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少々変わった伯爵の許暮らすこと三日。
アランはともかくニコルは……苦悩していた。
「――どうしよう。なんでなのかなあ」
翠の飾り玉のような目を持った子どもが茶色い衣装棚に山のように積まれた洋服を見てしきりになにか呟いている。
そう、彼はきちんと否定した。そのはずが……。
ううん、と悩んでいるところへ青空をそっくり映しこんでしまったかのような瞳の少年が一人トコトコとやってきて、状況を把握するなりあきれた顔になった。
「何、また女物と男物間違えられたって? あの人目と耳おかしいんじゃないの、それ……」
「……なんかいも説明したんだよ、なんかいも」
やっぱり聞こえづらかったのかな、ぼくの声。しょんぼりうなだれているとアランがつかつかと近づいて服の山を一角崩した。一枚を手に取って広げ、口の端を引きつらせる。純白のドレスローブ。真珠や銀の刺繡で飾り縁のある、可愛らしい洋服である。しかし、あと何年かで成人となる少年が着るような代物ではない。
「アラン、大丈夫だよ。ぼく、別にこういうのが嫌ってわけじゃないから。ただ、ちょっと恥ずかしいかなって……」
「そういう問題じゃないと思うけど!」
「ひゅひゃあ!」
いきなり声を荒げる姿にビクッとしてつい二コルは変な声を出してしまった。
「お、女の子の服なんか昔からだし、君から渡されたのだってそうだし、それに……」
二コルは心の中で思い返す。あの、優しげな声と眼差しを。あの人はいつも語り聞かせてくれたのだ。何故幼少期に少女の格好をするのかを。悪魔に連れ去られず健やかに育ってほしいという願いのこもった古くからの慣習。
――貴方がいないと寂しくて死んでしまうわ、きっと。
(母さま……)
ずきん、胸が痛んだ。
「……二コル? なんだか顔色が悪いよ。なんだったら、外出、やめようか?」
母のことを思い出すととても辛い。あんなに血を流して。やはり父さまがあんなことを……? 皆どこに行ってしまったのだろう。
それに、なにか忘れている気がする。
(アランがぼくのこと気にしてる。なにか逸らさせる話題……は、ないか)
彼より少し背の高い少年は返答のこないことでいっそう不安げにこちらをうかがっている。
「ん? 大丈夫だよ! あはは、きみって心配性なの? ……そのうち髪が真っ白けになっちゃうねー」
「――は?」
途端、相手は青筋を立てて、笑っている二コルを冷たく見返した。
「君が僕を心配させるような素振りをしょっちゅう見せてばかりいるからっ……せっかく心配してるのに、何だよその態度は」
「ぶふっ……」
「二コル、今笑った? そういう場面じゃなかったよね、ねえ。何で笑うんだよ!」
「わ、笑って、ない、よー?」
まさかあの言葉でここまで怒るなんて、意外だった。自分の言い分を聞いてもらおうと必死で喋ってくるアランがおかしくて、笑みがこぼれてくる。さっきまで母を想って息苦しかった胸の重みもうそみたいに晴れていた。
笑いって大事なんだなあ……。
*
今日外出しようとなったのにはわけがあった。二日間、伯爵の腕の振るったごちそうやら鬱陶しい数々のおもてなしによって彼らは屋敷に拘束されていた。さすがにこの毎日から少しの間でも抜け出したかったのだった。朝早くから動けば、伯爵はまだお休み中で気づかれずに屋敷を離れられるはずだ。
壁時計は午前五時を報せていた。七時には伯爵が目覚めてしまい、追いかけっこが始まってしまう。出るなら、今!
金で厚塗りされた書見台の浮彫模様を指でなぞりながら二コルが呟く。
「今行ったらきっと、気づかれないね……?」
「暗くなる前に戻らないと大事にされそうだなあ」
「うん」
結局、黙って出ていけばややこしくなりそうなので、置手紙をしたためた。
「ね、きみさ、道に迷うと困るでしょ。ぼくの前を歩いてくれるかな。その……ダメ?」
アランは書いていた羽ペンの動きを止め、子どもを静かに見た。翠の瞳が揺れている。
(まだ遠慮しているのかな)
恐る恐る、といったふうの彼にちょっとがっかりした気持ちを感じながら、アランはそっと微笑んだ。
「そうだね、うん。僕が君の前を歩こう。手をつないでいたらこないだのようにはぐれたりしないし」
「うん……ありがと」
ラゴン街では彼ら二人の姿はひどく目立っていた。アランもさすがに歩いていて視線があちこちから浴びせられるので気づけた。原因は十中八九ニコルだろう。
(そりゃあ、目立つよな)
隣できゃあきゃあと甲高い声を上げて指さしまくっているのだから。アランを引っ張って説明を求めるばかりか周りにまで尋ね歩くしまつ。
「ニコル、僕たち、みんなからすごい注目されているよ」
「え?」
二コルはアランに指摘されてようやっと状況を理解したらしく、顔を赤らめ肩をすくめた……が、新しい何かを見つけると子どもはあっという間に先ほどのことを忘れてそちらに夢中になるのだった。
「? あれ! あれはなんなの、アラン!」
(だめだ……)
すでに、一日振り回されとんでもなく疲れるだろう予感が、した。
それからというものニコルがあちこち走っては歩く為、アランは幾度も彼を見失いかけた。やっとのことで誘惑の商店街を切り抜け空を見上げれば、燃える太陽が一番高いところに鎮座していた。つまり、それだけ長いことこの街を追いかけっこで消費したのだった。
昼近くなった大広場は移動屋台や大道芸人のショーに集まる人で賑わいをみせていた。ここに世間知らずの子どもを一人投入してもあまり目立たないのではないか、そろそろ腰を落ち着かせたくなったアランは人込みをかき分け広場の中へ足を踏み出す。するとその脇から即座に子どもが出てきて、驚いた少年の静止も聞かず追い抜くと、中央の白い石像に走り寄って行った。
「あの天使の像のまわり……水のアーチができて……あれ? 止まった……」
正午を報せる鐘の音が天使のラッパから鳴り響いた。水のアーチはない。
ニコルは不思議そうに噴水口のあたりを覗き込んだ。そして、天使のラッパが止んだとき……。
「っふひゃあああ?! つめたっ」
思い切り水を被ってしまったのだった。驚きと興奮でニコルは笑い転げる。群衆はみな遠巻きに見てニコニコとしていた。
「ちょっと、落ち着こう? ね」
いつまでも甲高い声を発しているのでアランは恥ずかしくなった。よって子どもを最寄りのベンチで休ませる。ニコルはきらきらと目を輝かせて噴水を指し、言った。
「あれ、すごい! どうなってるんだろうね」
「うん、そうだね……」
それに対しアランは先が思いやられる、と考えていた。
いつの間にか噴水のそばで子どもたちが水遊びを始めた。片手にちいさなバケツをぶら下げ、もう一方にはおもちゃの鉄砲を握りしめ。
「……ふうん、子どもってこんなにくるんだねー」
それを眺めていたニコルがぼそりと呟いた。
「まあ、祭り時だしね。休日でもあるし」
そう返したアランだったが、その目はこの場を映してはいなかった。彼が見ていたのは故郷の野山。
(僕の村じゃあ、水遊びはしなかったな)
少年も昔は麦穂を踏みしめたり、草笛を吹き鳴らしたり、色んな遊びをしたものだった。懐かしい思い出。
そうやって双方異なる思いに馳せていたが……。
「?! おわっ、え? うそっ!?」
まずニコルが気づいた。その慌てた声にアランは我に返る。
(……は?)
二人めがけて突進してくる子どもたちの姿が彼らの目には映った。さっきまで水遊びに興じていたではないか。なのに、何故?
「っふひぃいいやぁぁああああ!? た、たすけっ、おぶっ」
アランの隣が一名犠牲となった。子どもたちは突如ターゲットを一つに絞り、そちらに突っ込んだのだった。ニコルの手が子どもらのひしめくなかで辛うじてわかった。もがく声が聞こえるが、抜け出せないでいるようだった。
「…………頑張って?」
どうやらもともと彼らの目的はニコルらしい。そう悟ったアランは二次災害をこうむらぬよう……内心は心を痛めながらも安全な外野に避難しておくことにした。
「っぶは! ちょっと、きみ……なんで一人だけ平和なの?」
ニコルは子どもたちの話をおとなしく聞くという条件でやっと解放してもらえた。
「……で、ぼくになんの話があるんだよ、きみたちは」
…………しー…ん……
「~~っ なんか答えてよ! どう反応すればいいのさー!!」
まさか沈黙されると思っていなく、ニコルは当惑し叫んだ。
「……あのね、おねえちゃんがね…にてるの。このごほんにでてくるひとに」
「――だれに? なんの本?」
「えっと、せいにこらさま! えいゆうなんだよ。しらないの?」
誰かが話し出すと次々に他の子どもたちも話し始める。
「とーってもやさしいんだぞ」
「えらいひと」
「せがひくかったから、ちいさいときはいじめられてたんだよ」
「さいごのせんそうで、くにのためにしんだの!」
最後の話を聞いたとき、ニコルは目を丸くして言った。
「えー?! しんじゃうの?」
「そうだよ」
(聖二コラ、か。この話きっとニコルは知らないよなあ……)
アランはニコルに逃げたことでとがめられぬように、ベンチの陰に隠れて彼らの話をうかがっていた。変なことは言ってくれるなよ、子どもたち。
アランの心配をよそにニコルはいたって冷静に話を聞いていた。
「へえー。にてるんだー。そんなに?」
「うん、すっごくそっくりだよ」
「そっかー。でも残念、ぼくの先祖にそういう人はいないみたいだよ。だってぼくは魔法はさっぱりだから。あっちのお兄さんのほうがよっぽど魔法なんか使えそうだよ? ね、」
「……は?」
脈絡のないふりがきた。頭が真っ白になる。何で僕に話をふるんだ!
「えー……あっちのひと、イヤ~。おねーちゃんがいいー」
容赦のない子どもたちの発言。アランは瞬殺された。ニコルがこっちへやってくる気配がする。子どもたちは散ってゆく。もう興味は失せたようだった。
「……いいの?話は」
「うん、いい。よくわからないもん。それに……」
「それに?」
聞き返すと彼はとびっきりいい笑顔で続けた。
「きみのすねた顔が面白かった!」
は? 何だ、それは。
「いや、子どもから拒絶されているときの表情とか見ていてとっても楽しかったなー」
「はあ?!」
「――さあて、ご飯食べにおじさんのとこ戻ろ。手、つないでさ……」
「あ……うん。そう、だね。もう暗いし」
(驚くまい。どんなにひどいこと言っててもニコルに悪気があるわけじゃ、ない。素であれなんだから……)
そう自分に言い聞かせると、青い青い瞳を優しげに細めて差し出されたちいさなその手を握り返した。
「戻ろっか」
*
男はたった三日前保護したまだうら若き少年たちが屋敷のどこにもいないのに気づき、血の気の引く思いでいた。日はすでに陰っている。警吏を呼び捜索を頼もうか……いや、そこまでせずとも帰ってくるだろうか。
「まさか、怪しいおじさんなんかに誘拐されてなんて、ないですよね。いったい何をなさっているのやら。ああ……こんなことになるのなら! 部屋に鍵でもかけておくんでしたっ」
そんなことをしたら監禁罪にでも問われかねないが。そんな考えは男にはないらしい。ふくよかな体を震わせ、そわそわと玄関先で奇声を上げ、フリフリのエプロン姿でフライパンとヘラを手に、待っている。はたから見れば十分異常者と思われるだろう……。




