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司書さんのお仕事  作者: 水島緑
死遭わせのクローバー
22/43

そのよん

 娼館に入っていった五人組をそのまま待って、日が暮れてしまった。


 いくら待っても出てこない彼らはこのまま娼館に泊まっていくらしく、カエリは溜め息を漏らして長丁場を覚悟した。


 流石に出勤次第はさぼれないだろう、とカエリは娼館を見下ろせる屋根に陣取り、そのまま夜を過ごすことにした。


 出勤のため、朝方にもなれば身なりを整える必要があるだろう。そこを狙うつもりだった。


 食事も取らず、一晩中神経を張り詰めたままでいるのは酷く疲れるが、できないわけではない。村がなくなった直後に比べれば、自主的にやっているだけマシだ。


 遅くまで賑わっている大通りとは違って、北側は日が落ちれば住人たちはすぐに休むらしい。出歩くのは歓楽区画へ向かう者くらいで、しんと静まり返っている。


 夜こそが本番とばかりに、歓楽区画はにわかに騒々しくなっていく。


 眉を顰めるような、卑猥な言葉や下品なやりとりが眼下で繰り返されているが、この上なく集中しているカエリの耳には届いていない。体は疲れるどころか、腹の底から段々と強くなる熱を持て余している。


 ぎらぎらと輝く目をひたすらに開き続けて、カエリは朝を待った。




 ようやくだ。


 歓楽区画の火が消えてしばらく、無心で眼下を眺め続けていたカエリの瞳にひどく気だるげにする五人組が映った。


 よほど楽しい一晩だったのか、一人はしきりに唸り、二人は足元が覚束ない様子で、もう一人は道端で胃の中の物を吐いていた。


 酒も余韻も残していないのはたった一人という有様で、カエリは嘲笑った。


「何が騎士だよ野盗共め。その姿のほうがよっぽど似合ってる」


 呟いてから、カエリは五人の後を追いかけた。


 そういえば、アズがまた来ているかもしれない、などとふと考えたが、いまは目の前のことに集中するため放棄した。


 が、思考が脇に逸れたことで気付いたことがある。


「やばい、服そのまんまだ……」


 カエリは顔を隠すための仕事着を着用していないのである。


 もともと偵察のつもりだったので普段着でやってきたのだが、これでは一日張り込んだ挙句にすごすごと家に帰る羽目になってしまう。


 顔を見られる危険性と、ここで五人を殺せる満足感。天秤にかけるまでもなく、カエリは後者を選んだ。


 このときのカエリはまったく冷静でなかった。『木陰』に対する不利益だとか、基本中の基本である顔を見られないようにという鉄則も、カエリの頭を過っただけで留まることはなかった。


 半ば、自棄になっていたと言える。


 大元の仇が大物すぎて、近づくことさえ困難なのだ。長く待っただけに、胸に燻ったものがどこかにいってしまったような感覚が焦燥と共に残り続けている。


 歩く五人を見て、葛藤する。




 己を拾ってくれた『木陰』はそこそこ好きだ。だから、無闇に迷惑は掛けたくない。特に、気の置けない友人であるアズが『木陰』にいる。ただでさえ私生活の面倒を見てもらっているのに、これ以上の迷惑は良心が咎めた。悩んだ末にカエリは、上半身裸になって、代わりに服を顔に巻きつけることにした。


 ひどく寒いが、背に腹は変えられない。


 彼らが路地に入ったときを見計らって、カエリは一番意識のしっかりしている男の頭上から飛び降りた。


 落下しながら頭を蹴り飛ばし、叩きつけられるように顔面から地面に倒れ込んだ男の背中に着地すると、突然の出来事にほうけている四人のうち、もっとも近い男に飛び掛かった。


 幸いにも鎧は身につけていないので狙いを定める必要はない。


 カエリが飛び掛かったのは呻いていた男だ。眼鏡を掛けている彼の顔面を眼鏡ごと殴り、破片が突き刺さることも顧みずにそのまま殴り抜けた。


 眼鏡の破片が眼球にでも押し込まれたのか、絶叫を上げる男の喉に二発拳を叩き込んで黙らせると胸倉を掴み上げ、背を向けて逃げ出そうとする嘔吐していた男に投げつけた。


 どんもりうって倒れ込む二人を視界の端に入れながら、一番酔いの強い二人の頭部をがっしりと掴んで打ち合わせた。


 脳震盪を起こしたらしく、悲鳴を上げる間も無く意識を失った二人の頭を何度も打ち合わせてから放り捨てた。


 ぱっくりと額が割れ、二人の顔面は血みどろで見るに堪えないほどへこんでいる。


 最後の一人、眼鏡の男を投げつけられて転んだ男に近づくと、まるで悪魔にでも遭遇したかのような悲鳴を上げた。


「ひぃぃぃぃっ、な、なんなんだよお前っ! 俺たちが何したって……!」

「何かしたからこんな目に遭ってるんだろうね」

「く、くそっ」


 慌てて立ち上がろうとする男の足首を踏み潰すと、女のような悲鳴を上げた。


 無事なほうの足もへし折り、煩い喉を潰して芋虫のように這いずる男を見下ろして、カエリは知らずのうちに笑っていた。


 どうしてか、物凄く楽しい。愉快で愉快で仕方がない。


 服を巻きつけた口から、くぐもった笑い声が出た。


 芋虫のようになった男は捨て置いて、他の男たちにも執拗な攻撃を加えていく。


 四肢どころか指まで残さずへし折られ、味わった恐怖を外へ逃がさないようにと顎を砕かれ喉を潰されて虫の息になった五人を眺めてカエリは嘲笑った。


「いいか、まだ殺さない。殺してやらないからな。こんなものじゃ僕の気は晴れない。だから、楽しみにしてるといいよ。例えベッドの中でガタガタ震えながら隠れていても、必ず会いに行くからね」


 まるで、恋人に対する熱烈な愛の言葉だ。


 だがその中身はぐつぐつに煮えたぎった憎悪で淀んでいて、決して愛などという美しいものではない。


 とてつもない怒りを向けられた男たちは、まるで幼子のように震え続け砕けた顎で助けを求めるのであった。





 まるで、集団リンチに遭ったような大怪我である。


 五人を打ち捨てたまま踵を返したカエリの目に、慌てて身を隠す少女の姿が映った。


「…………」


 さりげなく顔に巻きつけた上着に手を伸ばすが、きつく巻いたおかげで乱れている様子はない。


 顔を見られたわけではないと理解し、密かに安堵したカエリは、さきほどの少女を放置することにした。


 いままで気が昂ぶっていたおかげでまったく気にならなかったのだが、ものすごく寒い。


 それもそのはず、服を顔に巻いているのだから、カエリはいま上半身裸である。覆面に半裸の変態に襲われた五人組はさぞ恐ろしかっただろう。ただの変態ならまだいい。だが、太刀打ち出来ぬほどに強い変態なんて、出来れば一生出会いたくない。


 肌を刺す朝の寒気がひどく痛い。


 半裸の体をさすりながらその場を離れたカエリは、さきほどの少女がどことなく見覚えがあることに疑問を浮かべたが、そんなことよりも寒かった。


 人目のつかないところで服を着直し、ようやく一息ついた。


 両手が真っ赤な血で濡れていたが、その感触さえいまは愛おしい。


 あのスズランの女が笑顔を浮かべていた理由の一端がようやくわかった気がした。






 カエリは風邪を引いた。

 半裸に覆面という危ない格好で外を出歩いたものだから、当然のように風邪を引いたのである。


 朝、いつものようにやってきたアズが寝込むカエリを発見し、てきぱきと看病して今日は泊まり込むことになった。


「もう、お腹出したまま寝る、なんて子供っぽいことするからっ」

「げほ……」


 風邪の原因は誤魔化した。半裸で朝の街をうろついた、なんて正直に話せば、冷たい目で見られること必死だ。下手をすれば口を聞いてもらえなくなるかもしれない。


 ぼんやりと定まらない視界の中で、アズがキッチンに立っているのが見えた。


 悪寒と頭痛、喉の痛みにうなされながら睡眠と覚醒を繰り返しているうちに、いつの間にか夜になっていた。


 幾分かマシになったようで、意識がはっきりしたカエリが目を覚まして身を起こすと、額から濡れたタオルが落ちた。


 見回せばどうやら自室のようで、ベッドの脇には水の入った桶が置かれている。


 タオルを桶に入れて冷やすと、汗でべたつくこと体を軽く拭ってから立ち上がった。桶を持ち、部屋を出てみるとばったりとアズに遭遇した。


「わ。もう大丈夫なの?」

「うん、おかげさまで。ありがとね、看病してくれたの見えたよ」

「ううん、元気なって良かった」


 カエリは一日経ったかどうか、と思っているが、五人組を叩きのめしてから三日が経っている。その間がアズは店を休み、ずっとカエリのそばにいたのだ。


 少しばかり草臥れた様子のアズに感謝しながら、カエリは体を伸ばした。


「そういえば、館長さんとクロエちゃんが来てたよ?」

「そうなのか?」

「うん。カエリに用事があるって言ってたけど、寝込んでるの見てまた今度来るって」

「そっか」



 体に残る気だるさのせいで、ぼんやりと椅子に座り込むカエリに微笑んだアズが、エプロンをつけてキッチンに立った。


 しばらくアズの後ろ姿を見つめていると、熱がぶり返してきたのか、カエリは何度も瞬きをして眠たげに欠伸を漏らした。


 同時に、意識が曖昧になっていきふとアズのエプロン姿に感想を漏らした。


「結婚するなら、アズみたいな人がいいなぁ」


 まったくの無意識でぽつりと呟いたカエリは、自らが何を言ったのか理解しないまま、大袈裟なほど慌てて振り返ったアズをぽやぽやと眺めている。


「な、な、な、いったい何を……! お嫁さんにしたいだなんてそんなっ」

「そうだね。お嫁さんにするならアズがいいなぁ」

「んんっ!? あ、そ、そうだっ、やっぱりカエリ、まだ熱あるんだよ! ほら、早く部屋に戻って横になってっ」

「ん? いや、平気だよ。少しぼんやりしてるだけだから。それよりも、やっぱりエプロンつけてると新妻みたいで……」

「だめだめだめっ、はや、早く寝てってば! また倒れちゃうよ!」


 顔を真っ赤にしたアズに連れられて自室に戻ったカエリは、突き飛ばされるようにベッドに倒れ込んで丁寧に毛布を掛けられた。


「僕よりもアズが熱出してるみたいだ」

「いっ、いいから寝るの!」


 あまりの羞恥に熟れた林檎のごとく頬を染めたアズに言われるまま、カエリは瞼を閉じた。




「うううぅ……な、なんであんなこと言うのよ……」


 文字通り、熱に浮かされての言葉だったのだろうが、乙女にとっては衝撃的な発言の数々だった。


 エプロンをつけたままテーブルに突っ伏すアズの頬は未だに赤みを帯びたままで、考えまいとすればするほどカエリの言葉が何度も何度も脳内で再生されてしまう。


「まるでプロポーズみたい……ってうあああっ! 違うってばもお!」


 アズの煩悶は続いた。

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