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司書さんのお仕事  作者: 水島緑
たなびく雲のように
32/43

そのよん

「邪魔だ!」


 背後から切りかかってきた兵士の剣をかすめながら躱す。その剣がカエリと対峙していた少女に向かって振り下ろされたが、彼女は水晶のように透過した腕を掲げて受け止めるどころか根元からへし折った。


 ひっ、と兵士が押し殺した悲鳴を上げた。


 同情はする。


 誰からも受け入れられたことはないのだろう。少女の体は異形そのものだ。


 どうしたって怯えは現れるが、それは大人としてどうなのだろう、と内心カエリは大慌てで逃げ出した兵士を蔑んだ。


 突然、床に腕を突っ込んだ少女を訝しんでいると、彼女はおもむろに床を引っこ抜いて、石材のくっついた腕をカエリ目掛けて振り回した。


 まるで斧だ。


 石材の大きさは少女の一回りほど小さいだけだ。その重量もさることながら、単純に少女の攻撃範囲が二倍になったことになる。


 危うく、頭部を熟れた果実のように潰されるところだったカエリが後ずさると、少女は残念そうな表情を滲ませたあと、満面の笑みを浮かべた。


「すごいすごいっ、これでたっくさん壊しちゃったのに、おにーちゃんほんとうにすごいよっ!」

「そりゃ光栄だね!」


 投げやりに吐き捨てて、カエリは威圧感を放つ石斧を睨んだ。


 なんとしても、あの石斧を砕くか腕から引き剥がすか。出ないとついていくのがやっとの現状が更に悪化する。


 そう思った瞬間、カエリの脳裏に見落としていたものがかすめた。


 そうだ、あの水晶のような腕は「腕」だ。表面が硬化しているとはいえ、筋肉と関節で動き、血管が血を流して骨で支えているのだ。


 外見に惑わされてあれを腕正しく認識出来ていなかった。


 そう、腕だ。あくまでも、あれは人間の腕。


 だとしたら、関節を反対側へ曲げれば、へし折ることはできるのではないか?


 光明が差し込んだ気分だ。


 心の持ちようというのは存外に大切で、勝てないと諦めれば体は余計に重く、希望を見出せば重りが取れたかのように動けるようになる。


 振り回される石斧を紙一重で避け、床を砕いた斧の脇を駆け抜けたカエリが、少女の左腕を掴んだ。


 関節を極め、そのまま力を込める。瞬きをする間もあれば事足りた。


 幾分か硬質な音を立てて、少女の左腕がへし折れたのである。


 しかし、相変わらず痛覚はないのか、ぶん、と振り回された石斧が鼻先を掠めていった。だが、ここで距離を取るのは悪手だ。


 振り回される斧を追いかけるようにして、カエリは少女の背後を取った。


 その細い首に腕をかけ、一息に捻ろうとするが、折れたはずの左腕が異常な可動域を見せて逆にカエリの喉を掴んだ。


 喉を押し潰される圧迫感に、カエリは拘束を解いて少女の腕を払った。


 やはり駄目だ。まともに相手をすることがひどく難しい。


 肩で息をするカエリには、もう体力もそれほど残されていない。ダメージは蓄積されている上、少女を倒すイメージがどうしても湧かない。


「まったく、冗談じゃないぞ。まるで機械を相手にしてるみたいだ」


 悪態をつくのが精一杯で、せめていやみったらしくカエリが言うと、無邪気に輝いていた少女の目が、嘘のように光をなくした。


「機械じゃない……機械じゃないもんっ! 私たちはみんな人間だよっ」

「元、だろ。僕には君が僕と同じようには見えないよ」


 かろうじて表情には出さなかった。『私たち』とはつまり、少女のような改造人間が複数存在するということだ。途端に恐れが吹き上がり、別ルートを進むルクスを思い浮かべた。


「一緒だよ! 一緒でしょ!? 私とおにーちゃん、どこが違うのっ!?」


 思わずカエリは憐憫の表情を浮かべた。価値観が狂っていても、同族意識だけは残っているらしい。もしかすれば人並み以上のそれのせいで、彼女はおかしくなってしまったのかもしれない。


 だが、カエリは妥協しなかった。


 無防備にも仕事着の前を開けて、シャツを捲り上げて胸部を晒した。もちろん、そこが水晶のように透き通っているわけもなく、幾つかの古傷が肌に残っているだけだった。


「一緒にしないでくれよ。きみは化け物だ」

「……おにーちゃんも私たちを化け物だって言うんだね。私たちとは違うみんなと一緒……いいな」

「…………」


 あれだけ無邪気に笑っていたのは演技だったと思えてしまうほど、いまの少女に表情はなかった。無機質な、それこそ鉱物的な表情で見つめられたカエリは、知らぬうちに背筋を震わせた。


 ふらり、と幽鬼のように少女が歩み寄ったとき、彼女の背後から兵士が覆いかぶさった。


「きゃあっ!」


 子供らしい悲鳴を上げ、子供らしくない腕力で背中に被さった兵士を壁に叩きつけた。


 兵士は穴という穴から血液を漏らしていて、見ただけでもわかるほど大怪我を負っている。今のは完全に致命傷だ。内臓がどこかやられたのだろう。


「なるほど、お前が恵まれし子供たち(メタリカ)か。確かに恵めれている。人間として恵まれているかはともかく、な」


 似合いすぎるほどの男装。普段なら胡散臭い格好ではあれど、今のカエリにとっては白衣の天使よりもよっぽど輝いて見えた。


「ルクス……」

「生きているようでなによりだ。さて、もう時間がない。さっさと逃げるぞ」

「でも、あれを放置するのは不味いんじゃ」

「その通りだ。だからこの研究所と一緒に消えてもらう」

「……見逃してくれるとは思わないけど」

「なに、我々だけが脱出出来ればいい」

「それだけじゃない。あの子の他にまだいるみたいだ」

「……なら、残りは地下だな。上へ行こう。それは捨て置いて構わない。どうせ出て来れないんだからな」

「出て来れない……?」

「ああ。なんでも高圧電流の流れる鉄条網の檻の中で生活しているらしい。一応人体を素体にしているせいで電気には弱いようだ」


 ルクスがひらひらと揺らす紙束を見ると、それは計画書だった。ルクスの恵まれし子供たち(メタリカ)ということばに納得し、カエリは疲労で鈍った頭を振った。


「上にはなにがあるんだ?」

「緊急用の脱出通路がある。モルモットを飼っている地下とは別の地下道へ繋がっているらしい」

「……わかった」


 果たして、研究所の崩落で死ぬような存在なのか。腕が折れても、足の指が砕けても平気で笑っていた少女だ。安心するわけにはいかない。


「でもまあ、先にあの子をなんとかしないと」

「そうだな。見た限りではきみの手には余るようだな」


 悔しげに唇を噛むカエリは、自らの力不足を痛感した。


 届かないとは思っていたものの、改めて第三者から言われるのはまた違う。


「痛覚がなく、怪力。胸部は腕と同じで、それ以外は人間みたいです」

「なるほど、彼女が完成体なんだな。なら、生かしておくわけにはいかないな」


 言いながら、ルクスは腰のポーチから三つに折れたステッキを取り出してまっすぐ組み立てた。


 ステッキはルクスの腕ほどの長さで、、先端は針のように細長くなっている。


「生身を狙えばいいんだな?」

「多分。僕じゃついていくのがやっとで」

「そう卑下するなよ。きみはいままでずっと持ち堪えてきたんだからな」


 不意に、ルクスが優しげな笑みを浮かべたことに、カエリは驚愕して惚けた。そんなカエリを残して、ルクスは山猫のように俊敏な足運びで一気に少女に肉薄すると、ステッキを顎目掛けてかちあげた。


 不気味なほど沈黙を保っていた少女は、透き通った腕でルクスのステッキを掴むと、ぎらぎらとした目でルクスを睨みつけた。


 いつ腕が振り抜かれたのかもわからなかった。


 硬質な音が耳を劈いたと同時に、ルクスの長身が壁に叩きつけられた。かろうじてステッキを割り込ませて直撃は防いだが、それでも剛腕の一撃は重く、ルクスは膝をついて動けなくなった。


 石斧は砕けた。だが、少女はまだ健在である。


 少女がルクスに向かうのを見て、カエリは咄嗟に足元に転がっていた石ころを投げつけた。


 かつん、と水晶の腕に阻まれてしまうが、足は止まった。


 その隙に接近しようとしたカエリは目を見開いた。


 ルクスのステッキが少女の背を突き破っていたのだ。


 口の端から血をこぼしながら、少女がステッキに握り、強引に引き千切った。研究所暮らし故なのか、人体には詳しいらしく、刺さった破片は抜かなかった。


 このまま畳み掛けてしまえ、とカエリが少女の背後を取ったが、もどう見ても致命傷だった。


 貫かれた布はじわじわと濡れていき、足元に垂れる。


 ふらり、と少女が動いたが、それはカエリたちを道連れにするためのものではなかった。


 壁に背を預け、ずるずると座り込む。


 少女がカエリを見上げ、眩しそうに目を細めた。その行為が、その表情がひどく嬉しそうなものに見えて、カエリは愕然とした。


 勝手な想像だ。だが、考えずにはいられない。


 少女は、玩具に壊されたかったのではないのか?


 そんな疑問が自然と浮かんでくるほど、彼女は安らかな笑顔だった。


 いったい、きみの人生はなんだったんだ?


 研究所で実験材料として生かされ、好き勝手に体を弄られ、あげく、化け物になるだけの人生に、きみの人生に得るものはあったのか?


 意味のない問いかけに、帰ってくる声はなかった。







「お疲れ様。今日はゆっくり休むといい。いろいろ助かったよ」


 よくもまああれだけ動けるものだ、とカエリは若干呆れなが、痛みを顔をしかめるルクスを見送った。


 研究所を脱出したカエリたちは、予定通りに研究所を破壊した。


 どれほどの火薬が仕込まれていたのか、崩落の音とともに沈んでいった研究所はなかなかの見ものだったが、体が疲れ切っていたために最後まで見届けることはなかった。


 作戦は成功。目的の資料の確保、研究所の破壊、と文句なしの大成功であったが、カエリは喜びに沸くこともなく、どこか憂鬱そうな表情に沈んでいる。


 子供たちは皆死んだのだろう。カエリが戦った少女も、いまは瓦礫の下にいる。


 背もたれに深く寄りかかったカエリは無言だ。


 いくら考え込んでも仕方のないことだと理解している。


 だがどうしても、彼女の死に様が頭から離れてくれないのだ。


 村が焼かれてから、カエリの存在理由は復讐だけになった。そこに後悔はないし、満足さえしている。


 だがあの子は。


 果たして祝福されて生まれてきたのか、健やかに育てられてきたのか、どうして研究所にいたのか。


 わからない。わからないが、思考を放棄してなかったことにしたいとは思わなかった。


 考えれば考えるだけ袋小路に追い込まれているような感覚だ。


 どうして、生まれてきたんだろう。


 そんな疑問が浮かぶ。


 なんの意味があって生まれて、意味もなく死んでいったのか。


 答えは浮かぶことなく、カエリはいつの間にか眠っていた。

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