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司書さんのお仕事  作者: 水島緑
あすの太陽
37/43

そのいち

 鼻の頭が赤くなっているアズが寒そうにしているので厚手の毛布を抱えて戻ったカエリは、カウンターに突っ伏して眠っている彼女の肩に毛布を掛けた。


 肌を刺すような冷気が一日中充満するようになってからしばらく、カエリはずっと図書館にかかりきりだった。


 というのも、こう寒くては日中の限られた時間にしか人は外に出ない。それは罪人であっても同じで、仕事が激減したのである。


 とはいえ、アズは大通りに進出して毎日大盛況な喫茶店のスタッフであるし、カエリは図書館の管理で暇をしているわけではない。


 あいかわらず利用客はこないため、ほとんど自分のために図書館を管理しているようなものだが、カエリはあまり気にしていない様子だ。


 大総統補佐の娘は何日か前にもいつものアトリエへ出入りして、なにやら絵画を買い取ったらしい。


 カエリはそれを遠巻きに眺めるだけに留めたが、その内心は複雑に渦巻いているのは誰の目にもわかることだった。


 歯がゆい、口惜しい。


 なんども手を出してしまおうと考えて、その度にアズの言葉が蘇っては頭を抱えて悩んだ。


 最大の人質になりうる娘は、そもそも大切にされていない。


 心のどこかで、まだ希望を持っているが故に諦めきれない。


 本当は大切なんじゃないのか。


 僕のような人間に誤解させたいんじゃないのか。


 そう思う一方で、これ以上悩んでも無駄だと囁かれているような気がずっとしている。


 人質にならないのであれば、もはや手を出す価値もないのだ。大総統補佐が痛まないのであれば殺そうとも犯そうとも、すべて無駄なのだ。


 ため息をこぼして、カエリは本を閉じた。


 どうにも集中出来ない。


 アズは喫茶店のほうで忙しいし、フロウもここ最近はあまり図書館には来なくなった。仕事自体も少なくなり、なんとなくではあるが、『木陰』がなくなりでもしたらこんな風になってしまうのだろうか、と感傷的な気持ちになった。


 冷たい隙間風がどこからか入ってきて、ただでさえ暖房のつけられない図書館が一層冷えた。


 落ち込んだ気分を吹っ切ろうと、考えもなく外に出てみたが、肌を刺すような冷気に思わず顔を引きつらせた。寒い、というよりもはや痛いというレベルである。


 屋台はずいぶんと数を減らしていて、物色するにしても物足りない。


 この時期に屋台を出す者など、暖かいうちに稼ぎ損ねた不運な人間か、たかをくくっていた怠け者くらいなので味も期待出来ない。


 この街の住人は、温暖期に蓄え、寒冷期に家にこもって蓄えを吐き出す、というサイクルで生活しているのだ。


 そもそも仕事の関係で高額な収入を得ているカエリには無縁だが、この寒いときに働くものは嘲笑の的になるほどである。


 が、それはあくまでも屋台を出す人間に限られる。


 店を構える商人はむしろ感謝されるくらいで、同じように飲食店も歓迎される。


 ふと、アズのところへ行ってみようかと思い立ったカエリは、アズにプレゼントされたマフラーに鼻先まで埋めながら足早に冬のブロッサを歩いていく。




 がたがたと馬車が揺れながら脇を通り過ぎていくのを見送ってから大通りへ入ると、とたんに熱気のようなものを感じた。


 ブロッサの目玉である大通りはやはりというか、まったく衰えた様子はない。


 買い物に来た人の体温が熱気となって気温を上げているのだろう。先ほどまでとは比べものにならないほど暖かい。


 そういえば大通りに移ったアズの働く喫茶店にはまだ行っていなかった。


 すこし楽しみにしながら歩くと、脇の路地裏からふらついた中年が飛び出してきた。


 どうやら酔っ払っているらしく、足元は覚束ない。


 お世辞にも清潔とは言えない身なりで、浮浪者とわかる姿である。


 ふらつく男を避けるため、数歩後ろに下がると酔っ払いは突然走り出してカエリにぶつかってきた。


 同時に、腹に感じる灼熱。


 異物感と激痛に男を突き飛ばすと、脇腹にナイフの柄が生えていた。


「おまえ……!」


 明らかにカエリを狙ったものだった。その証拠に、男は逃げ去りもせずにカエリを眺めている。


 痛みに耐えきれずに膝をついたカエリを見下ろす男が下卑た笑みを浮かべた。


「くくっ、ボロい仕事だぜ。こんなガキを殺せば大金が入るんだからなぁ。悪いな、憎まれるようなことをした自分を恨むんだな」


 男はそういうと、出てきた路地に入って消えていった。


 かっと燃え上がるような熱が目の奥で弾け、カエリは痛みのなかで直感的に理解した。


 これは暗殺者の仕業でも、組織の仕業でもない。彼らの暗殺はもっと人目につかない場所でするものだ。こんな人混みのなかで、言い換えれば顔がバレてしまいかねない場所で人を刺したりしない。


 さらに、男の去り際の言葉。彼は見た目通りに浮浪者なのだろう。金で雇われたと言っていた。その金を捻出できるのは平民では難しい。そもそもカエリは他人と交流しない。


 ならば、一つしかない。カエリの顔を知っている金持ち。


「あ、の女……っ」


 大総統補佐の娘の差し金だろう。


 そうか、そういう手段に出るのか。


 だったら容赦はしない。関係あろうがなかろうが、父娘まとめて消してやる。


 良くも悪くも、カエリは吹っ切れた。もはや躊躇はない。


 遠のいていく意識のなかで、焼け落ちる村をみた。

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