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司書さんのお仕事  作者: 水島緑
あすの太陽
41/43

そのご

 誰もが固唾を飲んで見守っていた。


 性別も、年齢も身分も関係なく、衛兵すら行政区画の入り口を注視していた。


 そして、高い壁の向こうから飛んできたのは、風を切る矢であった。


 カエリはそれをしっかりと認識していた。元より、こんな開けた場所は的になりやすい。むしろ、それを狙った一面もあった。


 弓兵が逸ったのか、本人が指示したのか、他の貴族が勝手に行ったのか、理由はどうでもいい。この返答は明確な拒絶である。


 すなわち、娘はどうなってもいい、ということになる。


 すっとフィーリアを横抱きにし、空いた片手で矢を掴み取った。これくらいの演習は必要だろう。


 見せびらかすようにそのまま固まり、矢を放って下に落とした。


 その場にいる全員が矢を認めて、カエリ、レインハルトを見上げた。


「これが答えかッ!」


 ルクスの怒声を上回るほどの声量で、庶民たちは叫んだ。


「ふざけるなぁ!」

「この人非人!」

「出て行けぇ! お前のような糞貴族がこの街を収めるのは許されるねえ!」

「出てけーっ!」

「消えろーっ!」


 非難の声をあげながら行政区画に詰め寄る住民たちを見下ろして、カエリは成功を確信した。


 なにも、自らが手を下す必要はない。と言ったのは誰だったか。


 要は扇動だ。


 ブロッサに住んでいれば、誰もが貴族に不満の一つは覚えるはずである。それに火をつけてしまえば、後は勝手にやってくれる。


 団子になった住民から、数人が離れていった。


 彼らはいわゆるサクラで、『木陰』の人間である。


 これから彼らはブロッサ中を走り回って事の顛末を叫んでいくのだ。


 後は行政区画の門を破壊するだけだが、そちらはもうすぐ終わる。


 金具を緩めておいたのである。これだけ大きな門なのだから、それだけでは倒せない。だが、押す力が強ければどうだろう。今この場には、当初よりもずっと増えてもはや数え切れないほど人間がいる。彼らの圧力を持ってすれば、門は倒れる。


 金属な割れる音に、皆一瞬動きを止めた。


 ふいに、まっすぐ伸びていた門が行政区画の方へ傾いているではないか。


 住民の雄叫びとともに門は倒れて、轟音を立てながら石畳を粉々に砕いた。





 怒声を上げて住民たちが行政区画へとなだれ込んでいく。おそらく、街のあちらこちらから増援を呼んでいたのだろう。鎧を着込んだ騎士が声を張り上げて止めようとするが、まったく意に介さず押し込んでいく。


 もはや住民たちは止まらないだろう。貴族が強硬手段さえ取らなければ、 行政は崩壊する。だが、相手は平民をなんとも思わぬ貴族が大半だ。いざとなれば素知らぬ顔で武力行使も十分にあり得る。


 のこのことやってきた、豪奢な服装の貴族が尊大な態度で何かを口にするが、その声はまったく聞こえていない。挙句、短気そうな若者にぶつかって転がる始末である。


 住民と共に進んでいくと、真っ白い神殿のような建物が見えてきた。行政区画の中心はここだ。多くの貴族がここにいる。


 住民たちの数はここまで来る間にも増え続け、もはや遠目には蠢く影にしか見えない。


「進めっ! 相手は貴族だが、安心しろ! 彼らが本当に我々の誰かを手に掛けたのならばそのときが貴族たちの最後だ!」


 要は、死んでも無駄にはならないから煽っても平気だよ、ということである。明らかな扇動で、よくよく考えてみれば他力本願なカエリ扮するレインハルトの言葉だったが、民衆にはむしろそれがちょうど良かった。際限なく熱が高ぶる平民たちに兵士たちはなすすべなく押し込まれて、ついには神殿前にまでやってきた。


 五人掛かりで開けるという重厚な扉はかたく閉ざされており、しっかりと施錠もされていて開きそうになかった。


 だが――

 不意の爆発音。


 一瞬だけ住民の怒声がぴたりと止まり、神殿の壁が吹っ飛び中が見えているのを認めると、今度は歓声が爆発した。


「安心したまえ! 我々には心強い味方が存在している! ブロッサに憂いたのは私だけではない!」


 わざわざ漏らしたのは単独犯ではない、と印象付けるためである。


「さぁ、出てこいグレイフル・ブラッセル! もはや逃げ場はないッ!」


 まだ、フィーリアは殺していない。彼女は切り札だ。そうやすやすと手放せるものではない。


 切り札であると同時に、弱点でもあった。彼女を奪い返せば、貴族たちは喜び勇んで兵士たちに逆賊の討伐を命じるだろう。


 カエリはじっと神殿の扉を睨んだ。穴の空いた場所から入らないのは、貴族たちに仲間割れを起こさせるためでもある。こうして待っていれば、命惜しさに誰かしら大総統補佐にケチをつけるだろう。それに他の貴族が同調すれば――


「出てきた」


 ごうごうと音を立てて、神殿の扉がゆっくりと開いた。


 衛兵たちに囲まれたグレイフルが、険しい目で住民たちを睨んでいた。


 やっとだ。やっとここまでこぎつけた。口角がつり上がるのを止められない。


 もう一歩で全てが終わる。


 近づいて、腰に差した剣で切ればいいだけだ。


 だが、グレイフルの隣に見覚えのある三爪の鎧がいることに気づいて、カエリは薄い笑い声を漏らした。


 つくづく奇縁だと思う。向こうはカエリに気づいていないだろうが、ここで顔を明かしたどんな顔をするのだろうか。


 バロウズ・グルスリッドもまた、険しい表情であった。

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