がたがここにいらっしゃる前にとある噂を耳にしましてね……いやあ、こうして本人を目の前にしても信じがたい話だと思いますが」

「何の、噂が……」

 ひやり、背中を汗が伝う。知らず、声が震えた。それを見た伯爵の笑みが深くなる。

「貴方が自分の母を殺めたと。もしそうなら貴方がたは旅行者などではない。逃亡者だ」

「なっ! ころしてなんか、いないっ……ぼくは、」

 何故、今更そんな話が掘り起こされる。

「その反応……では、仮死状態の母を置き去りにして逃げたのは事実でしょうね。直接手を下したかどうかはどうでも良いことなのですよ。間接的であっても救える可能性を捨てたことに変わりはない訳ですし」

「何の確証があってこんな……」

「ふふ、噂にはきっかけがつきものですからね。確証なぞ無くとも当人を捕まえて揺すれば何かは出てくるでしょう。会ったことで半信半疑になりましたが……今の貴方の表情を見ればよ~く分かります。やっぱり、殺してしまったのです。そうなんですね」

 そう言いながら伯爵の笑顔が間近に、逃がすまいと大きな手が両肩にかけられた。心音が早鐘のように鼓膜を鳴らす。否定しなければ。そんなものではない、と。

 だが、事実だった。きっと打ち消しても見抜かれてしまう。

 ニコルは恐る恐る男を見上げる。軽蔑の視線を浴びてしまうことを予想して。

 男は――その顔に変わらぬ笑みを深く刻みむき出しの歯を見せる。

 ニコルは戸惑う。その、下卑た笑みに。

「あ、あの……おじさん?」

 あまりに場違いなその表情に身の毛がよだつ。狼狽える。逃げ出したい気持ちに連動して身体がのけ反ろうとする。

「――いけないお人だ、お嬢さん」

 先程までぎゅっと押さえつけていた肩にかかる手が、するすると伸びて嫌がるニコルの顎を抱え込んだ。そして男は。


「――っ!! おじさっ……」


 ちいさな唇を貪った。


(な、なに……これ)

 ニコルには理解出来ない。この行為に一体何の意味があるのか。分かるわけがない。解りたくもない。彼はまだ知らなかった。

 気持ち悪い。

 分かるのは得体が知れず気味が悪いということだけ。顔を合わせるだけでも苦い液が胃からせりあがってくる。触れてくる手が、足が、息が、べとついて生暖かい。

 男は更に強く抱きしめる。逃れようとあがきもがこうとも却って痛いほどの力でぐっと掴まれベッドの上に押し倒された。

「――っ」

 助けを呼ぼうとするが即座に自由を奪われてしまい叫ぶどころか一声あげることすら容易でない。

(嫌だ……これはダメだ、こんなの……)

 頭の中がぐるぐるぐる。

 理解不能を突っ切ってこれは異常だと身体全体で警鐘を鳴らしている。身を捩り抵抗……優しい笑みで気を緩ませてからの腹への蹴りに涙が飛び散った。痛い、はすぐに解らなくなり恐怖ばかりが募る……助けて、アラン。


 いつの間にか心の中では相方の名を叫んでいた。どうか、気づいて欲しい。今すぐ、助けに来て欲しい。

「誰も助けなんて来やしないよ、可哀相なこひつじさん」

「――ッあ……」

 少年の考えていることなど見透かすように、男は囁き尚も苦しめてゆく。

「ちゃんと私のことを見てくれないと困るな。他の奴に気を向ける暇などあげないよ……その眼は私だけを見つめていておくれ……」

 忙しなく肩で呼吸するニコルの下肢にぶくぶくした指先が伸ばされ悪戯に弄ばれる。滲んだ視界に含み笑いを浮かべた男の姿が歪んで映り込んだ。

「――っ」

 歯と歯の隙間から喘ぐような息が涎と共に漏れ出て真っ白な敷布シーツを濡らした。子どもは目を涙で光らせてただひたすら願う。

(早く終われ早く終われ早く終われ早く終われ早く終われ早く終われ早くおわれ早くおわれ早くおわれ早くおわれはやくはやくはヤクはヤクハヤクハヤクハヤクハヤク――――――………………)

 ただもうバラバラになりそうで怖かった。きっと後で振り返れば一瞬なのに、今だけは死んでも良いとさえ思える程長い長い時間に感じる。せめて、気絶することさえ出来れば、こんな気持ちを覚えることもなかったのに……。


     *


 ――唐突に、目が覚めた。それがあまりに急で、寸前まで見ていた夢が何だったのか思い出すことが出来ない。何か、大事なことを夢に見た気がするのだが掴もうとする前に霧散してしまった。あれだけ酷かった倦怠感もすっかり消え身体の異常はどこにも見当たらない。

 首から覗く懐中時計の針はさして動いてもいない。

「かなり怠く感じたのにたった二、三時間でとれるものなのか、疲れって……でも、この感じは違うな。何だか…………」

 違和感を覚えながらとりあえずガウンと靴を引き寄せ立ち上がる。

 ………………。

 物音がしない。夜中の静けさというには少し大人しすぎる気がして咄嗟にベッド下に隠していた短剣を懐へと忍ばせる。こんな状況だからこそ万が一を考えなくてはならない。そんなこと、本来あってはならない……が、充分あり得ることだ。もし今想定していることが現実に起こっているのであれば、先刻までの自分のことだって筋が通ってしまう。

 王都で見た惨劇が脳裏に閃く。目下にある絨毯がまるで血を吸ったかの様に暗紅色で眩暈がした。

「ニコル……は、いない」

 案の定その部屋の中にニコルはいなかった。彼のベッドは朝から微塵も変わった様子がない。ますます予感が現実めいてゆく。

 恐らく、嵌められたのだ。あの男によって。

「っは……どうしてもっと早くに気付けないんだよ僕は。この、平和ボケ野郎……」

 悪態づいた少年は姿鏡に映り込んだ無様な己を刺すように見つめた。慎重に事を運ばねばならないと解って緊迫した面持ちになる。額に張り付いた髪が汗で冷たい。

 ニコルがいるとしたら、きっとあの男の部屋だろう。部屋はバカみたいに幾つもあるけど、地道に虱潰ししてゆくしかない。急がなくては。あの子の胸に深い傷がつく前に。あの子が音を上げる前に。

 きっと今も苦しんでいる。

 急がなきゃ。


 アランは暗く淀んだ闇の中、助けを呼んでいるであろうニコルの為、長い長い迷宮を進みはじめた。


     *


 最早感覚という感覚は深く深く沈みゆき麻酔をかけた様になっていた。目の前で繰り広げられている光景は現実味がなく動く絵……という具合。しかし意識が飛びそうになると四肢に走る激痛と不快感でたちまち現実へと引き戻され、その度に嬌声を漏らす自分を酷く嫌悪した。

 男はというと、相手の一挙一動に愉快がっていた。子どもが泣こうが苦しもうが却って有頂天になってしまうので全く手をつけいる隙が無い。

「――っはぁ、ん……」

「……可愛いね、ニコル。まるで少女みたいだ」


 紡がれる甘言は薄っぺらな言葉の羅列に過ぎない。さして想って出たものでもないのであろう。

 焦点の定まらぬその虚ろな瞳には恐らくどのような言葉も届いていない。ニコルの顔から表情といったものの一切が抜け落ちてしまって、それなりの時間が経過していた。

 限界だった。

 身体精神こころもぼろぼろ。時折回復する意識の僅かな間では死を欲した。何でも良かった。とにかくこの状況から逃れられるのであれば、どうなろうと良い。

(ああ、もう、むりだ……)

 ぐちゃぐちゃな意識でぼんやり、そんな思いが零れて消えた。

 と、そのとき。


――ッ……ギィ。


「ニコルをこちらへ返してください……オルター伯爵」


 床板を踏み鳴らし部屋の中へ入ってきた人影は小振りだった。寝着にガウンを羽織ったその人物はランタンを提げ、二人の方をよく見ようと近づいてくる。男は身じろぎ突然現れた少年に目をやった。

「遊びはこれでおしまいです……もう気は済んだでしょう?」

 そういう少年の言葉尻には、こころなしか怒気が感じられる。空いている方の手をぎゅっと握り込め、言葉を続けた。

「密告なんてしません。ただ無事に返してくだされば、それで良いんです。僕らはもうここを出てゆきますから……お願いします」

 ややあってベッドを降りた男は面白がる様に少年を見据え口を開いた。

「……もしかして君は、街で私の噂を聞いていたのかな。アラン君? ……君には睡眠薬を盛っておいたはずだが何故効いていない」

「あいにく、そういった薬品類は効きづらい性質たちでね……普通なら致死量レベルでしたけど僕の場合死ぬほど眠くなるだけでした。おかげで連れの非常時に後れを取ったわけなんですが」

「……成程、合点がいったよ。初日から量を増やして様子を見ていたが全くピンピンしていたのはそういう理由だったのだね」

 伯爵は乱れた襟元を正し嘆息した。

「伯爵、貴方は随分この街の住民から風変わりだと言われているようですね。見目麗しい少年を見掛けては屋敷に招いているんだとか。でもって貴方はそうやって連れ込んだ子供たちを甚振いたぶっていたと――僕の勝手な推測ですが、散々楽しんだ後は人買いに売り飛ばしてるんじゃありませんか」

「ほう、お見事だ。君を少し甘く見ていたようだな。こういったことに疎いか解ったところで首を突っ込んだりしないタイプの人間だと思っていたよ」

「良いから早く返して下さいよ。僕の友……友、人なんですから」

 先刻から頷き感心してみせるばかりの男に憤りを隠そうとせずアランは数歩歩み寄った。が、友人と口にしたときの声は躊躇いと緊張で掠れ、誤魔化すように咳払いをした。耳の端が薄明かりの中でも赤く染まっているのが視認できる。

「アラン……ぼくなら、もう……だいじょ」

「全然良くないよ! やっぱりこんなところに泊まるんじゃなかった。それで君が――――」

 それまで二人の会話を途切れ途切れに聞いていたニコルが、やっと男が離れたこともあって、ゆっくり起き上がり傷んだ身体をどうにか支えて参入した。とにかく無事だと伝えたかったのだが、アランはまだ気が気でない様子で戻って来いと合図している。二人の間には結構な距離があってニコルは躊躇する。

 隣にいる男はニヤニヤしていた。このまま戻ろうとしたとして、この男がそう易々と帰してくれるはずがない。そう考えて子供が困っていることはお見通しだった。小刻みに震える子供の耳元で、男は楽しそうに囁き掛けた。

「あの子も意外と美少年といえるのかもしれないね。私の好みではないけれど、こういう子が好きな人もいるだろう……きっと沢山可愛がられる」

 ニコルにしか聞こえないちいさな声だった。何を話しているのか分からぬアランは怪訝そうに顔を顰めた。

「ぼく……おじさんのこと、嫌いになったよ。ぼくにしたことは、良く分からないけどアランまで巻き込もうっていうの? そんなことさせないしそんなことを平気で言うおじさんのことも許さない」

 驚くほど冷たい声がニコルの口から発せられる。翠の瞳が爛々と大きく不気味に開かれ男を射た。

(この人の言ったことは本気だ。アランを誰かに売る気なんだ。ぼくがされたみたいにアランも……――――そんなの、ダメだ)

 これから起こり得る展開を想像し腹の底から沸々とした怒りが沸き上がった。ああ、今、ぼくは”怒って”いるんだな。

「そんな目で見られると哀しいよ、お嬢さん。冗談に決まっているではないですか」

 冗談ではない。愉快そうに細めた伯爵の目は笑っていない。これから何か手を打って捕まえて売るに違いない。

「……ムリだ。もうダメだ」

「君? 早くこっちに――」

 訝しむ少年。ニコルはその精一杯広げられた腕を見つめ、弱々しい笑みを浮かべた。

(はは……アランには、こんな目にあって欲しくないな)

 行く手を阻んでくる可能性もゼロでは無いが、自分に酔ったこの男は今油断している。ニコルがあちらへ戻るはずが無いと高を括っている。それならば………………。


「――ごめん。これ、借りてくね」

「えっ……」


 流れるような動作でベッドを降り、軽やかな足取りでアランの胸に抱き付くようにして飛び込む。少年が呆気にとられ固まる隙にその懐に隠されていた小刀を抜き取り、踵を返し男の方へ戻ってゆく。頬を綻ばせ帰ってきた子供に、男は満足という顔で声を掛けた。

「おお! ちょっとヒヤヒヤしましたが分かってもらえたのかな。戻ってくるとはなんて、良い子だろう! さあ、おいで。お楽しみは――」

「うん。そうだね、今から楽しいショーの始まりだよっ」

 歌うように言葉を遮り、間近に迫る伯爵の目を見上げて、ゆるり、微笑む子供。動揺する男の視線が痛いくらいニコルに向けて注がれた。楽しそうに天使が笑っている。

「とっておきの素敵な、ね?」

 男の顔がみるみる色を失ってゆく。

 っがはっ……!

 滴り落ちる雫がじわじわと絨毯を染め上げ広がってゆく。

「! ウッ、ゔああああぁぁぁあぁ………………」

 震えていた男が視界に入った血を見て状況を悟り悲鳴を上げる。逃げようとバタバタ手を振り回し天使を避けるが、動いたことで却って深く刃がめり込んでゆき、吐血した。

「ひっ……! や、やめッ」

 痛みに切れ切れの呼吸でよろよろと後退る。無様な男に子供はくす、と笑って。

「ふふ、逃げたって、もうどうせ、死んじゃうのにね」

 優しい、ゾッとする冷たさで囁く。


 アランが息を飲む音が遠くで聞こえる気がした。


(アランは、嫌なのかな。こういうの)

 前にも彼はそういう素振りを見せた。何だか今にも泣いてしまいそうな顔でこちらを見ていた。だけど、どうして嫌がるんだろう。こんなにヒドイこと、したんだから、当然の報いを受けるべきでしょう?

 それとも、ぼくは……何か間違っているのかな。

 ぼんやり、そんなことを片隅で思う。思いながらも足はつかつかと男に近づき蹴り飛ばした。苦労して引き抜いた小刀に映った自分が嬉しそうに笑い掛ける。眼下では男のぼったりとした腹が夥しい流血で汚れている。

 男が苦し気に呻く。ここであっさり死んでしまわれては面白くない。傍にしゃがみ悶絶する様をじっと眺めていると男の唇が動いた。タスケテ、クレ。笑い転げそうな気持ちをぐっと堪える。あれ程のことをしておいていざ自分の番になると命乞いするらしい。この嫌悪には既視感があった。多分、父の次くらいに嫌いな人間なのだろう。

「もうその辺にしようよ、ニコル……」

 何度目かの制止の声が聞こえる。頼むから、お願い、聞いて。そんな言葉が。振り返ると辛そうに顔を歪めた少年がすぐ後ろにいた。やっぱり、嫌なんだな。

「……もうちょっと待って」

 そんな顔をさせているのかと思うと胸がざわついてだんだん良くない心地になってきた。しかし興奮から覚めてしまっても破壊行動はそう抑えられるものではない。

 馬乗りになって一振り、ぐええっと不可思議な音が鳴る。そのまま、何度も何度も腕を振り下ろしては上げる機械的な作業が暫し続いた。

 死んだ目に自分の姿が映っている。飛び跳ねた血は手だけでなく顔や服にも付着しこびって不快になる。

「………………」

 沈める度身体がガクガク揺れた。なんで抵抗しなくなったんだろう。


「っ! なにッ?」

 唐突に男から無理やり引き剥がそうと背中に飛びつく影があった。

「もう止めようよ!」

「……どうして?」

 アランだ。必死に泣くまいと堪えている声。

「だって……とっくに死んでるんだよ」

 震える指の先を改めて見る。動かぬ男の口から覗く泡や飛び出しかけた眼球、血の海。静の景色が広がっていた。ぴくりとも息をせずニコルの知らない内に逝ってしまった。

「あ……ホントだ。気付かなかった」

「早く、ここを出よう」

「うん」

 まだ何かするのではと心配する少年にこれで最後、と言って男の喉に刃を突き刺し、溢れ出る血を眺めた。赤い。

 やっと満ち足りた感覚が下りてきて溜息をつく。部屋を出よう、立ち上がり小刀を返すとアランは苦笑いでそれを受け取った。血肉と脂が張り付いているのでもう使い物にならないかもしれなかった。少しだけ、反省する。

「ねえ、どうして僕が隠し武器持ち歩いてるって分かったの。教えてもいなかったのに」

 部屋を出る直前、背後で相方がそう言った。懐にしまった刀を服の上から触れ困惑といった表情でこちらを見ている。

「王都でも色んなところから出してたじゃん。また何か持ってると思っただけだよ」

「あ……そういえばそうだった」

 ますます困ったようになって頷くのを横目で見ながら、ニコルはそっと思う。……君は殺そうと思って戦っている訳じゃないんだよね。きっと死なないようにちゃんと考えてる。

「さ、出よう出よう。こんなところ何時までいたって仕様もないし」

「うわっ! ちょっと君?! 急に引っ張らな……わっ」

「早く行こー」

 空いていた手を繋いで引き摺る様に先に進む。つんのめりそうになって慌てて少年が小走りする。

「転びそうだね。ゆっくり歩こうか?」

「……そうして下さい」

 げんなり疲れ切ったアランを見て面白くなってきた子供は堪え切れずに声を出して笑った。むっとした少年がニコルの肩を強めに叩く。全然痛くない。

「優しすぎるよね、君って」

 肩をすくめつつニコルはずんずん前に進んでゆく。既に客間を通り過ぎた。もうすぐ外に出るだろう。

「怒ってるって分かってる? ……殺すことなかったのに。確かにあの人は最低だけど」

「え? 今何か言った?」

 歩くことに夢中になっていたニコルの耳に少年の声は届かなかった。

「……良いから、進んでよ」

「はいはい」


 屋敷の前庭には花に遣るちいさな水汲み場があった。二人は浴びた血を洗い流し、目立ったところが無いか丹念に確認した。生臭さは残っていたが遠目ならば問題ないのではという結論に至る。

「服……は、どうしようもないね」

 茶色く変色した血染めの服の裾を持ち上げてニコルが眉を寄せる。と、そこへ真新しい服が差し出された。アランだ。受け取り早速着替える。そうして着終わってから気付いた。

「……結局、女の子の着るやつだよね。これ」

 くるっとその場でターンすると袖口のふわふわのパフと幾重にも重ねられたスカートのフリルが揺れた。

「えっ いや、咄嗟に掴んで持ってこれたのがそれだったんだよ」

「ああ、あの変態おじさんの私物か」

 アランは自分の持っている服を広げまじまじと眺めた。少々装飾が派手だが着れないこともない。

「もう一方はまだマシかな。僕のと取り換える? 正直言ってそのスカートは着たくないけど。ニコルは何でも似合うよね」

 何気なく言ったその言葉が癇に障りぴくりと子供の細眉が動いた。不機嫌な声を出す。

「似合うって……似合ったら普通はダメなんだよ。ぼくも一応男の子だから」

 忘れているかもしれないのでもう一度言っておく、という感じでちらっとアランを見やる。少年はきょとんとした後、たった今思い出したかの如く口を開け瞬きした。

「あ、そうだった」

「……何、今の。ホントに忘れてたの」

「冗談だよ、冗談。だから、落ち着いて。その手はしまって」

 焦るアラン。


 もうすっかり明るくなった空の下、ぱちんと小気味良い音がちいさく響いた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ