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司書さんのお仕事  作者: 水島緑
たなびく雲のように
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そのさん

 ――くそっ、どこかイカレてるんじゃないか!?


 悪態をつく暇もなく、カエリは透き通る両腕を躱すのに精一杯で、無駄口を叩く余裕はなかった。


 少女の動きは年不相応なほどに洗練されていて、フロウにも劣らぬ技量であった。

 特にあの腕だ。


 いなし、弾き、逸らし、幾度となくその透過した腕に触れてきたが、おおよそ人間の肉体ではなかった。


 鉄の冷たさに、脈動する血管。触れれば磨かれた石のように滑らかで、頑丈だ。


 こんな外見で筋肉が本当に動いているのか甚だ疑問だったが、少女が腕を振り絞れば筋肉も縮んでいるため、外見はさておき人間の構造となんら変わりはないのだろう。


 その見た目に圧倒され、触れることも憚られたが慣れてしまえば簡単だ。


 要は、手甲を身につけた相手と変わらない。が、その剛腕は石材の壁を易々と貫くほどのものだ。一発でも直撃すれば、人体なぞ簡単に穴が空く。


「あははははっ、すごいすごい、凄いよっ! おにーちゃん全然壊れない! 遊んでも遊んでも壊れないや!」


 まるでカエリが玩具か何かのような物言いだった。少女はそうとしか認識していないであろうことは彼女の笑顔を見れば一目瞭然である。


 ひどく苦々しい表情で突き出された腕を弾くと、カエリはやりにくさに辟易した。


 別段、子供だから、などという理由で躊躇っているわけではない。むしろ、子供は暗殺でも用いられるほどであるし、カエリも慣れている。だが、実際に相手をするとなると話は別だ。


 小回りの効く小さな体躯に対し、カエリは平行ではなく下方へと体を傾けなければ拳はかすりもしない。


 慣れない状況で無理に手を出せば手痛い反撃を貰うのは目に見えている。迂闊に手が出せないカエリは、一方的に攻められ続けた。


「くっ……子供だからってやっていいことと悪いことがあるんだよ!」


 砕けた壁の破片を拾い、目を疑うような速度で伸ばされた腕に合わせて叩きつけると、硬質な音を残して破片は粒に砕けた。


 下手をすれば鋼鉄よりも硬い腕だ。この研究所では人体を兵器に改造する実験でも行われていたのだろうか。それも、こんな年端もいかぬであろう子供を使って。


 義憤に駆られるほどの情はないが、ここは決して残してはいけない場所だ。


 水晶のような両腕が左右から迫ってきて、カエリは咄嗟に両膝を床に落とした。図らずも、まるで抱きしめようとして避けられたかのような姿勢になった少女の懐に潜り込んだカエリは絶好のチャンスを見逃さず、渾身の拳を鳩尾にぶち込んだ。


 いくら腕が頑丈であろうとも、所詮は子供の体重だ。少女の体躯はくの字に折れ曲がって吹き飛び、勢い良く壁に叩きつけられた。


 だが――


「嘘だろ!?」


 肉を打つ感触はなかった。まるで、鉄塊を殴りつけたような鈍痛がカエリの腕を貫いた。


「あはは、ざんねーん。でももっとおにーちゃんと遊べるねっ」


 元から切れ込みが入っていたのか、カエリの拳で破けたのか、少女の鳩尾のあたりの布から透き通るような、否、透き通った肌が覗いた。


 鳩尾の左上で鼓動するのは、心臓だ。鼓動は感じるもので、決して見るものではない。


 なのに、少女の胸部は心臓から肺、肋骨から背骨までまるごと透過していたのであった。


「なんだってそんな体に……」


 衝撃のあまり、呆然とつぶやいたカエリに、少女は布の端を払うと、小首を傾げた。


「ここに来て、目が覚めたらこうなってたよ? 最初は怖かったけどぉ……おもちゃで遊んでも痛くないし、便利だよ?」

「冗談じゃないぞ……」


 狂気だ。人間の狂気にカエリは胸部した。復讐狂いの『白詰草』たちよりもずっと、ここの研究員は狂っている。


「きみは、きみはどうしてそんなあに、そんなに笑っているんだ……?」

「えー? だって楽しいんだもんっ」

「楽しい?」

「うんっ、おもちゃで遊ぶのも、体が透けていくのも、ぜんぶぜんぶ面白いよっ」


 駄目だ。


 悟って、カエリは立ち上がった。


 もうこの子供は駄目だ。実験のせいか、はじめからこうだったのかわからないが、もう精神が壊れている。


 仮にここから逃がして、今更普通の生活には馴染めない。その性格もさることながら、体の問題も残る。

 ならばせめて、苦しまないように殺す。


 皮膚が裂けた拳をぶらつかせ、カエリは動いた。





 見たところ、全身が透き通っているわけではなく、心臓のある胸部や両腕、予想になるが腹部や脚部も硬化しているのではないだろうか。


 腕は喪失しないよう、胸部は急所を急所でなくすため、と考えれば比較的間違ってもいない予想だろう。


 布一枚を巻きつけただけの格好だ。露出している足は特に異常は見られない。ならば、そこを突くしかないだろう。


 機動力を奪いさせすれば、幾ら硬かろうがやりようはある。


 観察して得た情報を頭の中でまとめて、カエリはゆらりと体の軸を揺らした。


 スズランの女が使っていた技に似ているようだが、カエリなりのアレンジが入れられたこの技は彼女の技ほど洗練されていない。


 まだまだ開発中ではあったが、形にはなってきてアズとの訓練にも使用し、問題なく扱えている。


 スズランの女が使っていた技は幻惑の一種であり、言ってしまえば目くらましだ。決して直接的な行動ではなく、あくまでも撹乱を目的としている。


 まるで陽炎がカエリを包んでいるかのように、彼の姿がブレ始める。


 不思議なカエリの動きに、笑みを浮かべて目を輝かせていた少女だったが、ふと気づけば目の前にカエリが立っていた。


「えっ!?」


 慌てて身を引こうとした少女の肩をぎりぎりと鷲掴みにすると、彼女の爪先を踵で踏み抜いた。


「あ――」


 骨の砕ける確かな感触。続けてもう片足を潰そうと、素早く踵を振り下ろしたところで、カエリの視界はひっくり返った。


 二回りも体格が違う少女に、足を払われたのである。いくら片足を上げて不安定だったらと言っても、少女のほうはどちらの足を軸足にしても問題があったはずだ。


 爪先の骨が砕けた状態で軸足には出来ないし、払う足にも出来ない。だが、ひっくり返った視界の中で彼女が無事な足を引き戻しているのが見えた。


 痛みを感じないのか?


 歯噛みしたカエリが素早く立ち上がると、少女は骨が折れふにゃふにゃと頼りない爪先で床を叩いた。


「んふふー」


 大の大人でも悲鳴は免れない激痛のはずだ。にもかかわらず笑っている。怖気が走って、しかしカエリは一歩も引かなかった。


 痛みはなかろうが多少なりとも不安定になっているはずだ。


 果敢に攻めるカエリに、少女はますます笑みを深めた。


「やっぱりおにーちゃんで遊ぶの楽しいっ!」


 言いながら振るわれた剛腕を膝でかちあげ、人間的な顔面に右の拳を叩き込もうとしたが、寸前に片手で受け止められてしまった。


 透過して自らの拳まで見える彼女の手のひらが、ぐっと力を入れたのを感じて、カエリは慌てて振り払った。


 少しでも遅ければ拳が握り潰されていた。奥歯を噛み締めて、カエリは再び踊りかかっていった。






 息も絶え絶えな潜入班の一人を発見したルクスは、廊下のあちこちに血の池が出来上がっていることに訝しみながらも彼を抱き起こした。


「おい、しっかりしろ。一体どうしたんだ?」

「う、ぐっ……バレてはいなかったんです。ですが、子供が……」

「子供……?」

「そいつに全員殺されて……これを」


 もはや目も見えていないのか、あらぬ方向へうつろな瞳を向けながら、男は懐から紙束を取り出してルクスに押し付けた。


「き、気をつけてください……あの子供たちは多分被験者です……体のどこかが人間じゃなくなっている子供には、注意してください……」


 そんな忠告を残して、男は静かに息を引き取った。


 死体を持ち帰ることは出来ない。だが、せめてもとルクスは男が身につけていた安っぽいブレスレットを優しく外して懐に仕舞った。


 紙束を捲りながらその場を離れると、ルクスは思わず足を止めてしまい、辺りを見回すと再び歩き出した。


「恵まれし子供たち(メタリカ)か……たちの悪い名前だ」

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