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司書さんのお仕事  作者: 水島緑
晴れない朝霧
7/43

そのろく

 バロウズ・グルスリッド。


 先ほど、図書館へやってきた三つ爪の傷跡がある鎧を着ていた騎士の名前である。


 脳裏でぐるぐると回るバロウズの名前と三つ爪の鎧がカエリの意識を根こそぎ奪っていった。


 彼の目の前には『木陰』の首領がいるというのに。


 フロウはカエリの疑問に答えたことをわずかに後悔したが、心ここに在らずなカエリを首領は叱ることもなく、ただ面白そうに眺めている。


 一方、カエリの隣のアズはがちがちに緊張していて、違う意味で話を聞いていないようである。


 想像していた首領の姿からかけ離れた姿が首領本人だ、ということに余計緊張しているようで、ちらちらと首領の幼い顔立ちを眺めては目を逸らしている。


 『木陰』の首領――フリステンはいたいけな女児の姿をしていた。


 フリルの装飾過多なドレスを身につけ、あざといほどに無垢な女の子に見せているのである。だが、その幼子そのものである容姿にはぴったりで、だからこそ誰からも可愛がられ警戒心をなくさせることができるようになっていた。


 まるで人形のようだ、と図書館に入ってきた首領を見てアズは思った。


 ゆるく内巻きにされた金髪に枝毛の一つもなく、宝石のようにきらきらと輝く紺碧の瞳がアズを捉えて微笑んだとき、彼女は首領から目が離せなくなっていた。


 目の前にいるのに意識がどこか遠いところに旅立っているアズとカエリの姿に、首領の付き添いで来た秘書兼護衛の男装の麗人が困ったように苦笑している。


「ほーら、二人とも。いい加減に戻っておいでよ。ロリータ首領に驚くのはわかるけど、話が進められな

いだろう?」

「あ……ご、ごめんなさいっ」


「……そうですね」


 いつしかじっとフリステンを見つめていたアズが飛び上がるように驚いて、慌てて頭を下げた。隣のアズにはっとしたカエリも我に返ると返ると同じように頭を下げた。


「よい。若者はそうあるべきだ。一つのことに夢中になるのは悪いことではない」


 良いことでもないが――外見に似つかわしくないほど硬い口調に二人が驚くと、フリステンは柔和な笑みを浮かべて鷹揚に頷いた。


「では改めて。妾こそ、お主らに命を出す、いわゆる首領だ。どうぞよしなに」


 まるで獅子を前にしたような威圧感である。その小さな身に獅子を宿しているようで、カエリたちは知らずに身を引いていた。しかし本人にそのつもりはなく、やや引き気味のカエリたちに内心で肩を落としていたりするのだが、カエリたちが気づくことはない。


 格の違いを見せつけられているようであった。自分たちでは到底手の届かない領域に存在する人間を初めて見た。軽く髪を払う仕草も、たおやかに微笑む姿も、まるでそこだけが凍りついてしまったかのような冷め切った瞳も、カエリたちにはどこか遠いものに思えた。


 そう、瞳だ。フリステンの瞳は、道端の石ころを見るような目だ。表情は柔らかく、外見もあいまって

ひどく可愛らしいのだが、その目がなによりも雄弁に語っている。


 ――お前たちに価値を見出していない。


 そんな心の声が聞こえるようで、カエリは人知れず生唾を飲み込んだ。


 しかし、それはたぶんカエリの妄想だ。隣のアズは頬を赤らめてフリステンを見つめているし、フロウも肩をすくめているだけだ。フリステンの背後に付き添う男装の麗人はいまいちわからないが、誰もカエリの印象は抱いていない。


 だからこそ、フリステンの無機質な瞳が余計に際立って見えたのである。


「では本題に入ろう。お主らを呼んだのは、一つ頼まれてほしいことがあるのだ」

「頼まれてほしい、ですか? それなら、普通に命令でも……」


 わざわざ首領が話をしにくるのだから、もっと大きなことかと思っていたのでいささか拍子抜けした。


「問題というほどのことでもないのだが、少しな。実は、クロエ・スレッタートの願いを引き受けてほしいのだ」

「願い?」

「うむ。あの子が指名手配された理由は知っているか?」

「一応。貴族の殺害未遂ですよね」


「その通り。お主ら二人にはその貴族を始末してほしいのだ。クロエ・スレッタートは我らと共に来てくれる条件として、それを願った」


 ぼけっとフリステンを見つめているアズを肘で小突くと、ようやく我に返ってごまかすように咳払いをした。


「つまり、その貴族を殺すことを僕たちに……?」

「うむ、そうなる」

「……その貴族は、クロエさんの仇なんですか?」


 ただの一般人が貴族に歯向かうなど、尋常ではない。クロエが貴族を殺そうとしたのにはなにかしら訳があるとは思っていたが、ここにきてカエリは表情を険しくした。


「……鋭いな。両親の仇だそうだよ。手篭めにされた母親を助けに行った父親も殺されてしまったらしい」


 苦々しい言葉だったが、ありふれた話でもあった。


 貴族が町娘を見初めて攫うのは当たり前。例え人の妻であっても、実行してしまう貴族はいる。クロエの両親は不運だっただけだ。


「……よく聞く糞貴族ですね」


 領民に慕われる善良な貴族もいれば、権力を笠に着て好き勝手する貴族もいる。ブロッサにも貴族はいるが、清濁どちらも存在しているようだ。


「ああ、本当に。しかし、ただ殺すだけではないんだよ」

「というと?」

「クロエ・スレッタートが同行する。仇は自分で取りたいと言ってな」


「それは……」


 思わず難しい表情を浮かべたカエリに、フリステンが苦笑した。


 クロエの気持ちがわからないわけではない。むしろ痛いほどに理解できるし、協力してやりたいとすらカエリは思った。だが、それとこれとは話が違う。クロエは素人だ。まるで“こちら”のことを知らない人間を連れて行くのは正気の沙汰ではない。


「門外漢を連れて行くことがどれほど危険なことなのか、それは承知している。更に相手は貴族だ。警備も整っているだろう。それに、一度毒殺されかけているので余計に警備は厳しい。それを知った上で、お主らに頼みたいのだ」


 幼い外見に似つかわしくない真剣な眼差しだった。だが、圧力は感じない。ただただ真摯な瞳で二人を見つめている。


 アズが既に引き受けるつもりでいることを理解した上で、カエリは悩んだ。


 クロエへの共感と、危険性。それを天秤に掛けて、更に自分たちの実力を重りにした。


「その貴族は、悪い奴ですか?」


 ぽつりと呟いた声は不思議と響いた。年不相応な言動のカエリに慣れた人間からすれば、ずいぶんと幼い物言いだ。離れたところにいるフロウがぴくりと眉を動かした。


「紛うことなき悪人だよ」


 フリステンはカエリの過去と性格を知っている。その事情も、過去も、その上で、彼女は言葉を選んだ。いまになって、カエリは命令にしない理由を悟った。それは危険性だ。確かに、上に立つものとして命令するよりも、自発的にやらせたほうがフリステンへの不満は少なくなる。それを加味して、敢えてカエリを焚きつけるような言葉を選んだのだ。しかし、利用されていようがいまいが、悪人に対するカエリの行動はなに一つ変わらない。


「わかりました。僕たち二人と、クロエさんでその貴族を殺します」


 囁くような声には、昏い熱が篭っていた。







「よろしかったのですか?」

「彼を焚きつけたことか? それとも――」


「彼が気づいていたことも含めて、すべてです」


 静まり返った図書館で、ぽつりとハスキーボイスが響いた。それに反応したフリステンは自らの背後にいる男装の麗人をちらりと一瞥して、皮肉げな笑みを浮かんだ。


「逆に聞こう。きみは良いと思うのか?」

「いいえ。最低ですね」


 ずばりと容赦のない言葉と冷め切った瞳が向けられて、フリステンはむしろすっきりとしたような快活な笑い声を上げた。


「それが妾の答えだよ。まったく、これが役目だとはいえ嫌になるよ」

「弱音ですか。情けないですね。私が慰めるとでも?」

「思わない。これは自責だよ」


 苦笑して、フリステンは疲れたように項垂れた。


「いけませんよ。そんな姿、誰かに見られたら……」

「ああ、大丈夫だ。……この姿のように、心も凍りついてしまえば楽なのだがなあ」


「……そうですね」


 痛々しい言葉に、男装の麗人は一瞬顔をしかめたが、すぐに元の無表情になる。


「らしくないですね、貴方が感傷に浸るなんて」

「ん? まあ、そうだな。あの子たちを見ているとどうしてもな。まだ子供だからか……」

「そうかもしれませんね。私たちの中でも最年少の二人ですから。……母性に目覚めたのでは?」


 表情は変えないが、どこかいたずらっぽい言葉にフリステンは思わずといった風に笑みを零した。


「ずいぶんと面白い冗談だ。気に入ったよ。妾が母か。ふふっ」

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