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司書さんのお仕事  作者: 水島緑
晴れない朝霧
3/43

そのに

 毒殺という手段は毒を食事や水に混ぜるだけなので非常に手軽だ。しかし、実行するとなると致死性の高い毒は基本的に使用出来ない。それは何故か。味が変わるからだ。例外はあるものの、効果の高い毒は料理の風味を邪魔し、舌に刺激を与え、体内に入る前に吐き出してしまうことのほうが多いらしい。カエリがフロウからそんな話を聞いたのは、『木陰』に入って間も無くのことである。


 赤毛の少女が帰ってから、彼女が開いていた植物図鑑を眺めながらフロウの言葉を思い出すカエリだが、しかし彼は赤毛の少女にそれらを話すつもりはなかった。


 毒は犯人を隠すが、扱いも難しい。植物図鑑で見た毒性のある植物を集めるのは素人でも出来るが、自らが望む効果を発揮させるにはそれなりの知識が必要になる。しかし、赤毛の少女にそんな知識があるとは思えない。


 毒しか手がないほど切迫詰まった状況にある、とカエリは見ていた。


 十中八九、毒殺は失敗する。いっそ、毒を塗った矢で射るほうがマシなくらいだ。


 まず、毒を仕込む段階から大仕事なのである。一般家庭であれば簡単だが、赤毛の少女は身なりが良かった。おそらく庶民を相手にしたものではない。となれば、残りは権力者ということになるのだが、彼らには毒味役がついて回る。権力者の口に入るものを事前に食べ、毒がないか調べる仕事だ。


 赤毛の少女が毒殺したい相手を貴族だと仮定すると、毒殺はほぼ不可能だ。いくら身なりが良いとはいえ、こんな寂れた図書館を利用しているのだから貴族はない。せいぜいが成り上がりの商人だ。しかも、この辺りでは見ない赤毛なので、他国の人間である可能性が高い。となれば、おそらく頼れる人間は少ない、あるいはいないと見ていい。そんな状況で貴族の屋敷に潜入し、毒味役に気づかれない毒を仕込んでターゲットを殺すなど、不可能である。


 一応、その道を知るカエリからしてみれば、やめておいたが無難であると判断する。だが、あくまでもカエリは図書館の司書で、赤毛の少女は名前も知らないただの利用者だ。そもそも植物図鑑で毒草を調べていたのだって単なる興味本位だったのかもしれない。


 と、カエリは考えたのだが、どうにも気になってしまうのである。


 薄暗い仕事とは無縁な少女がそれに手を出そうとしていることに興味があるのか、単に久しぶりの利用者が気になるだけなのか。


 しばらく悩んだが、理由はどうあれ見届けるのも悪くないと結論を出して、見守ることに決めた。


 という旨の話を、いつも通り昼食を持ってきてくれたアズにすると、彼女は彼女で興味を惹かれたようだ。


 かくして、同業者に畏怖混じりに『木陰』と呼ばれるメンバーである二人が、赤毛の少女を見守ることになったのだが、少女はなかなかに行動力があったらしい。


 翌朝、欠伸を漏らしながら図書館の扉を開けたカエリの目に飛び込んできたのは、正面のアトリエの壁に赤毛の少女にそっくりな人相書きが貼り付けてあった。


 つまるところ、指名手配である。


「うわ、すっげぇ決断力。僕だったらもっと掛かるかな」


 他人事のように呟いて、密かな楽しみがわずか一日で終わってしまったことを悲しみながらカエリは図書館へ戻った。


 人相書きには、毒殺未遂と罪状があった。


 半ば予想していたカエリに驚きはなく、眠たげな目をそのままにカウンターに突っ伏した。


 せっかくの純粋な利用者がほんの二日でいなくなってしまった。それも指名手配だ。もしかしたらこの図書館を使ったことで騎士たちに目を付けられてしまうかもしれない。


 それはともかくとして、気になるのは未遂というところだ。失敗した、という点は別段不思議ではないのだが、どうやって懐まで入り込んだのかが非常に気になるところである。卓越した技術で取り入ったのか、金を握らせたのか。手段はいくつも思い当たるがほんの一日で実行できるとは思えない。できれば赤毛の少女本人から話を聞きたいところだが、どこにいるのかもわからない現状、探すにしても手前が掛かりすぎる。


 適当な本を捲りながら考え込むカエリだったが、益体もないと断定してすぐさま打ち切った。どうせもうあの少女には会わないだろうから。


「そういえば名前……手配書に名前はなかったな。普通ならあるはずなのに。もしかして、商隊がグルだった、とか?」


 身体的特徴を見る限り、あの少女が他国の人間だということは一目瞭然だ。だからこそ、彼女の名前が知られていなかった可能性がある。しかも、商隊がまるごと関わっているのであれば、見つけるのはなかなかに難しくなる。簡単な話だ。ほとぼりが冷めるまであの少女を隠し、商隊の人間で世話をすればいい。


 会うのは無理か、と棚に本を押し込んだときである。ふっと影が差したと思うとカエリは横っ飛びに床を転がってすぐさま体勢を整えて構えた。


 飛び掛かる寸前、見慣れた丸眼鏡がのほほんと突っ立っていることに気がついて、カエリは呆れながら腕を下ろした。


「何やってるんですか館長。というか、その奇襲やめてくださいって僕何度も言ってるじゃないですか」


 にやにやと嫌らしく笑う館長、フロウがぶらぶらと揺らしていたナイフを懐に納めると、まったく反省していない様子で畳まれた紙をカエリに渡した。


「いやいや、これも大切な訓練の一環だよ。いついかなるときも油断していないか、ね」


「油断してたら殺してる癖になにが訓練だよ……」


「あはは、まさか。流石に殺しはしないよ。この世界、油断したら終わりだから常に危機感持ってもらわないと。気づかなかったらせいぜい半殺しだよ」


「いや変わりませんから」


 肩を落としながら畳まれた紙を開くと、簡潔に用件が書かれている。


 ――クロエ・スレッタートの捕獲、及び勧誘。


「誰ですか?」


「やだなぁ、ここの前にも貼ってあるでしょ? 赤毛の子。昨日来てたじゃん」


「え……ああ、捕獲、ね。」


 何故いなかったはずのフロウが図書館利用者のことを知っているのかはいつものことで流したが、つまりあの赤毛の少女を捕らえることが今回の仕事らしい。


「なんだってまたあの子を」


「さあね。ま、でも使えるんでしょ? じゃなきゃ指名手配された人間をわざわざ捕まえようとしないって」


「まあ、そうですね。……今夜か」


 カエリは自らが属している組織のことをあまり知らない。世界中に構成員がいることと、首領が命令を出していること。この二点だけだ。フロウによれば昇進するほど様々情報が開示されるらしいのだが、カエリが思うにそれは不可能に近い。


 良くも悪くも、『木陰』は実力主義だ。功績を立てなければ首領の目には止まらないし、ヘマばかりすれば切り捨てられる。昇進目当てに積極的に仕事を受ける構成員もいるらしいが、カエリにその意思はない。


 死んでしまえばそこで終わりだ。村が盗賊に焼かれてから刻まれた教訓である。


 紙に書かれた一文を読み返すと、確かに勧誘と書かれている。つまり、首領の目に叶うほどのなにががクロエという少女にあるのだ。


 それは、カエリが考えたようにわずかな時間で懐に潜り込む手腕である。それが有用であると見た首領としては手に入れておきたいのである。


 十中八九、上手く捕獲出来なければお叱りを受けるだろう。だからこそ、紙には勧誘と書かれている。


「アズには?」


「ん? ああ、渡してきたよ。それにしてもあの子、すっごい人気ね。今日もセクハラされかけてたよ?」


「それを聞いても驚かなくなりましたよ……」


 この街の野郎共は自制が出来ないのか、と呆れるばかりである。カエリとしてはただただやり過ぎてクビにならないか、の一点が気になるところであるのだが、今のところは大丈夫そうだ。


「さて、注意点が幾つかあるよ。まず一つ。私たちもクロエちゃんの行方を掴んだけど、それは騎士さん方も同じみたい。争奪戦ってことね」


「……それはまた厄介な。当然殺しは駄目なんですよね?」


「もちろん。クロエちゃんの居場所は騎士さん方にとって極秘だからね。無用な面倒は極力起こさないように。叩きのめすだけなら許可するよ」


「まあ、そうでしょうね」


「次に、クロエちゃんをスカウトしたいところはうちだけじゃないんだよねぇ」


「いくつくらいですかね」


「うちらと騎士を合わせて五つかな? もしかしたらそれ以上になるかもって話だから、この近辺にいるメンバーはみーんなお仕事に駆り出されることになるね」


「そんなに……」


「そ。そんなに」


 まさかそこまで少女が有用だとは、カエリも思っていなかった。


「そこまで大規模になると人死が出ますね」


「だろうねー。まあ、騎士以外なら斬っても構わないみたいだし、上手い具合に敵さんの戦力減らしてくれると後々楽かなぁ」


 物騒なことを平気で言うフロウに、カエリはごく自然に頷いた。この界隈での争いは日常茶飯事、とまではいかないが結構あることで、隙があれば邪魔になりそうな同業者を事前に消す、なんてこともやる。


「まとめるけど、まず目標はクロエちゃんの確保。これは絶対。騎士様を殺すのは駄目、他は平気。こんなとこかな?」


「わかりました。時間は?」


「今すぐにでも、と言いたいところだけど、足がつくかもだから騎士が動く日暮れから一緒に動いてもらうよ。多分、抜け駆けするのはいないんじゃないかな。現場の見張りに殺されちゃうしね」


「見張りの人も合わせたら……相当な数になりますね」


「うん。だから死なないようにね?」


 そう言い残すと、フロウは蔵書室へ降りていった。また本が増えるだろうことを予想してカエリはげんなりと溜め息を漏らした。


「カエリぃ! 館長さんからお話聞いた!?」


「声大きいっていってるだろ……」


 入れ替わりにやってきたアズが押し入るように扉を開けたので、カエリは一旦本の整頓を中止してアズの元へ歩いていった。


「いいじゃんいいじゃん、どうせ誰もいないんだからさー」


 どこか嬉しそうな様子のアズに気づいたカエリが、彼女の心情を察して呆れた。


「まったく、とんだじゃじゃ馬だよきみは」


「え? えへへ、わかる?」


「そりゃあね」


 にっこりと花咲くような笑顔を浮かべているが、アズは暴れられることが心底嬉しいらしい。誰かを殴ることが出来て上機嫌になるなど、乱暴者のそれだが日常生活ではそんな様子を微塵も見せないため余計にたちが悪い。


「せっかくの休憩なんだから、わざわざここに来なくてもいいのに」


「待ちきれないんだもんっ! お店にいたら他の子に迷惑かけちゃうかもだし」


「はぁ……ここに来てもどうしようもないってば」


 日暮れまではしばらく掛かる。はやる気持ちを抑えようとしているのはわかるのだが、どうにも空回りしているようだ。


「とにかく落ち着きなよ。いまお茶を淹れてくるから、本でも読んでて」


「うんっ」


 素直に本棚を物色しはじめたアズに苦笑して、手早く紅茶を淹れて戻る。おとなしくカウンターの椅子に腰掛けて恋愛小説を読むアズが集中している様子だったので、カエリは静かにカップを置いて自分も読書に戻った。

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