そのろく
短いようで長い一週間だった。
降って湧いた幸運が横から掻っ攫われようとしている。ならば、横槍をへし折ることが先決だ。
武者震いを堪えて、カエリはフードを被った。
彼の傍らには露出過多な仕事着に着替えたアズが手持ち無沙汰に鎖を弄んでいる。
二人がいるのは、大総統補佐が通るという国境だ。
東の隣国アルタルに繋がる街道を馬車に乗った大総統補佐が通るので、襲撃されるであろう彼を守ってから、カエリが殺す。
一件迂遠なように思えるが、大総統補佐という地位の人間であれば相応に護衛もいるはずだ。それを相手にするのは些か骨が折れる。
まずは護衛の数を減らしてもらうべく、『白詰草』の連中を待ち、戦闘が開始されてから介入することになっている。
おそらくは大総統補佐は真っ先に逃がされるだろう。戦場から離れたそのときが狙い目だ。
『木陰』の他人員も既に揃っていて、彼らは監視も兼ねて二日前からここで張り込んでいる。カエリとアズを含めて八人、『木陰』の規模がわからないためなんとも言い難いが、カエリはいままでこの人数で動いたことはない。
彼らは皆一様に顔を隠しているが、それぞれ特徴があるため見分けることは簡単だ。
騎士兜に黒装束のアンバランスな男、バタフライマスクで顔を隠し、何故か褌一枚で半裸な男、あげくに渦巻き模様のある瓶底眼鏡に庶民的な服装の女もいて、ちょっとした仮装大会のようである。
カエリとアズ以外の全員が仮装パーティのような格好をしているせいで、至極まともなカエリがもっとも浮いている。肌色の多いアズはむしろ男たちに人気で、なおかつ小動物のような雰囲気があることから女性たちにも人気だった。
街道は大きな川に面していて、川の向こうにはちょっとした雑木林がある。休憩用らしい小屋が雑木林の中にぽつりと存在していて、カエリたちはそこを中心に待機している。
湯気の立つ鍋を囲んで、カエリを除いた七人が楽しそうに談笑している。アズが仕切りにカエリに視線を向けるのだが、どうにも話しかけられる雰囲気ではなく、彼女は困り果てていた。
一人、離れた場所で図書館から持ってきた本を眺めているカエリは、読書中とはとても信じられないほどピリピリしている。殺気を放っているといってもいい。
他のメンバーが誰も気にしていないのは皆カエリの事情とともに理解があるからだ。誰だって家族を殺した相手に対して剣呑にもなる。
そのため、アズを除いた全員がきにせず、放っておいてくれているのだが、アズは普段のカエリを知っているだけに不安だったのだ。
まるで別人。アズにはそう見えた。
似たような雰囲気になることは仕事中に何度もあった。だが、ここまで神経を尖らせているのは一度だってない。
あんなカエリを放っておいて良いのか、アズにはわからなかった。
「おっと、お出ましみたいだ。全員準備」
小屋の外を見張っていた一人が突然声を上げた。
即座に反応したカエリたちは火を消し、必要な道具を持っていつでも動けるように待機した。
貴族にしては質素な馬車だ。金銀財宝が使われておらず、実用一辺倒といった風の鉄の箱馬車である。その後ろに五台の幌馬車が追従しており、時折幌がめくれて鎧を纏った人間の姿が見え隠れする。幌馬車のほうは護衛だろう。大総統補佐が乗っているのは、箱馬車のほうに違いない。
「さっすが首領どのだ。みろ、『白詰草』の連中が馬車に踊りかかってら」
疾走する馬車の脇から、突如として十を超える騎馬が現れた。
土煙を上げて箱馬車を囲む騎馬に跨るのは、素顔を晒したままの男女である。彼らは一様に顔を隠さず、これと言って怪しい服装でもないため街中で見かけても印象には残らない。だからそんな人間が馬に跨っていればどうだ。あからさまに異様なのである。
騎乗しながら陣形を組み、ほとんど一瞬で箱馬車を囲んだ彼らの胸にはシロツメクサのブローチが輝いている。それを認めた護衛の一人が叫ぶ。
「奴ら、復讐しにきたんだ!」
『白詰草』の人間は弓と槍で武装している。取り回しを重視した武器のため、鉄製の箱はびくともしない。箱を引く馬や御者を攻撃しようにも、背後から矢を射かけてくる護衛が邪魔でまともに狙えない。
「よし、出るぞ。俺たちは撹乱、二人は箱馬車を追いかけろ。馬は表に出してある。二人で一馬だが、乗れるな?」
「だ、大丈夫です」
緊張しているアズが何度も頷いた。
カエリもアズも巧みではないが馬に乗れる。それも訓練の一環だった。
小屋から出たカエリたちは馬に跨り、近づきつつある馬車を見据えた。
「今だっ、行け!」
合図と共に四頭が一斉に駆け出した。
踏み固められた街道の土をえぐり、鉄の箱馬車と交差した。
カエリとアズの乗る馬はそのまま進路を変えて箱馬車を追い、残りの三頭が護衛の乗る幌馬車と『白詰草』が跨る馬に突撃した。
奇襲の奇襲。既に馬上で戦闘を開始していた『白詰草』の横っ腹に突っ込んだ『木陰』の六人は、すれ違い様に馬に各々の武器を突き立てて走り抜けた。が、落馬したのはたったの一人で、ほとんど馬具に阻まれてしまった。
『木陰』が馬首の向きを変えているうちに、『白詰草』から六人が先行してカエリたちを追いかけていった。
残りは三勢力の乱戦となって、もはや馬を必要としなくなった。
背後から矢が飛来する音を聞き取ったカエリが、馬を操作するアズの後ろで空を睨んだ。
矢の数はたったの六。そのうち三は脇に逸れた。だが残りの半分がまっすぐ降ってくるであろうことを予想し、カエリは目を凝らした。
箱馬車を引く馬はただの馬ではないのか、鉄の塊を引きずっているにも関わらず一向に速度が衰えない。むしろ、このままではカエリたちの乗る馬のほうが先に根をあげてしまう。
なかなか追いつけないことに歯噛みしながら、カエリは眼前に迫った矢を両手で一本ずつ摘み取った。もう一本は馬が軌道を変えたため届かなかった。
握った矢を捨てると、カエリは腰に下げた麻袋から小石を両手に持つと、それを追ってくる『白詰草』に投げつけた。
当たらなくてもいい、足並みが乱れるだけで構わない。
じわじわと箱馬車との距離を詰めるアズの技術に感謝しながら、カエリはひたすら『白詰草』の追撃をいなし続けた。
「カエリっ、手綱持って! 馬を止めるから!」
「わかった!」
アズの腰に手を回し、手綱をカエリが掴むと彼女は空になった両手で巻きつけた鎖を解いた。
風切音を聞いて咄嗟に振り返ったカエリだったが、アズが振り回した鎖に矢は打ち落とされた。
「いまっ」
遠心力をつけた分銅がまっすぐ馬の側頭部へ叩き込まれ、失神した馬が馬車の車輪に巻き込まれた。
胴が二つに裂けた馬の死骸が車輪に絡まり、バランスを崩した箱馬車が横転して地面を滑っていく。
「『白詰草』は任せてっ」
「頼んだ!」
馬から飛び降りたカエリが一目散に箱馬車へ駆ける。
その姿を横目に、アズは頭上で鎖を回しながら『白詰草』を威嚇した。
アズに矢は通用しない。『白詰草』は六人を半分にし、前衛と後衛で陣形を取った。前衛がアズの足止めを担当し、後衛が射抜く。だが、それは悪手だった。
向かってくる三人を認めて、アズは鎖を手繰って投げた。鈍く輝く分銅が三人の間をすり抜けて、弓を構える女の顔面を砕いた。
絶叫に思わず足を止め振り返った前衛たちに、アズは鎖を引いて分銅の勢いを殺さないまま、前衛の一人の首に鎖を巻きつけた。
カエルが潰れたような声を漏らした男を絡め取ったまま、アズの鎖は空を舞った。
手足どころか、まるで指のように鎖を操っている。どれだけの修練を積めばその領域にまで到達できるのか。
鎖の先についている分銅よりも大きい、いわば人間分銅として絡めた男を前衛の二人にぶつけた衝突の際にたるんだ鎖から男がすっぽ抜けてあらぬ方向へ飛んでいったが、アズはそれを無視して鎖を鞭のようにしならせて後衛の一人を打ち付けた。
鋼鉄の鎖は鞭よりも凶悪だった。骨の髄まで痺れるような痛みを与え、肉を巻き込み抉っていく。耐えられずに弓を落とした後衛の後頭部に、どうやって動かしたのか分銅がめり込んだ。
冷や汗を流す最後の一人に分銅をぶつけ、あっさりと気絶させたアズはカエリの後を追いかけていった。
横転した馬車に駆け寄ったカエリが持ち前の腕力で扉上部の窓をぶち破ると、腕を突っ込んだまま扉の内側にある鍵を手探りで見つけて開けた。
硝子の破片で腕が血塗れになったが、カエリは一瞥すらせずに扉を開け放った。
箱馬車の内部は横たわれるほど広く、革張りのソファは見るからに高級品だ。その他にも、長旅でも快適に過ごせるような細工が施されている。
まず目に入ったのは純白のドレスを纏った少女だ。突然馬車が倒れたせいか、ドレスは盛大に乱れており、彼女はひっくり返って無防備な姿を晒している。
扉を開け放った直後に剥き出しの太腿が視界に入ったものだから面食らったカエリは白くほっそりとした足をまじまじと見つめてしまった。
我に返り、馬車内を見回すが大総統補佐の姿はない。
もしや逃げたのか、と思い馬車から身を起こして辺りを見回すが、倒れた『白詰草』の連中とこちらに向かってくるアズしかいない。
「おいっ、あいつはいないのか!?」
「ひぅっ、ど、どなたのことでしょうか?」
馬車の中にいた少女にカエリが掴みかかった。
「ブロッサの大総統補佐だ! この馬車は視察のためのものなんだろう!?」
「そ、そうです。私がアルタルへ視察に向かっているのですっ。父の名代でここにいるのです!」
「な……嘘だろ……?」
父の名代、その言葉を理解したカエリはかろうじて座り込むのを堪えた。
早い話が、大総統補佐はここにはいない。いまもブロッサの行政区画で護衛に囲まれているのだろう。
「なんで……どうして……」
相打ち覚悟で挑んだ作戦だっただけに、そのショックは大きい。
『白詰草』の襲撃を予見していたためにこの結果になったのか、いまはそれしか考えられないが間違っていないように思える。
「ちくしょう、ならせめてあいつの家族だけでも……!」
なんとか動揺から立ち直ったカエリが少女に手を伸ばすが、背後からアズの声が届いて振り返った。
「カエリ、もうだめ! 『白詰草』の増援がこっちに向かってる! 数が多すぎてどうしようもないよ!」
「じゃあこの女だけでも……」
「お父様に仇なす者は許しませんっ」
「ぐっ……」
隙だらけの背中に、少女は護身用の短剣を突き立てた。
焼けるような激痛が腰の辺りに広がり、咄嗟に少女の手を払って振り返ると、彼女の手はカエリの血で赤く染まっていた。
少女は自らの手をぼんやりと見つめた後、自分が何をしたのか理解して息を詰めた。
きっと、思いのほか感触が生々しかったのだろう。父親の敵を殺す覚悟を上塗りするほどの現実感が、彼女に叩きつけられたのだ。
「カエリっ!」
駆けつけたアズがカエリを引きずって馬車から離れる。既に『白詰草』の集団はすぐそこまで迫っていた。
めまぐるしく転がる状況に、混乱したままのカエリはそれでも復讐の炎を絶やさずにいた。
未練がましく少女に伸ばすカエリの手は近づくどころか離れていく。
届かない、届かない届かない届かない……!
復讐の機会が、遠ざかっていく。
そのことに絶望すら覚えてカエリは叫んだ。
「殺してやるっ……殺してやるッ!」
遠くなった馬車の中で、カエリの雄叫びを聞いた少女の肩がびくりと震えた。
背に感じるアズの暖かさと息遣いをひたすらに恨んだ。




