そのなな
「やあ、待たせたね」
紙袋を抱えたフロウがやってきたのは、ちょうど中天を過ぎた頃である。
おもむろに紙袋に手を突っ込んだフロウは中から串焼き肉を取り出して食べはじめた。
「あれ、お昼食べてないんですか?」
「色々あってねー」
聞いたカエリは既にアズの手料理を食べ終えている。
「食べる?」
「いや、僕はもう食べたので」
甘辛いタレを塗りたくられた串焼き肉から食欲をそそる香りが漂ってくる。まだ昼食を食べ終えていなければ一も二もなく飛びつくのだが、いまは肉を見ても唾液は出ない。
「あっ、おいしそーっ!」
食器を片付けていたアズが、エプロンの裾で手を拭いながらひょっこりと顔を出した。彼女の視線がフロウの持つ串焼き肉に吸い寄せられると、餌をねだる子犬のように駆け寄った。
「一本どうぞ」
「わーいっ」
きみも一緒に昼食を食べただろ、という言葉は飲み込んだ。健啖は健康の証である。なによりだった。
「食べながらだけど報告するね。あまり時間がないんだ」
「というと?」
「首領の仇は騎士団に捕まっているんだよ。大監獄に放り込まれた後みたいでね」
「なるほど。犯罪を見咎められた、とかですかね」
研究所が崩壊し、研究資料も研究資金も瓦礫に埋れたであろうことは想像出来る。金が足りなくてこすい犯罪にでも手を出したのか、と思ったが、フロウは首を振った。
「運悪く研究所から逃げ出したところを住民に見られてしまったようだよ。そのせいで騎士に捕まったみたいだね」
となると、なかなか重罪ではないのだろうか。フロウは頷いて少々困った表情を浮かべた。
「大監獄の一番下、私がいたところに放り込まれているらしい」
「てことは本当に重罪人扱いなんですね」
「もしかしてしょけーかな?」
「そうなるみたいでね。厄介なのが今夜処刑されるそうなんだよ」
げんなりとした表情を見せるカエリだったが、同時に納得もしていた。
研究所自体は秘匿されていたが、位置がまずかった。行政区画の一角に存在している、ということは、行政区画の一角が何者かによって崩されたということになる。
貴族が多く出入りしている行政区画だ。これで犯人を逃したとなると騎士の面子が立たなくなる。
なにせ、見回りをしていたにもかかわらず行政区画の一部が崩れ去ったのだから、騎士が焦るのも頷ける。
早いところ犯人を始末して、貴族にアピールしたいのだろう。
「今夜って具体的にいつ頃ですか?」
「月が真上に登る頃だね。死刑囚でも最低一日は懺悔する時間が与えられるそうだから」
「となると、夕暮れ時から動けばいいですね。アズ、大監獄の中は覚えているんだよね?」
「うん、大丈夫だよー」
「よし、じゃあそういうことで」
「私は……そうだなぁ。また陽動でもやろうかな」
「陽動? でも、あたしが行ったときは陽動とかしなかったよ?」
「ああ、今日は特別警備が厳しいしいんだよ。なんといっても騎士団の進退が掛かっているからね。失敗は許されないって普段はサボっているんじゃないかってくらい違っていたよ」
「そっかぁ」
フロウが見た限りでは国立記念日のパレード以上の警備体制だった。それだけ騎士団は失敗できないないのだろう。ひそかにフロウは、いけすかない騎士たちの泣き顔を見たいとほくそ笑んでいる。
「うーん、二人は行ったことがあるけど、僕はまだ実際に見たことはないんだよなぁ……そうだ、いまから下見に行ってくるよ」
「え、大丈夫なの?」
新しい串焼きにかぶりついていたフロウにアズが問うと、彼女はしばらくもぐもぐと咀嚼してから頷いた。
「流石に中には入れないけど、外から眺めるだけなら出来るよ。ただ、門番も相当気が立っているから、怪しまれることはしないほうがいいね」
最悪問答無用で切り掛かってくるかもしれない、とフロウは言う。
「大丈夫ですよ。外から眺めるだけなので。……まぁ、念には念を入れて門番には見つからないようにしようか」
あくまでも偵察だけだから、とカエリは普段着のまま図書館から出て行った。
アズもついていこうとしたが、あいにくと喫茶店の仕事があるため泣く泣く諦めた。
「きみは本当にカエリのことが好きなんだねえ」
「えっ!? あ、その」
名残惜しそうに図書館の扉を見つめるアズに、いたずら心が首をもたげた。
「あはは、見ていてバレバレだよ」
真っ赤になって小さくなったアズに、フロウが柔和な笑みを浮かべた。
「カエリの復讐が終わったら、是非とも一緒になってもらいたいものだねぇ」
若いって素晴らしい、と茶化すフロウに、アズは両手を振り回した。
日が落ちると同時に大監獄に到着した三人は、路地裏から正門の様子を窺っていた。
偵察に赴き、一度着替えに戻って再び大監獄へ行くというかなり手間なことをしたが、初見で挑むよりはマシだ。
カエリを除く二人は冬仕様の仕事着で大変暖かそうな装いである。
「ひゃー寒いねぇ」
「ねー」
「僕を見ながら言わないでくださいよ」
寒々しいから何か身につけろ、とでも言いたげな眼差しにカエリはげんなりとして唇を尖らせた。
いよいよ処刑が近づいているからか、通り過ぎていく警備兵が殺気さえ滲ませている。士気が高いのは厄介だ。あまり陽動は通用しないかもしれない。むしろ、勘の良い人間が陽動だと気づけば警備はより強化されてしまうだろう。
そこで、予定を変えることにした。
「私は変わらず単独で潜入するよ。陽動の代わりに囚人たちを解放していこうと思う」
底意地の悪い笑みを浮かべるフロウに苦笑を漏らした。
「それじゃあ、あたしとカエリは予定通り目標を確保、だね」
「そうだね」
どうせ殺されるのなら騎士よりも首領の手に委ねる、ということに決めた三人は、目標が処刑される前に確保し、連れて脱出する。
「それじゃあ先に行くよ。騒がしくなったら二人も入ってきて大丈夫だからね」
フロウはそう言い残して足取り軽く去っていった。
揺らめいていた夕日が完全に消えていくのを眺めていると、ふとカエリが呟いた。
「正直、意外だよ」
「なにが?」
「首領のことさ。僕はてっきり、あの人にはなんの私怨もないのかと思っていたんだけどね。『木陰』がはたからみれば良いことをしている組織だから、私利私欲なんてないと思い込んでいたんだ」
悪を裁く。それは難しいことだ。さまざまなしがらみの中で、法も騎士も関係なしにただただ悪人を切り捨てていく。世間一般から見れば正義の味方かもしれないが、やっていることはただの殺人だ。法がなければそれでも良かったかもしれないが、文明的である以上、カエリたちもまた悪になる。
どこかで躓いてもおかしくない。それをフリステンは見事に総統してみせた。
己を殺し、他を気遣い、てっきり、それがすべてだと思っていた。
「悪く言えば、人間には見えなかったよ。でも、今回の件で変わった。あの人は紛れもなく人間だ。人間だから、たぶん、みんな着いていってるんだと思う」
「……カエリは色々考えすぎだよ」
「そう?」
「うん、そう。お仕事しながら自分の復讐を果たす。カエリはそれでいいんだよ。あたしはほら、他に行く場所もないし、仇はもういないしでこれしかないから」
「……うん」
「だからカエリのこと、手伝うよ」
「ありがとね」
「うんっ」
カンカンと甲高く打ち鳴らされる鐘の音が響いて、門番はにわかに騒がしくなった。
警備兵は何事かを叫びながら走り回り、その声を聞いた他の警備兵は大慌てで大監獄へ入っていった。
「脱走だ! 囚人どもが脱走してるぞっ!」
どうやらフロウがやってくれたようだ。
顔を見合わせた二人は頷き、闇に紛れて消えていった。