そのよん
「あっ、カエリーっ! 今日のお夕飯は何がいいかな?」
「え、……っと、なんでもいいよ。ああでも今日はなんだかお腹ぎ空いたから、多いほうが嬉しいかな」
「そう? じゃあ……」
メニューを口ずさみながら調理準備を始めたアズを見て、カエリはひっそりため息を漏らした。
フリステンとルクス、後からやってきたフロウも混ざって、四人であれこれと話して大総統補佐を追い落とす算段はついた。フリステンが口にした、天秤計画を軸にしてああでもないこうでもないと十分に煮詰まるまで膝を突き合わせたのである。
ぎこちないカエリの態度からわかるように、アズにはこの計画の一切を話していない。今回は完全に彼女は不参加である。
というのも、
「アズには知らせたくない」
というカエリの一声によって、彼女には内緒にしておくことにしたのである。
喫茶店の外から見たアズの姿は、忙しそうにしながらも楽しそうで、万が一のことを考えると参加させるわけにはいかなかった。
もし失敗しても、表立って動くのはカエリ一人だ。それなら問題はない、と言い切った彼に、フリステンは苦い顔をしていた。
アズに隠すのはなかなか難しく、妙なところで勘の良い彼女は表面上は普段通りにしているだろうが、なにかとアズと顔を合わせるのを避けようとするカエリに何が気づいているのかもしれない。
カエリとしては、極力ボロを出さないようにアズとの接触を避けるようにしているのだが、それがかえって怪しまれる原因だとは露とも知らずにいる。
実行日がいよいよ迫れば、カエリは図書館を閉めてフリステンの隠れ家に泊まり込むようになった。どうにも感情の抑制がままならず、このままではアズに全てを話してしまうと感じたのである。
さり気ないアズの質問が徐々に確信的な響きを持ち始めたのも原因だった。
なので、逃げるように――実際逃げたのだが――フリステンの元へ避難したのである。
「まったく、きみはすこし短絡的だぞ。こんなことをしたら余計怪しまれるじゃないか」
「そ、それは……」
「そのうちカエリくんがここにいるってアズも気がつくかもねぇ。そのときになったらもう隠せないよ?」
からかい交じりに笑って、去っていったフロウを見送ると、カエリはガチャガチャと激しくドアノブが回される音と、扉を叩く音を無視して臨時の自室へ戻った。
あれから、フィーリアとは一度も顔を合わせていない。
貴族の娘が行方不明になったということで、さぞ街では騒ぎになっているであろうとおもいきや、そもそも行方不明になった事実すら公表されておらず、フィーリアの父親はほんとうに血が通っているのか怪しくなるくらいであった。
翌日のことである。
猿轡をかまされ、後ろ手に縛られたフィーリアが数日振りに部屋から出された。
しっかりと食事を出していたのだが、一切手をつけていないのか、彼女はすこしやつれたようだが瞳だけはぎらついていた。
この場にフリステンたちはいない。既に前準備に取り掛かっているのである。
いつもの仕事服に着替えたカエリは、フードを気にしながらフィーリアの腕を掴んだ。
「歩け」
「ふん、そう急かさないでください。一人で歩けますわ」
カエリの睨めつけて、手を振り払ったフィーリアはおとなしくカエリの後をついてきた。
流石に、現在地がわからないのに逃げ出すほど馬鹿ではないらしい。
「それで、私に一体何をさせるつもりですか?」
「…………」
「殺されるかもしれないのですから、それくらい教えてくれても」
「何もしなくていい」
「え?」
「何もしなくていい。いや、強いて言うなら、生きていればいい」
困惑していたフィーリアの瞳が揺れ、しかし思いついたのか、明確な敵意をむき出しにしてカエリを睨んだ。
「わかりましたわ。貴方たち、お金が目当てですのね。だから私を……」
嘲笑う声色を止めた。
「悪いけど、金子に興味はないよ。それに、そんな大きなことはしないさ」
――身代金目当ての誘拐、なんて大きなことではない。ただの復讐。
言おうとして、やめた。
わざわざ教えてやる義理もない。
「行くぞ」
フィーリアが逃げないように後ろを歩き、彼女と共に掘っ建て小屋から出た。
「ここは……」
無言で背を押すカエリをフィーリアがひと睨みすると、大人しく歩き出した。
が、数歩も歩かぬうちにカエリの腕がぬっと首に伸びてきて、何を言う間も無くフィーリアは気絶した。
「最初からこうしておけばよかった」
フィーリアのやかましさに辟易していたカエリは、こっそり持ってきていた大きな布で彼女を包むと、肩に担いで歩き出した。
ブロッサの街は、にわかに騒がしくなっていた。
別段、街が荒れた様子はないので、火事だとか通り魔だとか、そういった事件は起きていない。
ただ、街中――行政区画も含めて――にビラが巻かれた故の騒ぎだろう。
問題は、そこに記されている内容であった、
文章は貴族の横暴から語られ、いかに身勝手であるか、いかに庶民が虐げられているのか、そして、その元凶が大総統補佐であること。
その下には箇条書きで大総統補佐の悪行がびっしりと書き込まれていて、すれ違う人間の手にはビラがしっかりと握られていた。
ブロッサが騒がしいのは、住人によるデモ騒ぎと、それを収めようとする騎士団の衝突があちらこちらで起こっているからだろう。
この街に住んでいれば、貴族の横暴のひとつやふたつ、すぐに目に入ってくる。故に、住人たちは様々な悪行を行いながら、我が物顔でブロッサを支配している大総統補佐へ怒りの矛先が向いているのだ。
良い具合に熱くなっている。
扇動はルクスの仕事だった。
あちこちに走り回る騎士を見かけ、カエリはふと、猟騎士バロウズを思い出した。
が、計画が上手くいけば、騎士が介入する暇などなくなる。警戒するのは、むしろ今だ。
もし、カエリがフィーリアを担いでいるのがバレれば、そこで終わりだ。二度と同じ手段は使えなくなると言っていい。
慎重に、されど迅速に。
最大限の警戒をしながら、カエリは行政区画へ足を踏み入れた。
最初に感じたのは熱だ。
いっそう冷え込むようになったのに、炎を間近に感じたような熱量。
行政区画への入り口は、衛兵が配備されていて基本的には立ち入り禁止だ。普段なら衛兵の数も少ないのだが、今日に限っては違う。
門前に、数多の住民が詰めかけているのである。
その数は優に千は超えているだろう。たくさんの衛兵が叫びながらせき止めようとしているが、それでも数が圧倒的に足りない。
カエリは彼らを一瞥すると、いつも通りに屋根に駆け上った。肩に少女が一人居ようが関係ない。どこかタガが外れたように、カエリの体からは無尽蔵に力が湧いてくるようだった。
場所はここでいい。目に付くし、行政区画との境目であることもまた良い。
カエリが屋根の上に立つと、どこからか大音量の叫び声が聞こえた。
「聞けェ! ブロッサに住む人々よ!」
野太い声ではなく、女性的な低めの声だ。
口上で無駄な体力を使う必要もない、とルクスが自ら請け負ってくれたのである。
「私の名はレインハルトだ! この街のすべての人間に聞いてほしい!」
ざわざわと人々がカエリに注目し、衛兵たちがやめさせようと声を張り上げるが、衛兵ともみ合っていた住民がそれを邪魔した。
住民の目には一様に、希望が見え隠れしていた。ビラがあちこちに撒き散らされ、予感を覚えたのだろう。
「この街の貴族は、行政はまちがいだらけだ! 貴族の横暴を止めず、庶民を虐げ、それを是とするこの歪みを、私は正さねばならない! 血も涙もないもないと罵るが良いっ、悪漢だと叫ぶが良いっ! だが私は、この街を変えねばならない理由がある!」
熱のこもった声に、庶民のボルテージが上がっていく。
カエリは肩に担いでいたフィーリアをお姫様抱っこに抱え直し、包んでいて布を取り払って放り投げた。
風に流されていく白布からフィーリアの姿が露わになって、観衆はどよめいた。
「この娘は大総統補佐の一人娘、フィーリア嬢であるッ! 皆も知っての通り、大総統は形だけの存在。故に、この街をゆがませた張本人、大総統補佐には天秤を傾けてもらおう!」
しん、と静まり返った。
ごくり、と唾を飲み込む間をおいて、レインハルトは叫んだ。
「娘を助けたくば街から出て行け! さもなくば、ここでこの娘の首を刎ねようッ!」
悲鳴じみた歓声が爆発した。その声量はいかに、住民たちが我慢していたのかを表していた。
「さぁ、姿を見せろッ! 聞こえているだろう、グレイフル・ブラッセル大総統補佐よ! 貴様はこのまま縮こまっているつもりか!?」