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司書さんのお仕事  作者: 水島緑
たなびく雲のように
29/43

そのいち

 川を挟んだ対岸。


 三つ指を立てたアズを見つめるカエリが身を潜めているのは橋の上だ。


 石橋の手摺の隙間から遠いアズの姿を見つめるカエリに、アズは指を一本畳んだ。


 いまカエリが隠れている石橋の下をくぐる舟が近づいてくるのを、アズが数えてカエリに教えているのである。


 間をもって指がまた畳まれ、最後の一本が見えなくなった瞬間、カエリは端から身を投げた。

 急速に近づいていく水面を見下ろしていると、タイミングよく足元に舟が現れた。


 小さな木舟に飛び降りたカエリは、ぎょっとした顔で見つめる痩せぎすな男を認めると、その首を掴み片腕で持ち上げた。


「ぐげげっがはっ、ま、までっ、おれがなにを……」

「なにもしなかったらこんな目には遭わないよ」


 優雅に舟遊びをしていたこの男、そこそこ大きな飯屋を営んでいるのだが、他店に対する悪質な妨害工作のせいで、何軒もの店が潰れている。


 土地を借りるにも店を構えるにも金がいる。


 切り詰め切り詰め、あちこちから金を借りてようやく始めた店に誰一人として客が寄り付かなくなるともう終わりだ。男は根も葉もない悪質な噂を広め、両指いっぱいの店を潰してきた。


 潰れた店の持ち主は借金で首が回らなくなり、大半が自殺か、身売りに出される始末だ。

 故に、『木陰』に目をつけられた。


「だ、だじゅげで……!」

「命乞いなら僕以外の人にやってよね。……苛々するんだ」


 首を締め上げられ、酸欠で痙攣しはじめた男の脈が止まるのを待ってから、カエリは船に男の死体を戻した。


 小さな木舟から河原へ跳んで戻ると、舟は前後に揺れながら静かに流れていった。


 向こう岸で手を振るアズに手を振りかえしてから、カエリは歩き出した。




「ううー、さむ」

「寒いねー」


 アズと合流したカエリはブロッサに戻った。

 本格的な寒冷期に入ったブロッサは朝から晩までひどく冷える。吐く息は真っ白になり、防寒具を身につけない住民など、カエリくらいしかいない。


 露出度の高かったアズの仕事着は、防寒効果の優れたファーコートへ衣替えした。しろい綿毛は一見すると羊のようで、アズ本人はひどく気に入っているらしい。


 耳当てやマフラー、手袋など、寒冷期対策はばっちりである。


 一方のカエリといえば、口元まで隠れる襟のフード付きローブで、以前と変わらない装いである。しかも一切の防寒具を身につけないから、四六時中寒がっては図書館から出たがらなくなった。


「ほら、やっぱり寒いんじゃんか。あたしの手袋貸してあげるって」

「いやいやいや、それあきらかに女の子用じゃん」

「えー? でもあったかいよ?」

「それだけもこもこしてればね……とにかくいらないよ。お金掛かるし」


 身の回りのものを整える金があれば、新しい本を買いにいく、と胸を張るカエリに溜め息を漏らしたアズが彼の手を強引に握った。


「もお、意味わからない意地張らないでよね。ほら、これであったかいでしょ?」

「おお、あったかい」


 もこもこの手袋越しにアズのてのひらを感じて、照れたカエリは頬を掻いた。






 基本的に図書館内は火気厳禁である。


 わざわざ説明するまでもなく、燃えやすいものでいっぱいだからだ。


 そのため、寒冷期の図書館は寒々しく、司書でさえ寒さに震えて早く帰たがっている。


 つまるところ、カエリは寒いので早く離れに戻りたがっているのである。


 寒冷期に入ってから、図書館を利用する住民は誰一人としていない。というのも、貸し出しをしていない上に司書が文句を垂れるほど図書館は寒い。場所も悪く、芸術区画の奥であるし、わざわざ訪れようとする人間は高値の書物が目的の盗人か、物好きだけだ。


 そんな物好きの一人、アズもついに大通りに進出した喫茶店が大繁盛しているらしく、早朝に図書館を訪れてくれるものの、流石に疲れが出るのか夜は顔を出さなくなった。

 なので、カエリは一人寒々しい図書館で相も変わらず本の整理をしている。


 いつもはアズに頼り切りなので、練習とばかりにお茶を淹れてみたがひどく渋い。茶葉を長くつけすぎたようで、それでももったいないので一息で飲み干して、カエリは溜め息をついた。


 『白詰草』が壊滅してから、カエリたちは様々な仕事をこなした。


 いわゆる鉄槌であり、裁きとも言い、ありていに言えば正義を執行したのだが、肝心の仇には一切近づけずにいた。


 以前の出来事で完全に警戒しはじめたらしく、大総統補佐はまったくといっていいほど表舞台には立たなくなった。行政府に篭り、腕利きの護衛を従え、常に万全の状態でいる、とフリステンから告げられてしまえば為す術もない。


 どちらにせよ、動くのは大総統補佐の警戒が解けてからだ。それもあって、カエリはおとなしくしている。


 かじかんだ指先をこすり合わせながら、カエリは本の頁をめくる。


 つい先日入手したばかりの、『家畜の王』の続編だ。


 せっかく手に入れたので同作品を気に入ったらしいクロエに貸そうかと考えているが、以前にもましてクロエとは会わなくなった。最後に会ったのはいつだったか。時折顔を見せるフロウによれば元気でやっていて、めきめきと実力をつけているらしいので心配はしていない。


 日の入りがずいぶんと早くなって、気づけば図書館の中は真っ暗になっていた。目頭を揉みつつ蝋燭をようとして、カエリは図書館を閉めた。


 どうせ、利用者はいないだろう。


 離れに戻ったカエリは、やはりアズがいないのであらゆる意味で寂しい夕食を終えた。


 特になにもしない一日を振り返るとさみしすぎて泣けてくるので、なにも考えないようにした。





 眠っていたカエリが瞼を閉じたまま腕を動かすと、ナイフを握った腕を捕らえていた。


 無意識のまま、手首を握り砕こうと力を籠めたカエリが目を覚ますと、跨った状態のフリステンの付き人がいた。


 慌てて力を抜いたカエリに、男装の麗人は痛そうに手首を摩ると、軽やかに跳んでベッドの脇に着地した。


「ふむ、確かに常日頃から警戒を怠ってはいけないな」

「……館長――フロウさんの入れ知恵ですか?」

「ああ、起こし方などわからなかったからな。使わせてもらった」


 盛大な溜息を漏らしてから起き上がったカエリは、準備をするといって離れから麗人を追い出した。

 そういえば彼女の名前を知らないが、カエリは特に興味もないので聞くことはしなかった。


「それで、一体どんなご用事で? ……正直、貴女が首領の傍から離れるなんてよほどのことじゃないと思うんですけど」

「いや、そんなことはないぞ。私もきみたちと同じように仕事を受ける。ただ、それ以外の時間をあのお方の傍で過ごしているだけだ」

「はぁ」

「ともかく、だ。きみに仕事だ。いつもならフロウが伝えにくるのだがあいにく彼女は別件でね」

「なるほど、そういうことですか」


 つまり、目の前の麗人はフロウの代わりというわけだ。


「それで、どんな仕事ですか?」

「陽動と潜入。とある研究所を破壊する必要があってな。きみは陽動のほうだ」

「研究所、ですか? ブロッサじゃないんですね」

「いや、ブロッサだ。正確に言えば、ブロッサの地下、だ」


 思わず足元へ視線を下げたカエリが、不思議そうな表情を浮かべた。


「地下、ですか?」

「ああ。貴族、秘密裏、人体実験、と並べればだいたい掴めてくるだろう?」

「あぁ、なるほどね……」


 貴族の援助の下、非人道的な実験がブロッサの地下で行われている、ということだ。


「陽動なら……どれくらい時間を稼げばいいんですか?」

「潜入班が研究の資料を確保するまで、だな。爆発はそっちで受け持ってくれる」

「警備兵はいるんですよね? 規模はどれくらいですか?」

「どうも、かなり多いらしい。少なくとも百人は優に越える数だ」

「陽動班の人数は?」

「きみと私だけだ」


 ぽかん、と間の抜けた表情を浮かべたカエリに、麗人は無情にも同じ答えを突きつけた。


「私と、きみの、二人だけだ」

「冗談でしょ?」

「フロウが参加している仕事も大規模でな。どちらもカツカツなんだ」

「カツカツって言ったって、2人なんて無謀ですよ……」

「ふん、存外に臆病だな」


 嘲る物言いに、かっと血が上った。


「だったらそっちは蛮勇だ! 死にたいのなら一人で死ねよっ」

「どっちでもいいんだよ、これは仕事だ。わかるだろう?」

「……お互いに拒否権はないんでしたね」

「そういうことだ」


 この人なら仕事でなくても首領のためとあらば、一人でもやりそうだったがそれは言わなかった。


「明日の夜、また来る。それまではゆっくりしていろ」

「はあ。……ああそうだ。名前」

「なに?」

「名前ですよ。いや、呼び方か。一緒に仕事するだから、呼び方くらい教えてくださいよ」

「ああ、そうだな。なら……私のことはルクスでいい。本名ではないが、首領もそう呼んでいる」

「わかりました」


 ルクス、ルクスと何度か口ずさんで頷くと、彼女は颯爽と帰っていった。


 男装という奇抜な装いも、ぴったり合致すれば、絵になるものだ。

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