そのご
カエリが件の五人組を再起不能にまで追い込んだ一件は、あまり騒ぎにはならなかった。
というのも、単純に外聞が悪すぎたのである。
多少街に詳しい住民であれば、北側の騎士の堕落は知っているし、歓楽街へ入っていったのも見ている人間は多数いる。そのまま一晩を明かし、酒が残った状態で無惨な姿を晒すことになった、などとは、治安を守る騎士は口が裂けても言えぬことである。
治療と隔離をかねて、五人は行政区画の中に送られていったらしい。
そのまま一生出られないのでは、というのが事情を知る人間たちの予想である。
アズの手厚い看病のおかげで完全快復に至ったカエリは、どこかぎこちないアズの所作に首を傾げながらも、悶々と考え込むことはなくなった。
ありていに言えば、すっきりしたのである。
大元である大総統補佐に辿り着く道筋は未だに見えてこないが、焦っても良い考えなんて浮かんでこないので、それはそれでおいおい見つけていけばいい、と余裕を持てるようになっている。
ここ数日、考え事と風邪で手につかなかった本の整理を久々に進め、思いのほか捗って何事も上手くいきそうな予感さえしてくる。
「ご機嫌だね」
「……どうやったら目の前にいる僕に気づかれずに背後に回れるんですか?」
「ふふん、まだまだ教えることが多いみたいだね」
突如として、カウンターに座っていたカエリの背後から湧いたフロウが笑顔でばしばし肩を叩いた。
よくわからない技術に呆れ半分感心半分で振り返ろうとしたカエリは、出入り口から普通に入ってきたクロエに気付いた。
「どうも、お久しぶりです」
「はい、お久しぶりです」
にこりともしないクロエはどこも変わっていないように見えて、その実足音がまったくしなくなっている。
しっかりと訓練を受けているんだな、とカエリは感心した。
「どうやら風邪も無事に治ったみたいだね。アズにはちゃんと感謝したまえよ」
「いやなんでフロウさんが偉そうなんですか」
いつものように喫茶店に働きにいったアズではなく、何故か胸を張るフロウを冷めた目で見やると、彼女は眼鏡をくいっと押し上げた。
「ふふん、倒れたカエリくんを見つけたのが私だからだよ」
「はぁ、そうだったんですか」
「まぁ、嘘だけれどね」
「…………」
「今日来たのは他でもない、お仕事の話さ。夜になったらアズもここにくるんだろう? それまで待たせて貰っても?」
「ああ、いいですよもちろん。どうせ利用者は来ませんし」
カエリの呟きに苦笑したフロウは、お茶を淹れてくると離れに向かった。
クロエはもともと読書好きなのか、既に本を手にとっている。
クロエがとった本を見れば、以前カエリが読んでいた『家畜の王』である。
刺激が強いので女子供が読むには適さない内容なのだが、やはりというかなんというか、クロエは顔色変えずにページを捲った。
「カエリーっ! ってあれ、クロエちゃん! どうしたのこんなところで」
「こんなところで悪かったな」
元気よく図書館に入ってきたアズに半眼を向けるが、彼女は意に介さず読書中のクロエに抱きついた。
仲が良いとは思っていたが、まさか頬ずりされても嫌がらないほどだとは思わなかった。単にクロエが何も感じていないのかもしれないが。
ちら、と本から目を外して、抱きついてきたのがアズだと確認したクロエは小さく挨拶を返して読書に戻った。
まるで動じないクロエに感心すると同時に、ほぼ無反応なクロエに離れることなくじゃれつくアズが子犬にしか見えず、カエリは密かに和んだ。
「一番高そうな茶葉にしたけど、良かったよね」
「使ってから言われても……」
ティーポットを掲げる傍若無人なフロウに溜め息を禁じ得ないカエリは、カップが用意されていないことに気付いてフロウと入れ替わりに離れへ戻った。
「あ、アズ。今日は早かったんだねぇ」
「うん、新しい子が一人入ったんだー」
「あそこ、そろそろ大通りに移動するって話だけど、どうなの?」
「もう新しいお店も建て始めてるんだ。いまのお店はそのまま続けて、支店にするって」
「ほぉ、きみは大通り勤務かい?」
「新人さん以外はみーんな大通りに移動するって」
「いいじゃない」
なごやかに談笑する二人のうしろを通って戻ってきたカエリが、ポットから紅茶をカップに注いだ。
「どうぞ、自由に飲んでくださいね」
「さて、そろそろ本題を話そうかな」
意外なほど上品な仕草でカップを置くと、フロウがどこからか取り出した紙をカエリに手渡した。
「これは?」
「大総統補佐がこれから向かう視察先だね」
認可書、というものだろうか。大総統の判が押されていて、東の隣国アルタルへ視察、という内容だ。
「それで、どうしろと?」
「護衛、かな」
「護衛!?」
「ちょっと館長さんっ、どういうことなの!?」
飛び出した言葉に驚愕したカエリは思わず立ち上がり、フロウを睨みつけた。アズも同じように驚いて身を乗り出した。
「まあまあ、落ち着いて。というのも、『白詰草』が大総統補佐を狙っているらしいんだよ。彼、相当恨みを買っているからね」
「『白詰草』まで……」
「なるほど、だから護衛ですか」
一転して冷静になったカエリが座った。
『白詰草』は、私怨を晴らしたい人間が集まった、いわば復讐組織である。悪の断罪を目的としている『木陰』とはほとんど関わらないのだが、噂だけはよく知っている。
曰く、残虐な化け物たちが集まったやばい組織。
よく考えればその噂が事実だということは簡単にわかる。なにせ、復讐組織なのだ。復讐に手心を加える馬鹿はいない。
だからこそ、『白詰草』は残虐なのである。
「ど、どういうことなの?」
誰よりも怒るであろうカエリが理解の色を示していることに戸惑い、アズは唇を尖らせた。
「つまりね、カエリくんが復讐するんだから邪魔するんじゃないぞー、ってこと。大総統補佐が先に殺されちゃったら、カエリくん泣いちゃうもん」
「泣きませんよ……。ただ、『白詰草』に乗り込むくらいです」
「ほら、これくらいはしちゃうからさ」
「そういうことだったんだね……」
ようやく納得したアズにいたずらっぽい笑顔でフロウが囁いた。
「んふふ、アズったら無関係なのに怒るんだから。そんなにカエリくんが大事?」
「なっ……!」
瞬間的に顔を赤くしたアズを見て、満足にフロウが眼鏡を押し上げた。
「話を戻すけど、『白詰草』に先を越されないように妨害しつつ、可能ならカエリくんが大総統補佐をぶっ殺しちゃうってこと。カエリくんが行くのは決定だけど、んふふ、アズはどうするの?」
「いっ、行くよもう!」
やけくそに叫んだアズにフロウはにやりと口角を吊り上げた。
「何人か同行するけど、そっちは『白詰草』を妨害する人員だから、カエリくんは気にしなくていいからね」
「わかりました」
神妙に頷いたカエリに、フロウはカップの中身を一気に飲み干して立ち上がった。
「本当は私も行きたいところだけど、クロエちゃんの修行があるからね」
「いえ、助かりました」
会話に加わらなかったクロエがとことことこちらに歩いてきて、カエリに軽銀貨を差し出した。
「ん、これは……?」
「この本、借りていってはダメでしょうか?」
「……きみは、どこかズレているね。いいよ、次に来た時持ってきてくれれば貸すよ」
アズが持っている本は『家畜の王』だった。
気に入ったのか、はたまた途中まで読んだので続きが気になるのか、カエリは快く貸し出すことにした。
図書館から出て行く二人の後ろ姿をアズとともに見送って、カエリはふと呟いた。
「なんていったらわからないけど、『木陰』に入って良かったよ。本当にここまでしてくれるんだからさ」
「うん、あたしも拾ってくれたことに感謝してるよ」
「そっか」