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司書さんのお仕事  作者: 水島緑
たなびく雲のように
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そのろく

 当てもなく探しても時間の無駄だから、とフロウが情報屋と接触するためにカエリとアズから離れた。


 残された二人は買い物ついでに探してみようということになって、警戒こそ怠らないが幾分か気軽に大通りを歩いていた。


 禿げ頭の目立つ四十がらみの男。痩せぎすで目の下には隈をこさえ、大きな鷲鼻に左腕は肘辺りから先がない。


 フリステンが教えてくれた特徴は、それはそれは濃いものであった。こんな人間、一度見たらしばらくは忘れない。


 が、どうにも白昼堂々と出歩きそうもない、というのが三人の共通認識であった。


 明らかに堅気ではない風体なのだから、それだけで目立つ。職業柄、恨みを買っていることは知っているだろうから、それこそ日が落ちてから外へ出るのだろう。


 なのでカエリとアズの二人は、半ば本気で買い物を楽しんだ。


 といっても本当に楽しそうなのはアズだけで、カエリははやくもぐったりと疲れ切っている。


 珍しいものがあればあっちへふらふら、旅芸人が路銀を稼いでいればこっちへふらふら。


 服屋に入れば一時間は悩むし、悩んだ挙句に買わないこともある。


 一番困るのが、


「こっちとこっち、どっちが似合うかな?」

 という質問であった。


 カエリにファッションなど難解すぎた。身なりに気を使わないカエリからしてみれば、着飾ることはまだわかるにしても、長々と悩むことなのかまったく理解できなかった。


 妙に上機嫌なアズを怒らせるのは憚られたので、とりあえず同調しながら、


「どっちも似合うし選び難いから、僕がプレゼントするよ」


 と、内心うんざりしながら購入すると、アズは大喜びでそれからずっと腕を組んでくるようになった。


 いくら本を読んでも女心だけは書かれていなかった。



 やっとの思いで買い物を終え、拭いきれない疲労を滲ませながら図書館へ帰るところだった。


 今日中は無理だ、とフロウから伝えられていたので、二人はそのまま休むことにしたのだ。


 先の作戦の怪我が治り切っていないカエリは疲れのせいか、むすっとした表情をこさえていた。


 流石に長々と付き合わせてしまった、と反省したアズがせめてとばかりにおとなしくなったのだが、カエリは結局なんの反応も見せなかった。


 口をきくことも億劫なのか、と想像以上に疲労困憊しているカエリが芸術区画の奥へと足を踏み入れると同時に片眉を跳ね上げた。


 カエリはアズの手を掴むと、壁に押し付けるようにして通りから身を隠した、突然の行動に目を白黒させるアズと密着したまま、カエリは睨んだ。


 人集りが出来ていた。十や二十ではくだらないような人数がざわざわと騒いでいる。


 人集りの中心には豪奢な馬車が停止しており、馬がせわしなく辺りを見回していた。


 おおよそ、庶民が一生乗ることのないであろう馬車から降りてきたのは、青年執事にエスコートされた美貌の令嬢であった。


 以前にも来たことがある。だから見覚えがあるのか、と思ったが、胸の奥からじわじわと熱が溢れてきて、それだかの理由ではないことを直感的に理解した。


 ではどこで見たのか。


 恥ずかしさと心配の混ざった目で見上げているアズの視線にもきづかず、カエリは思考に没頭した。


 今日の用事はこの前よりも短かったらしく、集まった群衆が白けて解散するよりも早く令嬢はアトリエから出てきた。


 馬車に乗り込む彼女の顔を直視したとき、張り詰めていた糸が千切れるようにカエリは思い出した。


 胸の内から湧き上がってくる熱は、怒り。


 あのとき、あの場所で、大総統補佐を父と呼んだ娘と顔が合致した。


 以前よりも幾分かやつれているようにも見える。おそらくカエリを、人を刺した感触がてのひらにこびりついて消えないのだろう。カエリはこうして生きているが、箱入りのお嬢様であるせいで衝撃を受けたのだろう。


 そう考えると、カエリは自然と歓喜に似た感情が湧いてきて、口の端を吊り上げた。


 まるで、獲物を影から見つめる狼のようであった。




 いいものを見たおかげか、カエリは疲れを忘れた。


 どうしてか、突然上機嫌になったカエリに疑問を覚えつつも、アズは何も言わなかった。


 狭い路地で密集していた野次馬たちも散ってから、二人は図書館へ戻った。


 アズお手製の料理を食べ終え、すっかり落ち着いたカエリが口火を切る。こればかりは、その場に居合わせたアズにも話しておくべきだろうと判断したのである。


「アズ。さっきの貴族の人、見覚えはなかったか?」

「え? んー、そういわれると確かに見たことあるような……」

「あの娘は大総統補佐の娘だよ。馬車で見たろう?」

「あっ、そうだった! カエリを刺した人なのに、あたしすっかり忘れてたよ」


 申し訳なさそうに縮こまるアズに苦笑してカエリは、気にしていないと手を振った。


「まあ、そういうことだよ。あの娘を使えば大総統補佐も誘き出すことが出来るんじゃないかと思ったんだ」

「うんっ、それはいいかも。……ん? んー……」


 突然眉を寄せて難しい顔を浮かべたアズに、カエリは首を傾げた。


「どうしたの?」

「あのね、怒らないで聞いてね」

「うん」


 言いづらそうに口ごもったのち、アズは恐る恐るといった風に口を開いた。


「もしかしたらその娘、使えないかも……」

「どういうこと?」


 思わず、カエリの表情が険しくなる。アズがびくついたのを見て、慌ててカエリは表情を和らげた。


「ごめんごめん、ついね」

「ううん。その、多分その娘さん、大総統補佐の弱点にはならないんじゃないかって」

「弱点にならない? でもあの娘は父親を慕っていたように見えたけど」

「だって、考えてもみてよ。当の本人は行政区画に引きこもったままなのに、その娘はこぉんな危ないところに従者付きとはいえ一人で来たんだよ?」

「あ……」


 そうだ。それはおかしい。のぼせ上がっていたカエリの頭が一気に冷たくなった。


 父親は身の危険を感じて表には出てこなくなった。それは彼を狙う人間がいるからで、その人間は大総統補佐の弱味を探すだろう。そんなところに大総統補佐の娘の存在が明るみになれば、娘が狙われるのは当然だ。


 大総統はそれがわかっていて、娘を放置しているのだろう。


「つまり、あの娘を大切には思っていないのか……」


 ショックだった。


 カエリは自分の家族を失ったからか、家族という繋がりに幻想を抱いていた。どこの家族も仲良しで、互いを大切に思っているはずだ、とカエリは心のどこかで願っていた。


 だが、違った。当たり前だ。家族で殺しあう人間だって存在するのだ。血の繋がりは絆になり得ない。


 黙り込んでしまったカエリを慰めようとアズが口を開きかけるが、結局言葉は何も出てこなかった。


「……大丈夫。また別の方法を探してみるよ」


 かろうじて笑みを浮かべたカエリに落胆の色はあったが、思いのほか落ち込むことはなかった。

 簡単だとは思っていない。そのおかげで立ち直れた。

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