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司書さんのお仕事  作者: 水島緑
たなびく雲のように
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そのはち

 寒々しい石畳を蹴りつけて進むカエリとアズは、上手く大監獄に入り込んだ。


 遠くではひっきりなしに鐘が打ち鳴らされていて、警備兵も囚人も騒がしい。


「黙れ黙れ! お前らうるさいぞ!」

「うるせえのはてめえだクソ看守っ、いいからここから出せっていってんだ! 死刑でもねえのに死ぬのは御免だぞ!」

「大丈夫だ、別に火事が起こったわけじゃないっ。いいから黙れ!」


 いまにも殴り合いに発展しそうな看守と囚人のやりとりを尻目に、カエリたちは着々と目的地に近づいていた。


 囚人服の男が大挙して駆け抜けていくのを物陰に隠れてやり過ごすと、怒声を上げながら囚人たちを追いかけていく看守たちが横合いから現れた別の囚人たちに囲まれ、よってたかってボコボコにされた。


 よほど恨みが溜まっていたのか、まったく容赦のない暴力にアズが息を呑んだ。


 暴力を振るう振るわれるにかかわらず、暴力のある空間に入ると人は残虐性を表に出す。どんなにおとなしい人間でもそれは同じで、集団心理というものはかくも恐ろしいものである。


 虫の息になった看守に満足したのか、今度は囚人同士で殴り合いを始めた。彼らにはもはや逃げ出すといった正常な思考はなく、狂気的なほど暴力に飢えている。


 ある種の催眠とも言えるほどの異常さである。


 彼らの目に写らぬよう、カエリたちは影から影へ身を滑らせていく。


 むせ返るような鉄臭さに辟易としながら地下に入ると、そこは地上とは打って変わって静まり返っていた。


 まるで、肉食獣が獲物を見つけて息を潜めているような、異様な静寂。


 上の騒ぎは伝わっていないのか、不気味なほど凶悪犯罪者たちは静かだ。


 鉄格子の向こうからギラギラとした瞳が向けられて、カエリは目を合わせないようにした。


 どうやら地下牢は厳重で、看守が存在しないほど頑丈らしい。脱獄する様子もなければ囚人たちも大人しく、なにを考えているのかわからないほどだ。


 嫌に瞳だけぎらついている囚人たちを無視して、二人はいよいよ最下層に到着した。


「ううっ、寒い……」


 両腕を摩るアズをちらと見て、自らが吐いた息が白いことに驚いた。外よりもずっと寒いのではないだろうか。


 じめじめと湿気が多く、更に気温は低い。試しに鉄格子に触れてみれば、凍りついたように冷えていた。


 こんなところに放り込まれては健康な人間でも一週間ももたないだろう。だが、どこの牢も空いている様子はなく、また出入りした様子も見られない。


 つまり、この最下層に放り込まれた頭のおかしい犯罪者たちは、劣悪な環境の中で生き延びているというわけだ。


 ふと殺気を感じてそちらへ目を向けると、牢の隅から黒い影が鉄格子に噛り付いてがんがんと鉄格子を殴りつけた。


 びくり、と身を竦ませたアズの気持ちはわからなくもなかった。


 がりがりに痩せ細り、皮と骨だけになった体にもかかわらず、その殺気は恐ろしいほど研ぎ澄まされている。


 ぎょろついた眼球がカエリとアズを交互に見遣って、更に激しく鉄格子を殴りつけた。


 ひっ、と息を詰めたアズに呼応して、囚人たちが一斉に鉄格子を叩き始めた。


 一心不乱といってもいいほど熱中している囚人たちの姿は異様で、いまにも逃げ出したくなるほどの狂気が満ち満ちているようだった。


「いこう」


 すっかり怯えてしまったアズの手をしっかりと握って、カエリはおもむろに最初に鉄格子を叩き始めた囚人な牢に近づいた。


 近づくカエリを無視する囚人に、彼は思い切り鉄格子を蹴りつけて一言、決して大きな声量ではない言葉を漏らすようにしてこぼした。


「黙れよ。次はない」


 アズでさえも息を呑む殺気だった。


 途端に囚人たちは静まり返り、カエリは目も向けずに先を急いだ。


 ほんものの殺意だ。ここにいる囚人は向ける側だったからこそ、その殺意の強さを正確に測れる。


 カエリのそれは本物だった。


「アズ、どこにいるかわかる?」

「たぶん、一番奥じゃないかな。フロウも一番奥だったから、新しい囚人は奥なんだと思う」

「そっか」


 肌寒い最下層を進んで、一番奥の行き止まりまで来た。


 左右にある牢屋の左は空で、右の牢屋にはうずくまった人影が小刻みに震えているようだった。


 薄汚れた白衣に、禿げ上がった頭。痩せぎすの中年とくればほぼ間違いない。


 どさくさに紛れて掠めていた鍵を使って牢を開けると、男がおそるおそるという風に顔を上げた。


 大きな鷲鼻に、欠損した左腕。


 間違いない。フリステンの仇だ。


「出ろ」

「ひっ、ひいいぃぃっ、わ、私を殺しに来たのか? そうなんだな!?」

「黙れ。出ろ」

「くそ、くそくそくそっ、私は人類のための研究をしていたのだぞ! 私は悪ではないっ、能無しの馬鹿どもにはわからないだろうが私の研究は未来を切り拓くものだったんだぞ!」

「…………」


 どうでもいいことを喚き散らす男の胸倉を掴み上げると、カエリは躊躇なく腹を殴りつけた。

 口の端からよだれを垂らしながら痛みに震える男の顔を無理やり上げさせると、ひどく冷たい声色で囁いた。


「喚くな。お前の過去に興味はないし知る必要もない。どうあがいても死ぬんだから最期くらいは大人しくしていろ」


 心底蔑んだ目で告げるカエリに男はなにを感じたのか、それっきり黙り込んだ。


 両腕を背中で縛り上げて首根っこを引いて牢から出ると、爆発的な喚声が轟いてアズが思わず耳を塞いだ。


 囚人たちが騒ぎ始めたのである。目ざとくカエリが牢の鍵を持っていることに気づいたらしく、どこの牢屋からも出せと怒声が聞こえて凄まじい音量になっていた。




 耳を塞ぎながら最下層から脱出し、忙しく右往左往する看守の目をくぐり抜けてカエリたちは無事に大監獄から抜け出すことに成功した。


 どうやらフロウも既に撤収したらしく、騒動は収まっているようである。


 ただ、逃げ出した囚人が何人か街へと逃げ込むことに成功し、潜伏するなどフロウにはどうでも良いことだった。


 ブロッサの外れに赴き、掘っ建て小屋の床を外して地下へ降りるとフロウが待っていた。


「やあ、無事連れ出すことが出来たみたいで何よりだよ。怪我は?」

「大丈夫ですよ。それより大監獄はまるで動物園ですね。耳がまだ痛い」

「確かにね」


 薄く笑ったフロウが、首根っこを掴まれた男をじろりと睨めつけると、満足そうに頷いた。


「うん、間違いないね。これなら首領も大喜びだよ」

「それは良かった」


 嬉しそうに笑うアズに苦笑して、カエリは男を連れて扉を叩いた。


「待っていた」


 カエリたちを出迎えたのは男装の麗人、ルクスであった。

 どうやら彼女も仕事を終えたらしく、フリステンの看病をしていた様子だった。


「ああ、本当に見つけてくれたんだな。心から感謝する」


 幾分か顔色の良くなったフリステンが微笑むと、アズの顔が真っ赤に染まった。確かに、息を呑むような美貌で微笑まれるのはなかなか気恥ずかしいものである。


「なな、何故生きて……そうか、復讐か……」


 何かを悟って項垂れた男を放ると、カエリは踵を返して部屋を出た。慌ててアズも部屋を出て、部屋には三人が残った。


「さて、こいつどうするの? 手が必要なら付き合うけど」

「いや、これだけは妾の手でやらせておくれ。ずっと待っていたんだよ、この日が来るのを」


 凄惨な笑みだ。カエリたちに向けた慈愛溢れる笑顔とは違う、おそろしく冷たい笑顔。


 フロウとルクスは静かに頷いて、壁際に寄って見守ることにした。





「良かったよ」

「んー?」

「いや、復讐が果たせて、ってこと」

「そうだね」


 図書館へ戻ったカエリとアズは、軽い夜食を摂っていた。


 羨望があった。嫉妬もあった。なにより、諦念がわずかにだが過った。


 いまだ復讐の炎は消えていない。だが、どこか諦め始めているのも事実だ。それは今日、フリステンを見て強く実感したことだった。


 大きすぎてどこから手をつけていいのかわからない。唯一の弱みだと思った家族も、弱点にはなり得ないと知った。


 だが、まだ夢に見る。


 村が焼かれたときの夢。


 その夢を見ているうちは、決して諦めることはないのだろう。


 どこか他人事のように、カエリはそう感じていた。

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