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司書さんのお仕事  作者: 水島緑
死遭わせのクローバー
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そのなな

 カエリの背中の刺し傷は幸いにも軽傷で、しばらく安静にしていれば跡が残ることもなく治るものだった。


 『木陰』の専属医が図書館から出て行くのを見送ったアズが、近寄りがたい空気を撒き散らしているカエリを心配そうに見つめた。


 フリステンから直々に謝罪されたが、カエリは何も返さなかった。そらどころか、誰が話しかけても反応せず、まるで抜け殻になってしまったような様子だ。


 ずっと待ち続けていたチャンスだった。なのに、本人すらおらず、せめてもと娘を手にかけようとしたがそれも果たせず、それだけにショックだったのだろう。


 最低限、自らの身の回りのことはすべてこなしてくれるため、しっかりと自意識はある。だが、あまりにも無反応なためにアズは言い表せぬ不安を抱いていた。


 もし、ずっとカエリがこのままだったら――。


 カエリがこうなってしまった原因の一端が自分にある、と思い出す度、アズは泣きたくなった。


「だめだめっあたしが泣くのはお門違いなんだから」


 泣きたいのはカエリのほうだ、とこぼれ落ちそうになった涙を拭って、アズは無理やり笑顔を浮かべた。


「じゃあカエリ、あたし仕事に行くからね。お昼、テーブルの上に用意したからちゃんと食べるんだよー?」

「…………」

「……行ってくるね」


 噛み締めた唇を見られないよう、アズは足早に図書館から出ていった。


 無反応だったカエリはアズの背中が見えなくなるのと同時に、頭を抱えてうずくまった。


「……どの面下げてアズと話せるんだよ」


 アズには命を救ってもらった。そう、助けてもらったのだ。身を呈したアズの行動で、復讐は叶わなかったものの、また次の機会を待つことが出来る。


 にもかかわらず、カエリはあのとき、本物の殺意をアズに向けようとしていた。


 自己嫌悪のあまり、カエリはアズと口がきけない状態になってしまったのだ。


「むしろ、お礼を言って当然なんだ。アズが助けてくれなかったら、僕はあそこであの子を殺したことに満足しただけで死んでた。あいつは家族が一人死ぬだけの絶望しか受けない。それじゃあ駄目なんだ。なのに、僕は……」


 衝動的に、なんてことは言い訳にならない。気の置けない友人に害意を持ったことが許せないのである。


 もはや、あの娘を殺せなかったことは気にしていない。どうでも良いと切り捨ててしまっている。


「謝ろう……謝って、もう一度……」


 頭を抱えたままカエリは、アズが帰ってくるのを待った。





 喫茶店の仕事にあまり身が入らなかったアズは、店長に心配され促されるまま早退した。


 日が暮れても賑やかな大通りを抜けて、アズはとぼとぼと肩を落としながら図書館へ向かっていた。


 警戒はしていたつもりだったが、想像以上に心労がたたっていたようで、背後から忍び寄る人影にアズはぎりぎりまで気づかなかった。


 静かな敵意を背後に感じたときにはもう遅く、振り返ろうとしたアズの脇腹に鋭い回し蹴りが叩き込まれた。


 勢い良く吹っ飛ばされた先は人目のない路地裏。呻きながら顔を上げると、出口を塞ぐように新たな人影が目の前にいた。


 背後は木箱が積み上げられていて飛び越えられる高さではない。


「……最悪」


 追い込む場所といい、その後の行動といい、よく計算されている。


 こんなこと、それこそアズに恨みを持った人間しかしないだろう。


 脇腹を抑えながら立ち上がって、影になって見えない顔を睨みつけた。


 つい先日殺し合った相手がそこにいた。





「アズ、今日も来ていないんですか……?」

「うん、そうなの。休むときはちゃんと連絡してくれるし、お家にもいなくって。もしかしたきみのところにいるのかと思ったけど……」

「図書館にも来てないです。あれから一回も顔を見ていないし」


 アズが来ない日が三日続き、いよいよ愛想を尽くされたと思い始めたカエリの元に、彼女が働く喫茶店の同僚が訪ねてきた。


 というのも、その喫茶店は近々大通りへ進出し、アズもそのスタッフの一員に選ばれているのだが、どうもそちらでもアズの姿がないらしく、カエリと同じように三日も音信不通だそうだ。


 図書館に来ないのであればまだわかる。だが、それが働いている先でも同じとなると何かしら起こったと考えていい。


 一番それらしい理由はなんらかの事件に巻き込まれたことなのだが、近頃のブロッサは猟騎士のおかげで平和が続いている。カエリは知っているが、アズがそこらへんの暴漢に襲われたところで軽く返り討ちにしてしまう程度の力がある。


「わかりました、僕のほうで見かけたら連絡しますね」

「うん、お願いね。こっちでも見つけたら同じようにするからね」


 心配そうな面持ちで去っていたアズの同僚を見送って、カエリは考え込んだ。


 なにかしらの事件に巻き込まれたと見ていい。アズでは対応しきれないほどの大人数で襲われたか、あるいは手も足も出ないほど優れた何者かに襲われたか。


 少なくとも、日常的に起こる事件ではない。とすれば、おのずと答えは見えてくる。

 もうひとつの仕事の関係だ。


「報復、か?」


 口をついて出た言葉に、カエリは納得した。


「そうだとすれば、『白詰草』が一番怪しいな」


 『白詰草』は復讐に命をかけているだけあって、邪魔をされることを嫌う。あのとき、『木陰』は結果的に『白詰草』の邪魔をしたことになる。とすれば、その場にいた『木陰』の人間に報復を計画するのは不思議ではない。


 どこまで正解なのか、カエリにはわからないがおおむね違いはないだろう。


 いますぐにでも動きたいが、果たして首領が把握しているのか。


 これでもカエリは組織の一員だ。勝手な行動、それも他組織との戦争になりかねない独断を下してはならない。


 多少の遅れにはなるが仕方がない。首領に知らせたその足で無理やりにでもアズを助けに行くことに決めたカエリは仕事着に着替え、図書館を飛び出した。


 しかし扉を開けた瞬間、わずかな隙間からぬっと剣先が喉をめがけて突き出された。


「ぐっ――」


 顎下を掠めた剣先が扉の向こうへ消えるのを見ると、カエリは飛び退いた。


 同時に図書館の扉が粉砕され、破片がカエリに飛ぶが彼は身に届く全てを叩き落として襲撃者へ肉薄した。


 二重の奇襲に失敗した黒尽くめの男はやや慌てた様子で剣を構える。


 カエリが敵の胸元にクローバーのブローチが存在することを認めると、両眼から殺気を迸らせて振るわれた剣の腹を殴り砕いた。


 あろうことか、得物が砕かれて狼狽する男の膝を反対側にへし折った。体勢を崩した男が膝をつき、カエリを見上げる格好になった。膝を持ち上げればそれだけで直撃する。良いところにある顎に膝蹴りを叩き込むと、顎が折れたらしくいくつかの歯とともに吐血した。


「アズの居場所を吐いてもらおうか」


 目鼻から汁を垂れ流してうずくまる男の髪を引き、顔をあげさせる。カエリの瞳を真正面から見た男が声にならない悲鳴を上げ、砕けた顎をわななかせた。

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