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司書さんのお仕事  作者: 水島緑
死遭わせのクローバー
27/43

そのきゅう

 すれ違う人々を押しのけ、カエリは薄暗い街を駆けた。


 わざわざ地面を走る必要はないと、カエリは屋根に飛び乗って軽々とかけぬけていく。


 ぽつりぽつりと明かりが浮かび上がるブロッサに、ひときわ大きな光が見えればそこが歓楽街だ。


 いつか来たときのように、屋根を伝い走るカエリはそのまま歓楽街へ入って、目的の酒場を探す。


 見落としのないように走ることはやめたが、胸の奥から急げ急げと急かす声がして落ち着かない。


 軒を連ねた店の看板を見落とさずにひとつひとつ確認していくと、歓楽街の奥にまで進んで、やっと『アルムシード』を見つけた。


 酒場と娼館が組み合わさったような店である。気に入った酌婦がいれば、そのまま二階で一夜を過ごすことも出来る、そこそこ人気のある酒場である。


 一般人からすれば手頃な店なのだが、カエリたちからすれば『白詰草』の拠点だ。


 図書館が襲撃されたことから、カエリの顔は知られている。わざわざ出入り口から入る必要もない、とカエリはおもむろに屋根に拳を叩き込んだ。なるべく音が出ず、衝撃も少ない殴り方だ。


 拳大の穴が屋根に空いたが、カエリが入るにはまだ足りない。何度も拳を突っ込んで穴を広げていくと、カエリを見上げる瞳と目があった。


 これからお楽しみであったのだろう半裸の男女が、カエリを呆然と見上げているのである。


 しかしカエリは彼らを意に介さず穴に飛び降りると一言、


「お邪魔しました」


 とだけ呟いて、部屋から出た。

 あまり長時間はいたくない空気が漂っている。


 一階への階段の影から、カエリは酒場を観察する。


 一見すると至って普通の酒場だ。


 繁盛しているおかげか、幾分か中は広く作られており、改装の痕跡が散見される。それだけみればどこにでもあるような酒場だが、ここは敵の拠点だ。どこかに地下へと繋がる通路があるはずで、それはおそらく隠されているに違いない。


 忙しそうにしている店員――十中八九『白詰草』のメンバーであろうが――の目を盗んで、カエリは階段裏に身を滑り込ませた。


 段差の隙間から目を凝らして怪しい場所がないか探ったが、補修痕か多くてどこも同じように見える。


 せめて、店員がそこを気にする素振りを見せれば強行突破しても構わないのだが、客が多いなでそれどころではないらしい。


 いや、よく考えてみれば、一般人が通る場所に仕掛けがあるわけがない。


 焦りのあまり視野が狭まっていることを自覚し、カエリは深呼吸をした。


 地下への道があるとすれば、それは関係者以外立ち入り禁止の立て札がある場所だろう。フロウにはそこも詳しく教えて欲しかったが、彼女も急いでいたに違いない。拠点の位置がわかっただけでも有難いくらいだ。


 ――いや、なにも難しく考える必要はない。


 落ち着きを取り戻したカエリは、ようやく冴えてきた頭で店員たちを見た。


 直接聞いたほうが早いんじゃないか?


 『白詰草』の結成目的は、他の組織とは決定的に違う。そのため、『木陰』やその他の組織と同じ手法で隠し部屋を作っているとは限らない。応用もできなければ見当もつかないのだから、考えたところで答えは出ない。ならばいっそ、『白詰草』に聞いてしまえばいい。


 タイミングを見計らって、厨房へと滑り込んだカエリはまな板の上の包丁を取ると、フライパンを振るっている料理人の首に突きつけた。


「お前たちが攫った人間はどこにいる」

「……お客様、ここは立ち入り禁止ですぜ」

「質問に答えてくれればすぐにでも出て行くよ」

「あいにくと、あんたたちは生かして返すなって言われててねっ」


 カエリの手を払いのけると同時に、振るっていたフライパンを背後へと振り抜いた。


 フライパンの中身が盛大に撒き散らされる中、カエリは紙一重でフライパンを躱して包丁を投擲する。だが、料理人はそれをたやすく避けるとコンロの脇に置かれた瓶をカエリに投げつけた。


 叩き割ってやる、と飛来する瓶を拳で砕くと、粉末状の中身が飛び散り、その刺激的な匂いにカエリは思い切りむせた。


 瓶の中身は胡椒だった。


 大きな隙を見逃してくれるわかもなく、料理人はホルダーに収められた包丁を両手で握ると、カエリに切りかかった。


 目に染みるせいで視界がもやかがってしまっているが、料理人の動きはかろうじて見えた。薄皮一枚裂かれながらも回避するが、足元にまで気を巡らせることが出来ずに排水溝に足を引っ掛けてしまった。


 咄嗟に体をひねって転倒は避けたものの、その隙を狙って投擲された包丁が左の上腕に突き刺さった。

 必死にまばたきをして涙を落とすが、料理人は手を緩めずにホルダーから新たな包丁を抜いてカエリに肉薄した。


 咄嗟に傷を負った左腕を盾にして斬撃をやり過ごした。包丁は包丁としての切れ味しかない。それが功をなして刃は骨に阻まれた。


 目の前の料理人に足払いを仕掛けるが、彼はそれを跳んで避ける。しかしカエリはその隙に立ち上がり、まぶたを瞬かせて視界を取り戻した。同時に上腕に刺さった包丁を引き抜き、料理人に踊りかかる。


 打ち合った包丁の刃が盛大に欠けるが、二人は気に留めずに互いの攻撃を撒いていく。


 負傷した左腕の痛みを堪え、振り下ろされた包丁の柄を料理人の腕ごと受け止めると、思い切り引き寄せて鳩尾を蹴り上げた。同時に首筋を切られたが、深くはない。


 まずい。

 カエリは焦っていた。


 予想以上に手間取っている。目の前の料理人の技量が高すぎるのだ。長々と相手をしていては騒ぎに気づいた『白詰草』の店員も参戦してくるかもしれない。


 これで決めるべく、欠けた包丁を投擲しながら料理人に接近した。


 投げた包丁は躱された。迎撃に移る料理人が両手の包丁を振り上げたが、カエリはあえて避けずに突っ込んだ。


 左腕で斬撃を受け、無事な右腕で料理人の脇腹、腎臓の位置を痛打した。


 内臓にすべての衝撃が浸透し、料理人は包丁を取り落として膝をついた。


 ごほごほと吐血する料理人の胸倉を掴み上げて壁に叩きつけると、カエリは底冷えする声で同じ質問する。


「攫った人間はどこにいる」

「ごぼ、ごほっ、へっ、誰が言う――」


 おもむろにカエリは、にやりと笑う料理人の眼窩に指を突っ込んだ。ぶよぶよとした感触を突き抜けたのを感じると、指を鉤状に曲げて引っこ抜いた。


 ほんの一瞬の動きだった。


 眼球を引き千切られた痛みが遅れてやってきた。だが、料理人の喉から絶叫が迸ることはない。


 首を締め上げながらカエリは、指に引っかかりひしゃげた目玉を無事な眼前に持っていくと、三度、同じ質問をした。


「攫った人間はどこにいる」





「ここか」


 薄暗い廊下の半ばで足を止めたカエリは、目の前の扉を見上げた。


 食料庫の床に地下への階段が隠されているらしいことは、親切な料理人が教えてくれたのである。


 気配を窺いながら扉を開け、窓のない食料庫に入った。

 暗く、ひんやりとした部屋は確かに保存には向いている部屋中を見回すと、食材の入った木箱の下の床の色が周りとは違うことに気づいて、木箱をどけた。


 取っ手のついた床を見つけ、安堵の息を漏らしたカエリは床を引き剥がして階段を発見した。光源はなく、外からランプの類を持ってくるのだろう。なにも見えない。慎重に階段をおりていくと、食料庫よりもずっと冷たい空気が漂ってきた。


 暗闇に慣れてきた目を凝らして見回すと、階段を降りた先は狭い部屋のようだ。両手を広げるだけで壁に触れてしまう部屋の先にはまた扉が存在していて、それを開けると今度は上の酒場にも劣らぬほどの大部屋になった。


 そして、その大部屋そのものが一つの巨大な牢になっていた。


 鉄格子を挟んだ向こう側に、いくつかの人影がうずくまっているのが見えて、カエリは鉄格子を揺さぶった。


「アズ、アズっ! ここにいるの!? いるなら返事をしてくれっ、アズ!」


 カエリの声だけが反響して、人影はぴくりとも動かない。


 もしや声も出せぬほどいたぶられたのか、と考え、カエリは鉄格子を破って直接確かめることにした。


 一度上に戻り、布を探す。棚にかけられた麻布を見つけると、今度は棒を探す。


 出来るだけ頑丈で、握るのに適した棒がないか部屋中を見て回ると、火かき棒が壁に立てかけられていたので麻布と一緒に取って下へ降りた。


 二本の鉄格子に長細く折り畳んだ麻布を巻き、両端がこちら側へ出るようにしてきつく縛る。そこに火かき棒を差し込んで、バルブをドアノブを回すように捻ると、次第に手応えは硬くなっていく。それでも続けると、硬質な音を立てて二本の鉄格子がへし折れた。


 同じことを数回続け、出入り出来るだけのスペースを確保すると、カエリは人影に近づいた。


「……違う」


 一番近くにあった人影は骸だった。部屋が涼しくおかげか、既に息絶えてからしばらくは経っているものの腐乱は見当たらない。


 他の人影も抱え起こしてみるが、どれも死体だった。


「アズはここじゃないのか……?」


 アズ以外のメンバーも同じように攫われているらしいが、誰一人として姿がない。あの料理人に嘘をつかまされたのか、と歯噛みしたとき、足元からかすかな振動が伝わった。


「なんだ? どこに……そこか!」


 振動を頼りに部屋中を歩き回ると、死体の下に取り外しの出来る床があることに気づいた。振動はそこから響いているようで、いまもどんどんと叩くような音が聞こえている。


 鍵穴はあるが取っ手は見当たらない。閉じ込めるためのものだろう。


 辺りを探ってみるが鍵らしきものはなく、試しに死体の懐を探って見たがそこにもない。


 試しに軽く叩いてみるが、どうも分厚い鉄板のようでとても素手では破れそうにない。

 鉄板とその周囲の床を叩いて比べてみると、周囲の石畳のほうがいくぶんか柔らかく思える。


 意を決して石畳に拳を叩きつけると痺れに似た痛みが走るが、それを無視して何度も両腕を振るい続ける。


 拳の皮膚が裂け、石畳が赤く染まってようやく、小さなひびが入った。こうなれば後は砕けるまで殴るだけだ。


 己の拳を顧みず、左腕の怪我さえ無視して鉄板の周囲の石畳を砕いたカエリは、隙間から鉄板に指を引っ掛けて思い切り持ち上げた。


「ぐううぅうぅっ」


 とてつもない重量だったが、カエリは鉄板を引っぺがすことに成功し、重たいそれを背後を放った。


「……カエリ?」


 ぽっかりと口を開けた床から、呆然と見上げるアズの顔が見えたとき、思わずカエリは泣き笑いの表情を浮かべて言った。


「助けにきたよ」

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