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少年は、さっき逃げて行ったはずの男がこちらへやってきたのを不思議そうに見ていた。
さらにもう一人、男に刃を突き付けられ歩いてくる。それに視線を走らせ、アランはさあっと青くなった。余裕に満ちた笑みが消える。
衛兵は、それを見て自信を取り戻した。大声で怒鳴りつけるように少年に言う。
「このガキの命が惜しいか? なら、仲間をこっちに渡してもらおうか」
「うっ……」
(何であの子が捕まってるんだ。僕の弱みを握ったつもりなのか、この男)
しぶしぶ、といったように少年はぐるぐる縛っていた綱紐を解き、男の仲間たちを解放した。彼らは素早く少年から距離を取り警戒する。
「……じゃあ、二コルを返してもらえませんか」
まだ青ざめた表情で少年が言う。素直にこちらの要望をのんでくれるはずはないだろう。
「ハハ……それはムリだね。お前が死んでくれるってんならこいつは見逃してやらんこともないが。でもなあ、掟は掟だしなあ!」
ゆっくり、面白がるように少年を観察し、男は嘆くようなそぶりさえ見せた。アランが苦しむ姿をもっと見ていたかったのだ。追い詰められた少年のちいさくしなやかな拳がぎぅ、と固く握られる。
「……――じゃあ、そうしますから…約束、守ってください」
男は一瞬硬直したようだった。だが、はっと我に返って、ひきつった笑みをその顔に貼り付けた。「っはあ?! 本当に? ハハ……こいつは面白いなあ! そんなに、お嬢ちゃんが大切かい? 命に代えてもってか。お前は彼女の騎士かな」
「当然です。それじゃないと、意味ないんですから」
「意味?」
少年は淡々と言ってのけ、ちらり、人質の子どもを見た――子どもは微笑んでいる。アランは少し眉根を寄せた。
「お前ら、殺れ」
子どもの首に刃を当てたまま衛兵は周りに命じた。二人、アランに向かって剣を振り上げ走った――子どもはまだ肩を震わせて笑っている。いい加減、気味が悪いので男は黙らせてやろう、と首に刃をほんのちょっと食い込ませるようにして言った。
「おい、そろそろ笑うの止めろ。さもないと」
くすくす、笑う声がする。口元、隠した手の指の隙間から口角の上がった様がよく見える。うす桃のつやつやした唇と唇の合間から白くちいさい歯がちらりとのぞく。
「こいつ――ふざけてんのか」
男はいらいらして子どもの頬を殴った。衝撃でよろっとふらつく子ども。笑い声は止んだ。異様なほど首を傾げて、男の顔をじいっと見つめる。
「今度笑いやがったら、」
「殺すの? いま、アランが殺されちゃうみたいにぼくも嬲り殺される?」
子どもは緑の目を細めて歌をうたうように問いかけた。
「あぁ? この――」
「こっちが質問してるんだから、ちゃんと答えてよ。怒んないでさ?」
そういって男の表情の変化を下からのぞきこむように小首を傾げて見、ふふと笑い声を漏らす。
衛兵の頭の中で今、何か決定的な線がぶつん、と音を立てて切れた。むかむかして、王から任された証しのバッジをきらめかせ、剣をいきおいよく振り上げ……。
「あ。……ない。ない……ない…ないっ! なん、で」
なんで、もっていたのに、にぎりしめていたのに、そのハズの、剣がこの手にないんだ??
言い終える前に、男はぴくぴく身体を痙攣させてどっと崩れた。一体何が起こっているのか、さっぱりわからなかった。地面に叩きつけられてしまうより先に、この男の息は途絶えていた。後にはどす黒い血がどくどく、どくどく……と鮮やかな緑の草地を赤く濡らし、しみをてんてんと残すだけ。
「……――二コル?」
少年は恐る恐る顔を上げ、のどを震わせた。いつまでたっても、斬りにくるハズの二人の兵もやってこない。アランの目と鼻の先、足許に崩れ折り重なっている。
絶命していた。
「……これ、どういうこと……ニコル」
死を覚悟し、いよいよだなと目をつむっていたのに、一向に痛みが襲ってこない。異変を感じて、というより嫌な予感がして、アランは辺りを見まわした。緑の草地が赤く、鼻先には血臭。
倒れ伏す男の死体のちょっと離れた位置に、ニコルは立っていた。握られた剣の先からポタ、ポタ……赤黒い液体がしたたり落ちてく。
彼が殺したのだろう、これは歴然。ただ疑問がいくつも浮上してくる。いつそんなことをする隙が彼にあったのか。そもそも人はこんなに簡単に殺してしまえるものだったろうか。素人が、何かを殺害したとして、普通、その場合は我を忘れているかカッと発作的に…だったりじゃないだろうか。
くすくす、とちいさく微笑う声がした。
アランは思わず自分の耳を疑った。しかし、どう聞いてもそれは彼ののどから発せられているのだ。
「何で、笑ってるの」
笑い続けるニコル。楽しそうに、無邪気に笑っていた。本当に、心底面白いのだ、と。
――怖い。彼が。
だが、少年はやがて彼の許に近づいていった。笑い声はアランが彼の感知領域に入ったことで止まった。
ふう、と残った息をもらしてアランを見つめる。
そして、にっこり微笑んだ。
「よかった! 君が死ななくって」
あまりに普通に返してきたのでアランは上手く反応ができず口をパクパクさせた。
「あ……に、ニコル? あの、」
「君に死なれたら、多分ぼくはのたれ死ぬでしょう? そんな気がするんだ……」
君が生きててよかった、そういって笑う。
「あ……うん?」
「だってさ、」
アランはまだ言うべき言葉が見つからずにいた。そんなことはお構いなしにニコルは話し出す。が、またすぐに話を切った。一歩ずつアランににじり寄ってくる。
そっとアランの両手を包み込んだ。
「……君を殺すのは、ぼくなんだから」
「?! ニ、ニコル? 何言って――」
ぎくり。ニコルの瞳の奥深くに、何か不穏な闇が蠢いている。言葉をとぎらせ、黙ってニコルの顔を見つめていると、ゆるり、艶やかに微笑まれた。しかし、目は虚ろで、だ。ぼんやりとしたそのなかにどことなく不吉な陰りがある。
ぞっとするような視線だった。危険だな、とすぐ思える。得体のしれない恐怖で額に汗が噴き出てくる。
「――ねえ、……」
彼は刃をアランの目の前に突き出し、上目づかいで見つめてきた。非常にゆったりとした動きだ。逃げようと思えば逃げられる、そのはずだった。
なのに。
刃先が首元をかすめた。血がにじむ。
「あかくて、すんごくきれいだ……」
ニコルは剣を放り出して、さっき負わせたアランの傷跡をそっとなぞる。
「……これ、大丈夫? 痛くない?」
微笑って彼は尋ねてきた。アランには何が何だかさっぱり訳が分からない。
理解らなくなってしまった。
そこまで長い間会わなかったわけでもないだろうに、変わったというのか。それとも、本質を見抜いていなかった、それだけのことだろうか。
「別に、痛くはないよ。……それより、早くここを出ないとまた敵にみつかっちゃうよ。行こう?」
とにかくこうしていつまでもこんなところで突っ立っているべきではない。そう思ったアランはこの異常事態を大したことじゃないように無理くり思い込んで、にっこりニコルに笑いかけた。後で考えを整理しよう……。今は頭がまわらない。
「……どこにいくの?」
彼は目をぱちくり、問うてきた。
「ラゴンの街。この国じゃあめっぽう有名な過密地域なんだ。そんだけ人が多ければ逆に見つかりはしないんじゃないかな、と思って。その次にはきっと長期滞在できるくらいになってるでしょ」
「へえ」
すらすら、ずっと用意していた言葉が口から滑り出てきた。子どもはさっきまでの異常さは影を潜め、いつものニコルに戻る。アランはそのことに気づいたとき、ほっとした。
(人なんて殺してしまったんだ、そりゃ気の動転もするさ……)
王都の南門を出て、補正された道を歩きながらアランは呟く。
「――……気を付けとかないと」
気を付けとかないと。しっかりしていないと、繋いだ手の先のニコルを見失ってしまいそうで、怖かった。押しやったってさっきの異様な視線の恐怖は忘れることなんてできない。
安心は、まだできなかった。




