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司書さんのお仕事  作者: 水島緑
たなびく雲のように
30/43

そのに

 約束の夜だ。


 既にいつもの仕事着になったカエリは、ルクスを待つばかりである。


 昨日、ルクスが帰った後、息を切らして駆け込んできたアズからフロウの方へ回されたことを聞かされた。

 どうやら今回ばかりは本当に猫の手も借りたいくらい大規模な二面作戦のようで、いつもは二人セットなカエリにとアズも、それぞれが向いているであろう仕事へ組み込まれることになった。


 カエリはそうでもなかったが、アズはおどろくほど錯乱していて嗜めるのに時間がかかった。彼女の気持ちもわからなくはなかったが、今更覆ることはないだろうと説いて、カエリはアズを帰した。


 互いが無事で帰ることを半ば一方的に約束させられたカエリだったが、満更でもない様子で受け入れていた。


 鳩時計が一定の間隔で針を鳴らすなか、カエリはひどく落ち着いた様子でいつも通りに本を手にとっていた。


 リラックスしているというよりも、開き直っていると言ったほうが正しい。もはやどうしようもないのだから、と諦念が彼の心を占めている。


 しばらく読み耽っていると、扉が小さく叩かれた。栞を挟んで本を閉じ、どことなく嫌そうに扉を開けると一日ぶりにルクスの顔を見た。


 普段通りの男装だ。容姿を隠すようなものはなに一つ身につけておらず、これからカチコミに行くとは思えないほどの軽装である。


「どうも」

「ああ、準備は出来ているみたいだな。結構」

「それよりも、顔隠さなくていいんですか?」

「ああ、良く聞かれるが私は基本的に日向には出ないからな。顔が知られていようが問題はない」

「なるほど」


 憂いもなくなったところで、二人は早速図書館から出た。


 ルクスの先導の元、向かっているのは行政区画だ。


「なんというか、貴族って生き物はどこもかしこも真っ黒っていうか……綺麗な貴族なんているんですか?」

「十中八九いないな。例えそれが善良な貴族であっても、善良故に領民を守ろうとして少なからず汚いことはするだろう。綺麗な貴族はいないが、拭き取れる汚れの貴族ならかろうじている」

「はぁ。ま、どちらにせよブロッサの貴族は真っ黒みたいですけどね」

「ふん、違いない」


 軽い身のこなしで壁を駆け上がり、屋根に登ったルクスを真似てカエリも屋根に上がると、彼女は目を細めて口の端を吊り上げた。


「こっちだ。衛兵の頭の上を飛び越えて行くの一番早い」

「真面目に見張っていても侵入さらるんだから、バレたときにはとばっちりを喰らいそうですね」


 ひどくどうでもいい声色で呟くと、ルクスは喉の奥で笑った。


 容易く行政区画へ侵入したが、ここから先はカエリにとって馴染みのない場所だ。


 軽い身のこなしですいすい先へ進むルクスを見失わないように追うのが手一杯で、あまり周囲の様子は覚えられない。


 流石に街の中心部だけあって、夜が深かろうが随所に篝火が焚かれていて出歩くには困らないほど明るい。


 その分、路地裏の影は深くなり、人影がすり抜けようが容易には気づかれなくなっている。

 あちこちに駐在している兵士たちを見れば、どれだけ大切な場所なのかは一目瞭然だ。ここから出ない大総統補佐を殺害するには、どれだけの労力が必要になるのか。


 いや、そんなことを考えている場所じゃない。頭を振って不安を追い出したカエリに、ルクスが声を掛けた。


「そろそろ着く。……このあたりは位の高い貴族が多く住んでいるから、時間があるときに探ってみるといい」


 はっとしてルクスを見るが、彼女は振り返ることなく進む。


 あからさまな通行禁止が為されている地下へと続いている階段の前で二人は止まった。

 錆びた鉄格子には鎖が巻かれていて、いかにも怪しげな場所である。


 鉄格子な周りは頑丈に固められているが、その上はまるっきりすかすかだ。確かに鉄格子は二メートル近い高さがあって、壁面に取っ掛かりのようなものもなければ鉄格子に手足を掛ける場所もない。だがカエリたちからすれば、こんなものあってないようなものである。


 軽く助走をつけたルクスが先に鉄格子を簡単に飛び越え、カエリもそれに倣った。


「この先に?」

「いや、こっちだ」


 ルクスが指し示したの階段ではなく、階段の向こう側の壁である。


 一見するとただの壁だ。階段を降りては到底届かない高さになり、降りる前でも余計なものがなにもない向こう壁には届かない。


「あれ、ハリボテだ」


 言うが早いか、ルクスはさっと踏み切ると向こう壁をぶち破って着地した。


「なるほど、紙か」


 大きな紙で隠されているだけだったが、確かに日が高いうちでもそこは影になって紙だとはわからない。うまいこと隠したものだ。


 ハリボテの壁の奥には、下る階段ではなく上る階段が存在していた。

 壁を知らないものは下へ、知っているものは上へ、そういうことである。


 階段を上るとどうやら到着したようで、建物の中に入った。


 あかりのない廊下を進んでいくとふとルクスが足を止め、カエリに手招きをする。


 怪訝な面持ちでルクスに近づくと、彼女は懐から爆竹を取り出して口角を吊り上げた。

 つまり、作戦開始ということだ。




 爆竹の半分を受け取ったカエリは、ルクスとは別方向に廊下を曲がった。それぞれで騒ぎを起こせばその分一人が相手をする敵は分断される。


 潜入班は既に動き出しているらしく、あとは脱出までの時間を稼ぐだけである。


 遠くから爆発音が聞こえて、いよいよカエリは覚悟を決めた。


 駆け抜けながら火のついた爆竹を適当に投げ込んでいくと、そこかしこからどよめきが起こって異常を感じた兵士が数人、飛び出してきた。


「侵入者だぁ!」


 存分に叫んでくれとばかりに棒立ちで待つカエリに、兵士たちは剣を抜いて飛びかかる。

 しかしここは狭い廊下。必然的に囲むことはできず、一人づつでしか対応できない。


 勇ましく切りかかってきた兵士の顔面を殴り飛ばして壁に叩きつけると、カエリは狭い廊下にもかかわらず、待機している兵士の脇をすり抜けて自ら挟まれる形になった。


 チャンスとばかりに前後から同時に切りかかる兵士たちだが、カエリは天井近くまで飛び上がって回避すると、兵士たちの頭に着地して踏み潰した。


 昏倒する兵士たちを尻目に、カエリはそのまま駆け抜ける。


 あまり深入りする必要はない。騒ぎを起こし、兵士を誘導して潜入班が脱出するルートと時間を確保する。


 ルクスは逃走ルートの確保も仕事のうちに入っているようで、兵士を誘導しながら奥へ奥へと進んでいるようだ。


 一方カエリは単純に時間稼ぎが目的なので、それほど苦労することはない。


 が、いかんせん数が多いので廊下を進めば進むだけぞろぞろと行列のようにやってくる。


 ひとりひとりの強さは一般的なので苦労しないが、それが途切れなくやってくるのではさすがのカエリでも手に余るほどだ。


 果たして何人打ち倒したのか、十を超えてから数える暇もなくなった。


 十字路が見えてきた、カエリは躊躇した。


 四方から囲まれるのはさすがにまずい。かといってこのままぐずぐずしていると無視してきた兵士たちが追いついてきてしまう。


 ええいままよと十字路に突っ込んだカエリを待っていたのは、小さな子供であった。


 身長はカエリの胸にも満たないほどの高さだ。おおきな布を一枚体に巻きつけただけの異様な風体よりも、その華奢な体の一部に目が惹かれる。


 細い、すこし力をこめれば折れてしまいそうなほど可憐な腕が、水晶で作られているかのごとく透き通っているのである。


 しかし決して鉱物的ではなく、張り巡らされた血管や骨、筋肉など、皮膚を透過して見えているのだ。


 腕の構造を露出した子供は、吐き気を催すほどの異形であった。


 笑顔。


 花が咲くような笑顔を浮かべ、子供は無遠慮にカエリに近寄ってきた。


「きみは……」


 とてもではないが人間とは思えない姿に、カエリは呻いた。


「こんばんは、おにーちゃん。あのねあのねっ、わたし今日は遊んでもいいっておじさんが部屋から出してくれたんだ!」

「……そっか」


 無邪気に近づいてくる子供に警戒しながら後ずさるカエリに、彼女は気にせず続ける。


「でもね、兵隊さんとはやっぱり遊んじゃだめって言われちゃった。だからね、おにーちゃん。わたしと遊んで?」

「ごめんね、僕は仕事でここに来てるから遊べないんだ」


 どっと冷や汗が溢れた。背中に壁が当たり、追い詰められている。


 ただの子供だ。腕がおかしいがそれだけだ。なのにこの異様な怖気はなんだ?


「そうなの? うーん、まあいっか。おにーちゃん、遊ぼ!」

「いや、だからね……」


 まるで握手でも求めるかのようにすっと透けた腕を差し出した少女を反射的に避けると、腐りかけの果実でも貫くように肘先まで壁に飲み込まれていった。


 違う。貫いたのだ。


 少女の脇をすり抜けたカエリは、そのまま逃走しようと背後を確認すると、既に少女が先回りしていた。


 言い表せぬ恐怖に喉が引きつるが、かろうじて悲鳴は噛み殺した。


「あれれ、遊んでくれないの?」

「悪いね」

「そっかぁ、じゃあ、おにーちゃんで遊ぼっと」


 小首を傾げたままにっこりと笑う少女の目は、それこそ鉱物でも嵌め込んだかのごとく無機質であった。

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