そのよん
商業都市の観光名所といっても、ケリオスの滝はそれほど人気がない場所である。というのも、商業都市が成り立つ以前からの名所であったが、すぐ隣に巨大な街が出来、更にはその街そのものが観光地になってしまったのが原因で、影に隠れてしまっているのである。しかし、隠れた名所としての価値が新たに加わり、街の喧騒から逃れたいときにはちょうど良い場所である、とカエリは以前読んだ旅行記を思い出していた。
途中、すっきりとした様子のアズと合流し、ブロッサにとんぼ返りした三人はケリオスの滝へやって来た。
ブロッサの拡張工事が行われる度に、ケリオスの滝がある森は規模を縮めていった挙句、滝自体を埋め立ててしまおうという話も出ているのだから商業都市とは恐ろしいものである。
ブロッサから漏れ出る明かりが唯一の光源であり、闇に紛れるには都合の良い森だが、既に人の気配がいくつか感じられ、更にカエリたちの気配を察知したのか、次々と増えていく。
「ビンゴかな。あーでも、向こうも織り込み済みのようだね」
「ひとつ、ふたつ、みっつ……うわ、これは追いかけてくる人間を待ってたみたいですね。数が多い。あわよくば戦力を削るつもりなのか」
「でもさ、やることは変わらないんでしょ?」
はきはきと嬉しそうに言うアズに、フロウが笑顔で頷く。
「その通りだとも。力づくでぶん取る。さあ、行くよ」
じゃら、と真っ先に動いたのはアズだ。腰に巻きつけた鎖をほどきながら飛び込んだ先に一人、黒ずくめの人間が潜んでいた。
アズは両手が塞がっている状態ながらも、黒ずくめの先制をかるくいなして顎を蹴り上げた。それと同時に鎖を振り回し、遠方から弓で狙っていた者の額をかち割った。
「生き生きしてるなぁまったく。……あれ、館長?」
ほんのすこしだけ目を離した隙にフロウの姿がかき消えていた。周辺にいる待ち伏せがアズに気を取られている間に先行したのだろう。抜け目のない行動に感心しながら、カエリはアズの援護と陽動に勤めることにした。
「そこだな」
呟いて、手近な木をするすると登っていくと隣の木に飛び移る。それと同時に黒く染められたダガーが飛んでくるが、身を翻して枝にぶら下がったカエリには当たらない。
一回転しながら枝に乗り、懐から次のダガーを取り出した黒ずくめに一息で肉薄すると、ダガーを持った手首を握り潰して封じると思い切り引き寄せ、喉元に肘を叩き込んだ。
流れるような一連の動きに、いまにも飛びかからんとしていた黒ずくめたちがたじろいだ。カエリもアズも少年少女といった外見だ。背丈も低く、体格も優れていない二人が大人を苦もなく打倒しているのだから彼らの動揺は激しい。
しかし、彼らにもプライドがある。子供にいいようにあしらわれては『夜会』の面汚しになる。
などとは思うが、嵐か台風のような二人を止めることはできず、なまじプライドが高いせいでいたずらに被害を大きくするだけであった。
「もうっ、手応えないーっ!」
「いいから行くよ。拠点の中ならもっと強い人もいるかもね」
「ほんと!?」
適当なカエリの言葉に瞳を輝かせたアズが喜び勇んで駆けていく。慌てて追い掛けると前方から押し殺した悲鳴のようなものが聞こえてきた。
十中八九、フロウがやったのだろう。
これ以上獲物を取られてはたまらないとばかりにアズは口角を吊り上げた。まるで狩人だ。
舌舐めずりまでしそうなアズに置いていかれまいと走ると、森を抜けて開けた場所に出た。清廉な水音を絶えず響かせながら、滝壺に水を落としている光景が広がった。
水面には黒い布――よく見れば『夜会』の人間――がぷかぷかと浮いており、ゆっくりと沈んでいった。
「近いねっ」
「そうだね。……鎖振り回すのやめてよ。危ないから」
堪えきれないとばかりに鎖を振り回すアズを、振り回された分銅を躱しながら窘めると近くで悲鳴が上がった。
目を凝らしてみれば、滝の裏に洞窟があるようで、そこからほのか光が漏れている。確かに水が光を遮って滅多なことでは発見されそうにない。
「あそこだね。行こうか、ってもう行っちゃったし」
嬉々として走っていく後ろ姿を呆然と見送って、はっと我に返ったカエリがそそくさとアズを追い掛けた。
洞窟の中は水源がそばにあるせいか、ひどくじめじめとしてキノコでも生えていそうな環境である。ややぬかるんだ足場に気をつけながら、鎖を右手に巻きつけて分銅を握ったアズが前方を、目深く被ったフードの位置を直すカエリが後方を警戒しながら洞窟を進んでいく。
アズがしきりに足元を気にしているのはいざというとき泥濘に足を取られないよう用心しているだけではない。拠点はそれこそ敵がもっとも手を加える場所だ。いくつも拠点があるとはいえ、いざというときの備えを怠るような間抜けはこの仕事からさっさと足を洗うべきだろう。
しかし、洞窟に入ってから一度も手荒い歓迎が来ないことを鑑みると、罠も敵も、全てフロウが粉砕してしまった後らしい。あまりにも何も起こらないので頬を膨らませて不満を全身で体現するアズを窘めようにも場所が悪い。加速度的に不機嫌さが募っていくアズの背中に溜め息を漏らしたカエリは、反響して聞こえてくる何者かの声にアズ共々動きを止めた。
「はーい、ささっとクロエちゃんの居場所を吐こうねー?」
「ぐっ……誰が貴様ら『木陰』なぞに」
フロウの声が聞こえた時点で奥へ向かって進んでいた二人だが、なにやら尋問中のようでカエリとアズはぴたりと揃って足を止めた。
「ああ、そういうのはいらないから。居場所だけ教えてよ。ここにいないってことはどこか別の拠点に運んでる途中なんでしょ? ほら、おねーさんに教えてくれたら命っけは助けてあげるんだけど」
心底楽しそうに――にやけるほど楽しいのだろう、フロウの声が響いた。
「ふん、調子に乗るな年増ァ!」
「あー、そういうこと言っちゃうんだ」
嗜虐的に歪んだ口元が引き攣った。
聞くに堪えない絶叫と懇願が始まった辺りから、カエリたちはそそくさとその場から離れ、洞窟から出た。
無事尋問を終えたらしいフロウが洞窟から出ると、カエリとアズの二人がまるで門番のように待ち構えており、フロウは目を丸くした。
「あれ、いたなら入ってくれば良かったのに」
「お取り込み中だったので」
「そーそー。正直近づきたくないもん」
「あらら、見られちゃったか」
半眼を向けられても特に気にした様子のないフロウが丸眼鏡を押し上げると、二人にちょいちょいと手招きして歩き出した。
「一足遅かったみたいでもうここにはいないって。でも、ほとんど入れ違いらしいからこのまま追いついちゃおっか」
「やったっ、まだしばらく戦えるね!」
「きみはそればっかりだなぁ」
戦狂いとしか形容できないほどの喜びように、堪らずカエリは遠くを見た。年頃の女の子がこんな風になってしまうのだから、世の中は酸っぱく辛い。
「さて、お話してるうちに逃げられちゃうから、ちゃちゃっと片付けちゃおうね」
「はーいっ」
駆け出したフロウにぴったりついていくアズと、どうにもやる気の出ないカエリがやや遅れて着いていく。
三人がちょうど人一人を入れられそうな麻袋を担いだ黒服の一行に追いついたのは、それからすぐのことである。
どうやら本当に入れ違いだったらしく、『夜会』の人間はひどく慌てた様子である。
二人ほど足止めに残り、残った三人が先行しようとしたのだが、アズとフロウが目にも留まらぬ早業で仕留めてしまう。それを受けてさらに二人が足止めに回ったのだが、アズとフロウが相手をしている間に今度はカエリが動いて麻袋を抱えた逃走者を殴り飛ばした。
「よーし、作戦完了。お疲れさまぁ」
「どうも。それで、この子はどうするんですか?」
いまだ麻袋に詰められたままのクロエを本人かどうか確認し、変装した痕跡もなくフロウにもしっかりと確認してもらい本人であると頷いた。
薬を嗅がされて眠っている様子のクロエを見下ろしながら、カエリは確認のため緩めた麻袋の口を締めた。すると、フロウがクロエを抱え上げた。
「この子は私が届けてくるよ。二人はブロッサについたら休んでいいよ」
「どこかから追手がくるかもしれませんけど……まあ大丈夫か。アズ、帰ろうか」
「えーっ! あたしも館長さんと一緒に行くよ!」
「まだ足りないのか……」
流石に呆れ返った様子で嘆息し、半眼をアズに向けると彼女は心外とばかりに頬を膨らませて倒れ伏した『夜会』の人間を見下ろした。
「……もっと強い人がいると思ったんだもん」
「肩透かしだったからってあまりわがままをいうものではないよ、アズ」
「だって……」
フロウに宥められては従うしかないアズは不承不承にうなずいて、むくれたまま先に行ってしまった。
「まったく、君は君で子供らしくないし、あの子はあの子でいささか落ち着きが足りないし、育児っていうのは大変だね」
「そういうことは結婚の一つでもしてから言ってくださいよ」
うっ、とフロウが息を詰めた。
二十代半ばとまだまだ若いが、同年代はすでに良人を見つけているはずなので言外に行き遅れめ、と吐いたカエリもフロウに背を向けて、フロウは苦笑いで彼らを見送った。