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司書さんのお仕事  作者: 水島緑
あすの太陽
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そのろく

「貴殿の要求は聞いていた。常に父母から人のために生きるのが貴族だと教え込まれていたが、私も人だ。娘を無事に返してくれるのであればブロッサから去ろう」


 厳かな声だ。


 多少頭の回る人間であれば、おのずとこの答えに行き着くことは予想出来ているだろう。この選択肢を選ばなければ、もはやグレイフルに未来はないのだから、否応なしだ。


「応じてもらえて安心した。私はブロッサを変えたいだけだ。貴方のご息女には傷ひとつつけていない」


 聞いていてなんと白々しい言葉だろうか。ブロッサに思い入れはないし、貴族の横暴に義憤を滾らせたわけでもない。


「では早速。貴方は護衛を一人つけて私についてきてください。ブロッサの外でご息女を解放致しましょう」


 重々しく頷いたグレイフルが、バロウズに目配せをした。


 無防備にも背中を向けることで、暗に危害を加えないことを知らせると、グレイフルとバロウズがカエリの後ろをついていった。


 住民と衛兵はすっかり置いてきぼりになって、三人の姿を見送るのだった。


 囁き声、無遠慮な視線。


 ブロッサから出るまでに、何百何千の住民とすれ違って、いよいよ大詰めだ。


 ケイオスの滝にやってきたカエリは、グレイフルと向き合ってちらとバロウズに目を向けた。


「離れろ」


 察しがよく、バロウズを滝と森の境界まで下がらせると、カエリも同じようにフィーリアを足元に寝かせた。


 そのまま滝壺まで下がって、グレイフルがフィーリアに近づくのを見守る。


 終わりが近い。もう目の前だ。


 不思議なほどに落ち着いている。焦りはなく、いたって平常だ。


 近くにルクスが潜んでいるからではない。そもそも、彼女にはどんな結果になろうが手を出さないことを約束してもらっている。


 貴族をここまで引きずり出したのだ。満足感があった。


 グレイフルがフィーリアの顔を確認して抱き上げ、バロウズがいる木の幹に寄りかからせた。そして、

グレイフルが元の位置に戻る。


「逃げるつもりはお互いにないようだな。さしずめ、復讐か。それにしてはうまく民衆を使ったな。大抵、復讐者は頭に血が登るものだが……」


「あんたが諦めてくれるとは思っていなかった。それも、真正面から向き合ってくるとは」


 ルクスの声ではない、カエリの素の声。年若い少年の声に、グレイフルがわずかに眉を持ち上げた。


「なに、そろそろ潮時だった。生き続けるには恨みを買いすぎたからな。遅かれ早かれ、君ではない誰かに殺されていただろう。……復讐者に言うのもあれだが、私は逃げないぞ。もう疲れてしまった。私はこの場から動かない。好きにしろ」


 ため息。ブロッサの中でら大きく見えたその体が、いまは疲れて萎びた中年のそれにしか見えない。きっと、彼の言葉に嘘偽りはないのだろう。


「私は動かない。が、騎士の仕事を奪うわけにもいかないのでな。そこは己の実力でなんとかしてくれ」


 バロウズが忌々しそうにカエリを睨んでいる。もはや彼との奇妙な縁もここまでだ。結果はどうあれ、終わる。


 剣はいらない。元より三流以下だ。慣れた方法でいい。


 腰から剣を外して放る。フードは被ったまま。これは矜恃のようなものである。


「行くぞ」


 踏み込んで三歩。それだけでグレイフルの首をへし折ることができる。バロウズもカエリの動きに反応して、超人的な速度で飛び出してきた。


 だが、遠い。


 カエリが三歩なら、バロウズは十歩だ。いくら身体的にバロウズが優れていようが、カエリだって凡人のそれではない。


 眼前に迫ったカエリの姿に、グレイフルはどこか安堵したような表情を浮かべた。


 頚椎をへし折られて、グレイフルは仰向けに倒れた。



 だが、まだ終わりではない。



「ねえ、カエリ。……ううん、なんでもないよ」


 アズはそう言って図書館を出ていった。


 今朝のことである。


 おそらくはもう、アズも気づいているのだ。己だけが聞かされていないこと、それにカエリが参加すること。下手なカエリの誤魔化しに気づかぬほど、アズはぼんやりとしていなかった。


 失敗したな、とカエリは頬を掻いて、アズが用意してくれた朝食をやっつけに掛かった。


 かりかりに焼いたベーコンにスクランブルエッグ。湯気を立てるオニオンスープに、色とりどりの野菜サラダ。


 かみごたえのある麦パンを千切ってオニオンスープにつけると、素朴な麦の味に優しい塩気が乗って、いくらでも食べられそうだ。


 拳大の麦パンをひとつぺろりと平らげると、新しく取った麦パンに切れ込みを入れた。


 ベーコンとスクランブルエッグを挟んで、さらにレモン汁の掛かったやや酸っぱいサラダも一緒に挟む。


 食べかすすら残さずに綺麗に平らげたカエリが、最後の一枚の皿を片付けようとしたときである。


 皿の下には折りたたまれた紙が忍ばされていて、それを開くとカエリは笑ってしまった。図書館にも届いてしまいそうなほど、大声で。あんまり笑うものだから、涙まで出てきてしまった。


 やはり、見透かされていたのだ。


 何かする、ということと、危険なことである、ということ。


 そして、信頼されているということも。



『行ってらっしゃい。あんまり遅くなっちゃ駄目だからね』

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