《海の使い魔》
『………あの子よ、音澤さんの孫』
『え?
…けど、全然似てないし、それに…』
『どうして泣いてないのかしら?』
私が五才のとき、お祖母ちゃんは死んだ。
厳しかったけど、優しい人だった。
ご飯やお菓子を一緒に作ったり
よく公園に出掛けたり、家事を教えてもらった。
生きる術を、すべて教えてもらった。
『人形みたい。不気味な子。』
『ほんと、綺麗だけど
綺麗すぎて…ねぇ?』
イタッ…
いつのまにか誰かに握られていた手が、ちょっと痛かった。
頼り無くて小さい手をたどると
かわいい顔で一心に、私のことを言う人達を睨む子供が居た。
“私”の愛する人。世界で唯一の家族。
血に細胞の奥の奥まで刻まれた呪いのような執念
「泣いていいのよ」
その女性の言葉に、頬が熱くなって涙が落ちていった。
声にならない哀しみがどんどん溢れていった。
もう会えないんだ。
触れないんだ。
話せないんだ。
自覚してしまったら、知ってしまったら、悲しくて哀しくて。
どこか夢みたいだった景色が、突然、現実じみてしまって…
悲しくて哀しくて悲しくて哀しくて哀しくて…
貴方は…
貴方たちはどこまでも優しい
…本当に。
大好きな“私”の姉兄たち。
裏切って…ごめんなさい。
「ッハ………はぁ……はぁ………」
ドクドクと鋭くなる胸を押さえて、私は何度か深呼吸をした。
あれは…夢…?
にしては、リアルすぎて…。
お祖母ちゃんの葬式なんて、もう思い出せないと思ってたのに。
でも、変だった。
ただの記憶じゃなかった。
最初は私だったはずなのに
いつの間にか違う人が混じっていた。
自分と間違えてしまうほど、極自然に紛れ込んでいて…。
「…ここは」
息を落ち着かせ、周囲を見回した。
全く見覚えのない部屋。
真っ暗でよく見えないけど、自分の部屋じゃないことは確か。
…………ああ、そうだった。
もう、あの部屋に帰ることは永遠にないんだ。
…タイガに会うことも。
昔からそうだったけど、悲しいはずなのに涙が出てこない。
泣こうと思えば泣けるんだけど、泣く気がしない。
案外、私も薄情なんだね。
「誰も居ないのかな」
それにしても静かだ。
ユウヤさ…御兄様の姿は見当たらないし、他の…アーテルさんやランさんの姿もない。
窓の外を見てみたら、周りには普通に家があった。
まだ魔界でもない…?
それとも、魔界なのかな…?
わからない。
行ったことなんてないし。
とりあえず起き上がって、ドアの扉を開けた。
「エミヤ様、お目覚めになられましたか」
…びっ…くりしすぎて何の反応も出来なかった。
「…ランさん」
「はい。」
目の前に居たのは…というか、かしずいてらっしゃるのはランさんだ。
前に会ったことがある。
私が御兄様と一緒に行くことに決めたから、ランさんは本当に私の従者になるんだろう。
あんまり実感わかないけど。
…王になるのもね。
安易に暗殺とかされないかな…。
されるのが一番楽だと思う。
周りを見渡してみたが廊下があるばかりで、御兄様の姿は見当たらない。
「御兄様はどこに…?」
私の問いに、ランさんはかしずきながら答えた。
「自室に居られます
御休みください。
今、呼んで参ります」
そういうランさんに、私は少し困った。
「自分で行きたいのですが…」
別に体の調子は悪くないし、出来ればここに一人では居たくない。
少しでも、誰かと一緒にいた方が落ち着ける。
「……では、こちらに」
ランさんは少し間を置いて立ち上がり、私に手を差し出した。
戸惑って見上げてみたが、ランさんは無表情。
断る理由もないので大人しく手を取ると、ランさんは歩き出した。
「…ここは魔界ですか」
歩き出してすぐに、私はランさんに聞いた。
「いいえ、磁界です」
ランさんは前を向いたまま短く答えた。
怒っている訳でも機嫌が悪い訳でもなく、単にそういう人のようだ。
「では、いつ魔界へ?」
「満月の時に…明日になります」
「そうですか」
私は軽く目を閉じて感慨に耽った。
満月の時でなければならない理由があるのだろう。
こういう事になってしまったのは急だったのに、満月が明日に控えていたのは運が良かったと言える。
あまり長い間ここにいても、良いことなどない。
「………エミヤ様は本当によろしいのですか」
ランさんの低い言葉に、私は目を見張った。
彼がそんなことを言うとは思いもしなかったのだ。
誰よりも私が魔界へ行くのに賛成なように見える。
…それでもランさんは、私の事を気遣ってくれたみたいだ。
「私が良いか悪いかなど、関係ありません。」
悲観でも何でもなく、私は微笑みすら浮かべてそう言った。
すべてはもう決まったこと。
もう引き返すことなどありはしない。
けれどランさんは不服そうに立ち止まった。
「今なら間に合う。」
ランさんの言葉に、私は少し苛立った。
「同情なのか知りませんが、今更にも程があるでしょう。
私が魔界へ行けばそれで丸く収まるのでしょう?
そこに私の感情など必要ない。」
そう言い捨てた。
もとから薄情な人間だったのだ。
感情など簡単に捨てられる。
そうして捨ててしまったものは2度と手に入らない。
何も、間に合いなどしない。
もう、手遅れなのだから。
「…あの男は。」
何故だか、男とはタイガの事なのだと思った。
「!…」
タイガの事を思ったら、さっきまで何も感じなかったはずの心が急に動き出してしまった。
ぎゅうっと心臓や喉を捕まれてしまったみたいに、すごく苦しくなった。
どうしてこんな風になるのか分からない。
苦しくて苦しくて堪らない。
すべてすべて、投げ出してしまいたくなるような…!
「まにあ―」
「エミヤ?」
ハッとして前を見ると、扉から出てきた御兄様が居た。
…あ、嗚呼、そうだ。
御兄様を見棄てることなんて、魔界の人を見棄てることなんて、出来はしなかった。
心が一気に冷めていって、苦しかったのが軽くなった。
これが正しい。
心が苦しかったのも、軽くなったのも、そのせいだ。
この判断が一番正しい。
私一人が消えれば全ては丸く収まる。
だって私は悪魔なんだから。
だって私は、もう、来るところまで来たのだから。
間に合うことなんて無い。




